【退歩的文化人のススメ】嵐山 光三郎 新潮社
「進歩的文化人」とは?。
朝日、岩波系の雑誌などによく登場し、戦後民主主義と護憲を標榜した文化人ということになるだろうか。
今回の「退歩的」文化人となるとそれは誰で、何を標榜するのだろうか思った。
嵐山は38歳で会社をやめた。
だが平凡社で『別冊太陽』と『太陽』の編集長を勤めたことは、つとに有名だ。
嵐山が去った社内には「狼中年、狼老人がうようよしていた」とあった。
このこと、同じような感慨がある。
私の場合、20年過ごした制作職場から編集局のある部署に移った。
力ありすぎて疎まれた記者、脾肉の嘆をかこっていた酒豪の中年記者、ニュース現場で他社を怒鳴りつけて、真っ先に好ポジションを確保しに走った写真部のベテラン、そういう中年狼がうようよしていた職場だった。
上司と喧嘩して北陸路の支社に流され配所の月を眺めた経験を持つ人もなぜか私の上司だった。
狼であれ老人であれ、魔力が人間的魅力になっていた人は多かった。
退社した嵐山は退歩的というよりむしろ体力派だ。
還暦すぎてモンブランの雪山を3000メートルぐらいは転ばずに滑れるという。
ママチャリに乗って「奥の細道」全行程をいくたびも走破する。
走破しながら「下り坂」の爽快さを感じる。
その下り坂に退歩人生を感じたのはその後に体験した本人の頚椎捻挫あたりからではないだろうか。
下り坂の悲哀はある。
私の場合も昨秋のアキレス腱断裂で、よかれ悪しかれ、いま下り坂を実感中だ。
「退歩的」とは人生の山坂を歩き登って還暦を向かえた以後の開き直り的な下り坂への生きかたとでもいえるだろうか。
著者は1942年生まれ。私もほぼ同世代だ。
嵐山は「下り坂には花も実もある。断じて悟らず、下り坂をわが道とする」とした。
そして退歩的生活の至福を半ば冗談で「友情、飲酒、隠居、散歩、朝寝」とした。
私の場合はどうだろうか。
冒頭「友情」は、まず異議なしだ。
「好きな時に入れる風呂、昼寝と読書、碁と将棋。野菜作りに土いじり、時々の孫、夕方の肴造り、いくばくかの酒」あたりになる。
全編、非政治的エッセー風の読み物が多い。
ただ、文章に楽しさがあるから飽きずに読める。
冗文、漫文のようで、さに非ず。
「茶髪のねえちゃん 車内でアホバカ電話」
と毒づく一方で、2行の短さで書評が書けるプロの冴えがある。
特に 「退歩」作家たちの死に方、その素顔と本心に迫った章立ては面白かった。
失明を受け入れてなお歌の新境地に挑んだ北原白秋。
52歳で糖尿病、腎臓病を病んだことが失明につながっている。
照る月の 冷(ひえ)さだかなるあかり戸に 眼は凝らしつつ盲(し)ひてゆくなり
すざまじいばかりの冷徹な歌だ。
白秋の場合は、24歳で邪宗門を著し57歳で死んでいる。
自らを狂人、淫乱、遊蕩とした徳富蘆花と兄蘇峰との確執や、病的ともいえる女たらしの宇野浩二が助手の水上勉に口舌筆記をさせてなお小説を書き続けた執念などの話も面白かった。
「屁」話は笑えた。
「握りっ屁は三里臭い」これは深沢七郎のことばだそうだ。
「声はすれども姿は見えぬ ほんにお前は屁のようだ」これが臨済宗の公案であることをはじめて知る。
涼むふりしてれんじにもたれ そっとすかした私の屁
こういう美人も確かにいる。
こうした美人に 欲情すれど執着を持たず、しかし断じて悟らず、下り坂をわが道とする。
これが退歩的生き方ならば頼もしく心強い。
嵐山の「芭蕉の誘惑」は面白く読んだ。昨年好評の「悪党芭蕉」はまだ読んでない。
読後、この本を読んでみたいと誘われた。
(2007年 3月18日 読了)
