女社長のブログ《伴海日記》

おかげさまで今年は10周年を迎えます
伴海エンタープライズ株式会社の社長であり歌手
浜砂伴海の日記

竹将 by だごふ~ず

2012-04-30 | 宮崎

西都市の「だごふ~ず」代表の伊藤正氏から、素敵なお土産が届いた。

竹の緑も爽やかに、中身は焼酎、味はマイルド。仲間で集まり感動のうちに空っぽに。

摩訶不思議なまろやかなお酒。宮崎県西都市三納の竹に詰められた「竹将」

東北支援で、アイデア抜群のレトルトおこわを開発した伊藤氏は、

飲むこと、食べることが大好きで、研究熱心&遊び心いっぱい、人生心底楽しんでいる、と想像する。

まっこと尊敬しております。

この竹将。自然の竹の肌色も目に楽しいが、生の竹の手触りにまず癒される。

竹なんて、めったに触らないじゃない。いいんだな、これが。

で、焼酎のお味は竹の香りが移って、まぁるい味。なんていうのかな、

口に含むと尖ったところがどこにも無い。

丸くて優しくてふわっとしてて「え?」って感じだけど、シッカリ酔うのであった。

うーむ。憎い奴。これはハマるかも。けど東京には売ってないのよねぇー。。。

 

以下、「だごふ~ず」のサイトより抜粋。

 


超自然派竹焼酎-「竹将」

特徴・・・1.超稀少商品(おそらくほとんどの人がはじめて見る)
      2.焼酎が苦手の人が「素-」っとのめるほど美味しい焼酎
      3.不思議!-どこからどうやって入れたか分からないので飲み座で最高に話題になる!!

今話題の竹に詰めた不思議な焼酎「竹将」です。
生竹に焼酎、日本酒、ワイン等・・お酒を詰めて3日~10日くらいでそれはとても美味しい酒に変身します。
竹の甘みと香りが酒に移りえも言われぬ美味しさ・・一度味わったら忘れられない美味しさです。

 

 

なお、

この商品は、受注生産品であり、当店まで来ていただける方のみの販売になります。

お好みの酒をおもちいただいて当店で竹に詰め替えるものです。 

酒が入ったままでの販売は出来ませんのであしからず・・・とのことです。

 

 

伊藤さーん。ありがとうございました~&ご馳走様でしたぁ~!

東京でも買えるようにしてくださいよ~!!!

 

 

*「だごふ~ず」さんのサイト。美味しそうなものいっぱい → 《だごふ~ず》

 


宮崎(2012/04/17)歌Deli

2012-04-29 | 宮崎

西都市民会館と目と鼻の先の母の実家。

今ここに居るのは、母の叔母さん(私の祖母の弟のお嫁さん)。

おばちゃんは、腰が悪くて私の歌を聴きに来れなかった。

「じゃぁ私が行って歌うよ」これこそ「歌Deli」歌の出前の出番。

「おばちゃん、ばあちゃんの形見の帯だよ」

ドレスに着替えて、PCのカラオケで歌う。

おばちゃん、泣いていた。

この家で、祖母が生まれて、母が生まれた。

畳の部屋。欄間が美しい。仏壇、神棚の前で歌う。

ドレスと一緒に、ばばも一緒に里帰り。

「ばば。帰って来たよ。帰りたかったよねぇ」

おばちゃん、聴いてくれてありがとう。また来るからね。

それまでどうぞお元気で。

 

後ろにひいお婆ちゃんの写真。母と私とばば(ドレス)女四代!?

