能率技師のメモ帳 経済産業大臣登録中小企業診断士・特定社会保険労務士の備忘録

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中国新聞・・・カープの新しいご意見番 プロ野球開幕!「球炎」の執筆記者も変わりました

2020年06月23日 | カープ大好き!

朝起きて最初に目を通すのが、広島の地方紙・中国新聞のスポーツ欄・・・笑。
中でも、カープコラム「球炎」の大ファンです。
カープ愛に溢れる山本修さんや五反田さんの辛口コメントを読むと、気分爽快。

勝っても負けても、カープは人生に彩りを与えてくれます。

プロ野球開幕の翌日の朝刊・・・同じように「球炎」のコーナーを広げると、いつもと違う名前が・・・。
中国新聞社もメンバーの人事異動や世代交代で変わっていっています。
新しい「球炎」担当記者は、川出寿志さん。


「うれしい・・・」で始まる「球炎」は、去年と異なる文体・・・カープ愛に溢れているものの、かなりスイートな文章です。
個人的には、辛口、鋭い切り口が好きなので、もっと突っ込みを入れていただけたらと思います。
川出さんも、新生「球炎」で、カープやカープ女子、カープファンのオピニオンリーダーとして活躍されることを期待するばかりです。
カープとともに、応援しています!

「球炎(当時は、球心)」と言えば、カープ初の番記者、津田一男さん。


「セリーグのお荷物球団」「ビンボー球団」と言われたカープ。

途中、解散の危機、他球団への身売りのピンチを迎えます。


プロ野球の世界で、唯一、親会社を持たない市民球団カープ。
本当にビンボーでした・・・。
カープ結成時、リーグへの加盟金も払えない、選手への給料は遅延、選手寮の家賃や光熱費が払えない、選手は遠征時には満員の汽車の通路に新聞紙を敷いて寝る・・・。

広島市民は、樽募金でカープを支援し続けました。

1945年8月6日、米軍の無差別、原爆投下で14万人を虐殺され、そして、広島の街は焼け野原・・・。

そのわずか4年後にプロ野球の球団を作る・・・。

先を見据えたすごいビジョン、グランドデザインたったと思います。

カープの存在は、広島市民を勇気づけ、復興の底力になりました。

広島市民に希望と勇気をあたえ続けたカープ。

カープは日常の中に、完全に溶け込んでいます。

そのカープが、1975年、盟主・読売巨人軍を破り、セリーグ初優勝。


津田さんは、涙をぬぐいながら、後楽園球場のネット裏で、この名文を書いたという伝説が伝わっています。
「広島の街は喜びの人々であふれていることだろう。よかった。本当によかった。」
ここで、必ず涙が出てきます・・・。


ご紹介させていただきます。

強じんな雑草 いま大輪の花
球心  津田一男

真っ赤な、真っ赤な、炎と燃える真っ赤な花が、いま、まぎれもなく開いた。
祝福の万歳が津波のように寄せては、返している。
苦節26年、開くことのなかったつぼみが、ついに大輪の真っ赤な花となって開いたのだ。
カープは春の初め、はち切れそうなつぼみをつけても、開くことのない花であった。
花の咲かない雑草であった。
来る年も、来る年も・・・
原爆に打ちひしがれた広島の人びとの心のよりどころに、と結成されたカープ。
カープは原爆の野に息吹いたペンペン草、踏みにじられ、見捨てられても、屈することのない雑草であった。


それ故にカープファンは、いつの日か花開くことを夢見て、愛し続けてきたに違いない。
海の向こうからやってきたルーツおじさんは、この雑草を一年間じっくり観察した。
そして、二年目、「咲かせてみせましょう」と乗り出し、入念な手入れをすませると、さっさと帰っていった。
つぼみは日ごとに赤みを増し、生き生きと膨らんでいった。
水枯れの夏にも屈せず、台風の秋にも折れず・・・十月十五日、つぼみはついに真っ赤な花を咲かせた。
なんと長い、待ちに待ったその瞬間であったことか。


宙に浮く古葉の姿が涙にかすむ。
古葉もまた泣いていることだろう。
浩二はお立ち台で、コブシで涙をぬぐっている。
そして外木場が、大下が、三村が・・・
みんな抱き合って・・・
広島の街は喜びの人々であふれていることだろう。
よかった。
本当によかった。
そして、この喜びを、今は亡きカープを愛した人々に告げ、喜びをともにしたい。
カープを、いまわの際まで愛し続けたみなさん、見ましたか、カープのきょうのこの快挙を。
この一年、不撓不屈、明るく勇ましく、一丸となって戦ってきたカープの集約された姿がそこにありました。


強運の大下がたたいた、あの先制点。
この1点、守り切るぞーとまなじりを決して投げた外木場。
あとは任せておけーと不死身の金城。
そして最後にはホプキンスの3ランがついに、ついに、「V1」へのさん然と輝く栄光の橋を手ごたえも確かにかけた。


あの虹の橋を何度夢見たことか。
その虹の橋が、いまはゆるぎない鉄の橋となり、その上で赤い帽子のナインが、涙の笑顔で手を振っている。
幾万ものファンがその下で万歳を繰り返している。
真っ赤な花、炎と燃える真っ赤な花がそれである。


昭和50年10月16日 中國新聞朝刊

津田さん、カープも創立70周年を迎えました。

天国で見守っていてくださいね。

カープ、今日から後楽園球場・・・いや、東京ドームです。
長い長いロードです。
がんばれ!カープ


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