■■ 記憶書庫 ■■
「進歩的文化人」とは?。
朝日、岩波系の雑誌などによく登場し、戦後民主主義と護憲を標榜した文化人ということになるだろうか。
今回の「退歩的」文化人となるとそれは誰で、何を標榜するのだろうか思った。
嵐山は38歳で会社をやめた。
だが平凡社で『別冊太陽』と『太陽』の編集長を勤めたことは、つとに有名だ。
嵐山が去った社内には「狼中年、狼老人がうようよしていた」とあった。
このこと、同じような感慨がある。
私の場合、20年過ごした制作職場から編集局のある部署に移った。
力ありすぎて疎まれた記者、脾肉の嘆をかこっていた酒豪の中年記者、ニュース現場で他社を怒鳴りつけて、真っ先に好ポジションを確保しに走った写真部のベテラン、そういう中年狼がうようよしていた職場だった。
上司と喧嘩して北陸路の支社に流され配所の月を眺めた経験を持つ人もなぜか私の上司だった。
狼であれ老人であれ、魔力が人間的魅力になっていた人は多かった。
退社した嵐山は退歩的というよりむしろ体力派だ。
還暦すぎてモンブランの雪山を3000メートルぐらいは転ばずに滑れるという。
ママチャリに乗って「奥の細道」全行程をいくたびも走破する。
走破しながら「下り坂」の爽快さを感じる。
その下り坂に退歩人生を感じたのはその後に体験した本人の頚椎捻挫あたりからではないだろうか。
下り坂の悲哀はある。
私の場合も昨秋のアキレス腱断裂で、よかれ悪しかれ、いま下り坂を実感中だ。
「退歩的」とは人生の山坂を歩き登って還暦を向かえた以後の開き直り的な下り坂への生きかたとでもいえるだろうか。
著者は1942年生まれ。私もほぼ同世代だ。
嵐山は「下り坂には花も実もある。断じて悟らず、下り坂をわが道とする」とした。
そして退歩的生活の至福を半ば冗談で「友情、飲酒、隠居、散歩、朝寝」とした。
私の場合はどうだろうか。
冒頭「友情」は、まず異議なしだ。
「好きな時に入れる風呂、昼寝と読書、碁と将棋。野菜作りに土いじり、時々の孫、夕方の肴造り、いくばくかの酒」あたりになる。
全編、非政治的エッセー風の読み物が多い。
ただ、文章に楽しさがあるから飽きずに読める。
冗文、漫文のようで、さに非ず。
「茶髪のねえちゃん 車内でアホバカ電話」
と毒づく一方で、2行の短さで書評が書けるプロの冴えがある。
特に 「退歩」作家たちの死に方、その素顔と本心に迫った章立ては面白かった。
失明を受け入れてなお歌の新境地に挑んだ北原白秋。
52歳で糖尿病、腎臓病を病んだことが失明につながっている。
照る月の 冷(ひえ)さだかなるあかり戸に 眼は凝らしつつ盲(し)ひてゆくなり
すざまじいばかりの冷徹な歌だ。
白秋の場合は、24歳で邪宗門を著し57歳で死んでいる。
自らを狂人、淫乱、遊蕩とした徳富蘆花と兄蘇峰との確執や、病的ともいえる女たらしの宇野浩二が助手の水上勉に口舌筆記をさせてなお小説を書き続けた執念などの話も面白かった。
「屁」話は笑えた。
「握りっ屁は三里臭い」これは深沢七郎のことばだそうだ。
「声はすれども姿は見えぬ ほんにお前は屁のようだ」これが臨済宗の公案であることをはじめて知る。
涼むふりしてれんじにもたれ そっとすかした私の屁
こういう美人も確かにいる。
こうした美人に 欲情すれど執着を持たず、しかし断じて悟らず、下り坂をわが道とする。
これが退歩的生き方ならば頼もしく心強い。
嵐山の「芭蕉の誘惑」は面白く読んだ。昨年好評の「悪党芭蕉」はまだ読んでない。
読後、この本を読んでみたいと誘われた。
(2007年 3月18日 読了)
■■ 記憶書庫 ■■