 

ばば、ありがとう。このドレスを着ると、強くなれるんだ。これからも一緒に居てね。

 
 

*この素晴らしいドレスは、祖母の大正時代の丸帯を使って、

 山田百里恵さんが作ってくださいました。 → 《青山MOMO》

 

 

 

 


宮崎(2012/04/17)西都原

2012-04-28 | 宮崎

西都原:さいとばる と読む。

西都原古墳群。その名の通り、古墳がいっぱい出たところだ。

ここ西都原の菜の花畑にどうしても行ってみたかった。

いつかこのブログでも紹介したモノクロの写真。結婚前の両親が寄り添う、この場所へ。

一面の菜の花・・・という詩を思い出す。写真はモノクロだが、

黄色い花の色と、青い空が見える。若い二人の声も聞こえる。

そして、来てみた。その通りだった。五十年経っても、空は青く、菜の花は黄色い。

若いシャイな父はあまり笑ってないけれど、今母の手の中の父は、ニコニコ笑っている。

 

 

桜の季節は少し前に終わって、ツツジが七部咲き。満開の時は火事のように赤いのではないか?

燃える様なツツジ。若い頃この辺りをデイトした二人の心も、燃えていたに違いない。

 

 

 

 

 

 

 


宮崎(2012/04/17)シーガイア

2012-04-27 | 宮崎

今回の宮崎。伴海社長、予算の関係で相当切り詰めて、

同行者達をこき使って(ごめんよぉー!)のツアーだったのだが、

最後の夜の宿泊はシーガイア。うわぁ。こんなご褒美が待っていたなんて。

従兄弟がこちらに勤めていて、ご招待してくださった。ありがとう!

夜は伯父さん伯母さんと、従兄弟、従姉妹達と夕食いただいて、

素敵な温泉にも入った。海辺の松林の中にある温泉。

海の香りや、松のざわめき、月の光。なんとも言えない空気。

そして良いお湯。「癒し」ってこういうことなんだなぁ。

オーシャンビュウの部屋から、飽きずに海を眺めていた。

つかの間の、満ち足りた気分。

感謝。感謝。

 

 

翌朝の日の出。忘れられない。

 

 

 


宮崎(2012/04/16)撤饌

2012-04-26 | 宮崎

武昭さん。なんてチャーミングな方なんだろう。

(父の尊敬する人をそんな風に言ったら怒られちゃうけど)

本当に魅力的な人だ。お話まだまだ聞き足りないけど、行かねば。

すると、武昭さんがのし紙に筆で何やら難しい字を書き始めた。

読めません。。。「撤饌」:てっせん。

これを神棚にあった「黒霧島」にくるりと巻き付け、くださった。

撤饌とは、神様に献じた飲食物をいただくこと。神様のお下がりの飲食物のことなんだそうだ。

「東京にも黒霧島はあるが、撤饌の黒霧島は何処にも無いじゃろ」

わわわわわわわ。ありがとうございます!

 

のち、仲間が家に来たとき、一升ぺろりと空にしました。

「有り難いお酒なんだから心して飲みなさい!」「ははぁーっ」

と、皆でありがたく頂戴いたしました。

 

もう1本は銀鏡会に持って行こうーっと。

 

 

 

もう1本は、銀鏡会に持って行こう。)

 

 

 

 

 

 

 


宮崎(2012/04/16)宿神三宝稲荷神社

2012-04-25 | 宮崎

銀鏡神社で思いもかけずの大歓迎を受け、身も震えるほどの感動を抱えつつ、

もう一つお参りしたかった「宿神三宝稲荷神社」へ。

この日どうしてもお逢いしたかった「浜砂武昭」氏。私の父の最も尊敬する人物だ。

彼は、銀鏡神楽を支える長老、銀鏡神社の権禰宜であり、その境内外末社宿神社の神主なのである。

武昭さんは、銀鏡神社でスーツをお召しで、私たちを迎えてくださったのだが、

私たちが宿神社の方へもお参りに伺いたいと言うと、急いでお戻りになり、

着替えて待っていてくださった。そしてこちらでも、またもやご祈祷いただいた。

そしてその後、時間の無い私たちに、「直会(なおらい)だけでも」と

お神酒をすすめてくださった。それがなんと、芋焼酎。

(このあたりでは “酒” と言ったら芋焼酎。お神酒もだ。日本酒のことは “清酒” という)

しかも、その一升瓶のラベルには『逢初』と書かれているではないか。

そう、本番当日、楽屋で歌う直前に飲んだ。。。

「ああ。あれは飲んで良かったのだ。運命だ」と妙に納得。

 

そして武昭さんのお話。面白くて、興味深くて、感動したり笑い転げたりしながら、

ああ。時間が足りない!もっと聞きたい!

