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広島平和記念資料館に行って来ました 原爆資料館本館がリニューアル 平和は受け身では守れない

2019年04月29日 | 社会・経済
昭和の日・・・広島市民にとっては絶対に忘れられないことがあります。
 
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。

人類史上初の一発の原子爆弾が広島市に投下され、14万人を虐殺・・・今でも放射能の被害に苦しむヒバクシャの人たちがいます。



平成最後の4月、広島平和公園の中心にある広島平和記念資料館がリニューアルされました。
東館のリニューアルに続き、丹波健三設計の本館もリニューアルオープン。

地元では、原爆資料館と呼ばれており、小中学生時代から社会科の学習や総合学習で何度も足を運ぶ博物館です。
広島市民と決して切り離せない特別な施設です。


今回は、一年ほどかけて本館の展示を全面リニューアル。

どんな形の展示になるのか興味を持って入場・・・。
まずは、東館のいつものエスカレータで二階へ。

巨大な円形スクリーンに、あの日の瞬間が投影されます。
まわりは、欧米からのインバウンドのツーリスト、そして全国から来た修学旅行生。



そして、東館から本館に向かう渡り廊下。
急にあたりが暗くなります。

米軍の原爆投下の目標となった相生橋(あいおいばし)。
T字型になっています。
B-29エノラゲイは、この地点を狙って原爆を投下しました。


現在の相生橋。
広電の路面電車も走っています。



リニューアルした本館の展示

被ばくの実相
1.8月6日の惨状
2.放射線による影響
3.魂の叫び
4.生きる


有名な御幸橋西詰の松重美人さんの写真から始まります。
そこからは、写真も撮れないほど、悲惨で悲しい展示が粛々と続きます。
その中心は、こどもたち・・・。
赤ちゃんから小学生、中学生まで、一発の原子爆弾で人生の入口でその生涯を閉じた人たちの遺品と写真が並べられています。
本当に無念だったと思います。
周りでは、金髪の女性や外国人のすすり泣く姿が見えます。



戦争は、絶対にやってはいけない・・・ここは、当たり前の事を改めて体感することが出来る「場」です。


産業奨励館・・・のちに原爆ドームと呼ばれるようになります。
1915年、チェコ人のヤン・レツルによって設計されたモダンな建物だったようです。




カナダから来たという女性から道を聞かれたので立ち話をすると、「オバマ前大統領が来た平和都市だから一度来てみたかった」と話されていました。


東館では、現代の核問題を取り上げています。
タッチパネルで世界情勢を把握することが出来ます。




政治的な立ち位置やイデオロギー、今では宗教対立など、今でも世界中では様々な紛争や戦争、テロが起きています。
米国では今でも原爆投下が戦争終結を早めたと言われていますし、日本では真珠湾奇襲攻撃のことなどすでに忘れ去っています。
人類というのは、なんて愚かな生き物なのかを、まずは自覚することからスタートしなければならないと思います。

ある意味、「平和」は受け身では守れないと考えています。


ベースボールを楽しめる平和な日々。
これを守り続けていかなければなりません。


原爆が投下され14万人が虐殺された広島の街は、焼け野原・・・。
その、わずか4年後に市民球団が結成されました。
プロ野球の全球団中、唯一親会社を持たない「広島カープ」の誕生です。

戦後の復興の中、広島市民の心を支え、そして、広島市民もお金のないビンボー球団を樽募金などで支え続けました。





平和公園。
丹下健三が設計した都市型公園です。
慰霊碑と原爆ドームが、「平和の軸線」上に一直線に並びます。



慰霊碑の向こうに、原爆ドーム。


5月の3日、4日、5日は、平和公園、平和大通りでひろしまフラワーフェスティバルが開催されます。

平和を体感することが出来る広島市民ハンドメイドのお祭り・・・。
パレードやさまざまなブースで平和大通りが埋め尽くされます。

 

単にそこに住んでいる住民ではなく、平和・自由・博愛・平等を志向する広島市民として参加したいと思います。


ゴールデンウィーク、広島にお越しの際には、フラワーフェスティバルとともに、リニューアルした原爆資料館にぜひともお立ち寄りください。
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