女社長のブログ《伴海日記》

おかげさまで今年は10周年を迎えます
伴海エンタープライズ株式会社の社長であり歌手
浜砂伴海の日記

東京の真ん中で

2018-04-27 | 美風景

2018/4/26 日比谷《松本楼》

MERCI 大好きな場所。森の中のお食事会。葉の緑と空の青。土と木の匂い。

東京の真ん中でエナジー補給。悲しいことが続いたので、ちょっと休憩。


12月、おついたち

2017-12-01 | 美風景

澄んだ空気。庭の紅葉が赤いこと!春の桜もいいけれど、秋もいいの。

でも、今までこんなに燃えるように赤く色づいていたことがあったかしら。

それとも、私が燃えているのかしら。

おついたち。うちのラックの上のなんちゃって神棚を掃除し、

綾瀬のお稲荷様へお参り。

今年11ヶ月、お守りいただきありがとうございました。

あとひと月。どうぞよろしくお願いいたします。

12/9の「ふたりのピアフ」何卒、何卒、お守りくださいませ。


美・箱根

2017-11-16 | 美風景

2017/11/15 誕生日のもう一つのお祝い。二日遅れで箱根へ。

箱根は紅葉であちらこちら、燃えるようだった。

多忙な11月。それでも、大好きな成川美術館。今年も来れて嬉しい。

夕方の富士山にかかる雲はバラ色で、しばし時を忘れ見とれていた。

じわり、と優しさに包まれる感覚。神様、ありがとう。


朝比奈峠

2017-08-20 | 美風景

清水先生の命日。思い立って、鎌倉霊園まで。

清水未子先生。私の声楽の先生、人生の師である。ここ数年お参りしてなかった。

金沢八景からバスで向かう。なんだか懐かしい。朝比奈峠で降りる。

霊園内の風景が変わっていた。芝生だったところも整地されて、

一瞬、たどり着けるのか不安になる。

が、お導きなのだろう。気がつけば先生のお墓の前に。

と同時に、涙が溢れ出し、胸が苦しくなった。

お掃除をしながら、汗と涙が、滝のように流れ、手元足元に落ちた。

先生の好きな、レモンティーと、チーズケーキ。

あらためて手をあわせる。話したいことがいっぱい。とりとめもなく話す。

峠を渡る風は、少し熱を帯びていて、蝉時雨が響き、珍しくトンビはいなかった。

私は、先生に教わったことをコアに、今も歌っています。

そして、歌い続けていきます。

どうか、見守っていてください。

 

 


柴又の花火

2017-07-25 | 美風景

2017/07/25「柴又の花火」

柴又は「矢切の渡し」そばのZakkacafe 《野道》の3階特設会場にて、花火を満喫。

天気予報は嫌な感じだったけど、雨も降らず大満喫。

野道さんのおかげで、特等席で鑑賞出来ました。嬉しい。

去年は音声障害で、一人寂しく遠くの花火の音だけ聞いていました。

花火はやっぱり見るもの!

ありがとう。花火師さんと野道の皆さん。



謹賀新年

2016-01-01 | 美風景

あけましておめでとうございます。

晴天の元旦。氏神様にお参り。素晴らしい青空。

天晴と書いて「あっぱれ」と読むなんて、いいな。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

世界の平和と、皆々さまのご健康、ご多幸をお祈りいたします。

2016年 元旦

浜砂伴海 拝


happy birthday

2015-11-13 | 美風景

2015/11/13《Tokyo Skytree》happy birthday

あの街の、あの径の、あの角を曲がったあそこから、始まったんだなぁ。

飽きず眺める東京の街。スカイツリーに来て今年も思う。

元気でこの日を迎えられたことに感謝します。

ありがとう。Merci beaucoup !!!

 

 


一並びだから、歩く

2015-11-01 | 美風景

さぁ、11月だ。一日だ。一並び。何かを始めるには良いきっかけ?

何かと三日坊主の私が、じゃぁ、今日からまたやろうと思った、ちっちゃなちっちゃな事柄三つほど。

その中の一つが「散歩」。今日はお気に入りの公園に久々に来てみた。

忙しくなると、歩かなくなるじゃない。だめだめ。

ウォーキングというほどしっかりではないけど、

ゆるく、ゆるーく、長ーく毎日続けるには「散歩」かな、と。

歩きながら色んな考えをまとめたり。ダイエットには効かないだろうけど...

やる。やるよ。


COCO FARM & WINERY

2015-10-12 | 美風景

素晴らしい秋晴れ。忙しい日々をくぐり抜け足利へ。目の前に高く広がる葡萄畑。

「こころみ学園」園生達の手によるワインと、美味しい空気と景色に、身も心もリフレッシュ。

優しいお味のお料理と、美味しいワイン。人々の笑顔。木漏れ日。ああ、命の洗濯。ありがとう。

*こころみ学園*

1958年 当時特殊学級の教員だった川田昇氏と、特殊学級の子供達が中心となって作業にあたり、

2年がかりで勾配38度の急斜面3ヘクタールを開墾。