銀鏡神楽を取材する方や、雑誌編集者皆さんが、武昭さんを頼りにしてやって来る。

そしてきっと彼の話に夢中になるだろうことが想像出来る。

つい先頃、雑誌SWITCHでの特集は素晴らしい。見応え、読み応えがある。

女優の山口智子さんの文章も素晴らしいが、写真家「川内倫子」氏の写真が良い。

実は私は目を疑った。倫ちゃん。。。もうずいぶん昔の友達。

宮崎、感動の旅先で、彼女の名前を見て、また感動。

 

武昭さんが私の歌を聴いている時、父の顔が浮かんで、泣けて泣けて仕方なかったそうだ。

そして、私から強いエネルギーを感じたのだそうだ。

「ものすごい波動じゃった」

何よりの、お褒めの言葉です。そして私の声は、宇宙まで、天国まで、通じたのだと、

亡くなったひと達にもちゃんと届いたのだと、言ってくださった。

涙が止まりません。

 

 

 

こちら雑誌「SWITCH」 →『SWITCH TRAVEL ISSUE』

武昭さんが記念にくださった。すかさず「サインください!」と私。

ご丁寧に書いてくださった。ありがとうございます!

 

 

川内倫子氏の写真が幻想的。

 

武昭さん。。

川内倫子個展。行かなくちゃ。

「照度 あめつち 影を見る」5月12日(土)~7月16日(月・祝)会場:東京都写真美術館(2階展示室)

 

 
 

 

 

 


宮崎(2012/04/16)銀鏡神社

2012-04-24 | 宮崎

銀鏡神楽の祝子(ほうり)さん達が私の歌を聴きに駆けつけてくださり、

素敵なお花まで頂戴し、是非お礼のご挨拶に伺わねばと向かった銀鏡神社。

東米良の銀鏡・・「しろみ」と読む。

「コノハナサクヤヒメ」は絶世の美女であった。

その姉妹である「イワナガヒメ」は、残念な容姿であった。

彼女は鏡に映った我が身を嘆き、その鏡をぽーんと放り投げたそうな。

その鏡は遥か龍房山の麓まで飛んで行き、その辺りは白く光って見えたそうな。

白く見えるから「白見」イワナガヒメが投げた鏡が「銀の鏡」だったので、

この辺りを銀鏡「しろみ」と呼ぶようになったそうだ。

そして、銀鏡神社のご神体はこの鏡なのだそう。

こちらで毎年12月に行われる祭・・・「銀鏡神楽」は、

国の重要無形民俗文化財に指定されている。

父と行きたいね、行きたいね、と言いながら、行けなかった。

そうしたら「銀鏡神楽」が去年6月に東京に来た。

国立劇場で、父と一緒に感動を共に、観た。素晴らしかった。

打ち上げでは私も歌い、さらにその後、父と銀鏡の方たちと焼酎を浴びるほど飲んだ。

良い思い出だ。ちょうど一ヶ月後に、父は亡くなった。

知っていたかのように。神楽が東京に来てくれた。

その時から私は、ただならぬご縁を勝手に感じている。

長い長い階段を上って、銀鏡神社につくと、なんと皆さん待っていてくださった。

何の約束もしていないのに。しかも、宮司さま烏帽子までつけられて。

禰宜さまによる太鼓が鳴り響く。ご祈祷してくださるなんて、夢にも思わず。

太鼓の音、宮司様の声に、感動で打震えていた。

さらに集まってくださった皆様から、温かく力強い励ましの言葉。

涙。身に余る光栄です。ありがとうございます。

 

こちらが銀鏡神社の「元宮」の一部。

ご神木に抱きついたら、びりびり感じた。

ああ。私はこの山を知っている。

体の中に、血の中に、しっかりと記憶が刻まれている。

どうしてもっと早く来なかったんだろう。

 いや。今だから来れたのだ。

今だから、呼んで頂けたのだ。 お導きに感謝します。

 

 

 


宮崎(2012/04/16)米良へ

2012-04-23 | 宮崎

本番無事終わり、打ち上げでしこたま飲み、フラフラなのだが翌朝無理矢理起きて、

いよいよ父の故郷「米良」へ。秘境とも言うべき山の懷深く進む。

急げ。交通規制有り。時間を過ぎると通行止めになってしまう。

頂いたお花を宅急便頼んだりしてたら、ヤバい。間に合わないかも。

山道(と言っても私の記憶にある道とは全然違う、ずいぶんきれいだ)を

ぐんぐん飛ばして、やった。ちょっと過ぎてたけど無事通過。

ダムで出来た湖や川の水の色、新緑のグラデーションに泣きそうになる。

子供頃いつも車酔いして、山の色など見る余裕も無かった。

しかし今目に映る美しい山は、まさに神様を感じる。

美しくて、有り難くて、拝みたくなる。

一つ一つの山、一本一本の木、ひと枝ごと、一枚の葉ごとに、

それぞれの緑色。そこに里桜の花の色。ああなんて綺麗なの。

25年ぶりの父の家。お墓参りしたら涙が止まらなかった。

土間に立つと懐かしい匂い。そうだ。この匂い。

神棚を拝む。父の遺影をしばし置く。祖父母の懐かしい写真。

「じいちゃん、ばあちゃん、ただいま」

 

お墓参りして、さらに銀鏡神社へ。そこでまた大感動なのであったが別頁で。。。

 

そしてその後、おじちゃん、おばちゃん達と「西米良」の温泉へ。(うちは東米良)

カリコボーズの湯。カリコボーズって「河童」のことなんだって。

色々伝説が有るみたい。カリコボーズに声かけられても返事しちゃいけないんだって。

時間が無くて私たちは温泉は入れなかったけど、今度来たら絶対おばちゃん達と入る!

皆でお食事。美味しいね。車酔いも(二日酔いも)治っちゃった。

おじちゃん、おばちゃん。ありがとう。

お父さんがいたらなぁ。。。

 

 

 

 

 

 


宮崎(2012/04/15)

2012-04-21 | 宮崎

お昼過ぎに市民会館へ。楽屋に西都市長が訪ねてくださった。

去年の国立劇場での「銀鏡神楽」公演のとき以来だ。

お忙しいのにありがとうございます。

お弁当は殆ど食べれず。お化粧して、つけまつげon、着替える。

祖母の形見の帯で作ったドレス。勝負服。ここで着ないでどこで着る。

祖母(母も)の生まれた家は、この市民会館の目と鼻の先。

「ばば、観ててね。聴いててね」鏡に向かって言う。

 

出番近づく。首がガチガチ。肩パンパン。

うう。寝ときゃよかった。でももうしょうがない!

ふと「逢初」が目に入る。「逢初」の囁き。「逢初」の手招き。

ごく自然に手が伸びて、コップ酒。じわぁーっと体がほぐれる。

「よっしゃ!」気合い入る。

 

舞台袖。いつものように、手のひらに「人」を書く。「人」を飲む。

何回繰り返したかな。ステージへ出て行くと、体中に力が湧いていた。

集中。シンガーズ・ハイな私。嬉しい。心の中で「パパ!」と叫んでいた。

客席から「ともみ!」と声がかかった。伸び伸び。伸び伸び歌えた。

ありがとう。一生に一度、こんな日があるものかと思うほど、

感激しながら歌ってた。声が会館中に響いた。

父、祖母、ハナエさん、いろんな人の顔が浮かぶ。

きっと天国にも聞こえたね。

守ってくださった皆様、ありがとう。

 

今「銀鏡神楽と歴史」の本を執筆編集中の、須藤功先生(民俗学写真家)が、

銀鏡神楽の祝子(ほうり)さん達と駆けつけてくださった。

写真も撮ってくださり、感激。ありがとうございました。

 

 

Photo:須藤功

いとこの娘ちゃんがお花くれた。嬉しかった!ありがとう!

 

2012/04/15 西都市民会館 歌謡祭ゲスト浜砂伴海

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