特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
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第364話 誘拐・天使の身代金!

2007年11月18日 22時41分29秒 | Weblog
脚本 宮下潤一、監督 宮越澄

小学生が特命課を訪れ「友達が女の人に誘拐された」と訴える。友達とは財閥家の一人息子。慌てて財閥家を訪れる特命課だが、父親は「息子はハワイに旅行中だ」と否定する。
その夜、一人の男が心臓麻痺のため路上で急死した。男の所持していたテープには、誘拐されたと思しき子供が親に助けを求める声が録音されていた。特命課では、やはり財閥家の息子が誘拐されており、親が警察に黙って犯人と接触しているのだと推測。テープを解析したところ、波の音ととも沖縄の子守唄が確認される。また、死んだ男も沖縄から上京したばかりだと判明した。事件の手掛かりを求めて、桜井と紅林は沖縄に飛ぶ。
男が働いていたバーを訪ねた桜井は、そこでホステスとして働く女に目を止めた。桜井と女の出会いは2年前。当時、警察病院の看護婦だった女は、乳児を残して自殺を図る母親を説得した。その現場に居合わせた桜井は、子供を蔑ろにする親への怒りを露にする女の姿に、強い印象を抱いていた。
航空会社から、この数日間に子供連れで沖縄に到着した乗客リストを入手した桜井は、そこに女の名前を発見。連れていた子供の名は財閥家の息子と一致した。半信半疑ながらも女を尾行する桜井。女の部屋には、無人のベビーベッドの前で黙したままの妹がいた。自我を失った妹を献身的に世話する女に、桜井は「君は財閥家の息子を誘拐し、男を使って脅迫させた」との推測をぶつける。だが、女は「何の証拠があるんですか?」と突っぱねる。
一方、東京では小学生の証言から、女が誘拐犯だとの確証を得る。財閥家の夫妻も沖縄に向かったとの情報を得て、吉野一人を残して神代らも沖縄へ。観光地を巡りつつ、誘拐犯からのメモを受け取る父親を発見する特命課。なおも誘拐を否定する父親を説き伏せ、メモを確認したところ、そこには「探し物は造成地に埋葬済み」と記されていた。造成地に向かうと、そこには十字架が。慌てて掘り返した特命課は、ランドセルを発見。中には「もっと苦しめ」とのメッセージが。
息子の身を案じて泣き崩れる母親。一方で、父親は女の顔写真を見せられても「見たことも無い」ととぼける。夫妻が赤ん坊を連れて来ていることに気付いた特命課は「財閥家には誘拐された息子以外に、子供はいなかったはず」と不審を抱く。桜井は「その赤ん坊が妹の子供ではないか」と直感する。
東京に残った吉野の調査で、真相が明らかになる。妹は財閥家の父親と不倫関係の末に、子供を授かった。だが、財産の流出を恐れた財閥家に子供の親権を奪われ、絶望した妹は自殺を図り、その後遺症で自我を失ったのだ。「子供を誘拐して何になる?子供を返して、赤ちゃんの親権は改めて裁判で争え」必死に女を説得する桜井。だが、女は妹を地獄に落とした財閥家への恨みを消すことはできず、妹とともに逃走する。
父親は取引に応じるかに見せかけ、女の殺害を図る。息子の命よりも金を重視する父親の姿に絶望した母親は、特命課に助けを求める。間一髪のところ女を救出する特命課。そこにヘリが現れ、中からは桜井とともに、わが子を抱いた妹が。その姿を見て、女はようやく子供の居場所を告白する。
こうして、子供も赤ちゃんもそれぞれの母親の元に戻った。だが、育児能力を持たない妹に、子供を育てることなど望めない。暗澹たる思いの桜井が見たものは、わが子のために子守唄を歌う妹の姿だった。「きっと、彼女は治る」桜井の言葉に、女は涙ながらに頷くのだった。

沖縄ロケを記念して、オープニングの映像やナレーションも特別バージョンの一本。吉野(と幹子)だけがお留守番なのですが、それを良いことに、オープニングで課長の椅子にふんぞり返る吉野の姿に爆笑。
地方ロケといえば、必然性のない観光地巡りに嫌気がさすのが毎度のパターンですが、今回はそれほど過剰ではありません。ただし、舞台が沖縄であることに何の必然性もないのは、やはり残念。また、ドラマが普段以上に濃密過ぎるせいか、どこか急ぎ足で落ち着きの無い印象のも残念です。女や妹に感情移入する前に、どんどんドラマが展開していくので、さほど印象には残りませんが、脚本的にはなかなか秀逸ではないかと思います。
一家心中で両親を失った姉妹がたどる皮肉な運命。両親に殺されかけたトラウマから、誰も信じることなく荒んだ生活を送っていた妹は、初めて愛した男に裏切られたショックで自我をも失います。一方、家族のつながりを人一倍に大切に思っていたはずの姉は、妹の復讐のために、子供を誘拐するという非常手段を選びます。見るからに救いのなさそうなストーリーを、ぎりぎりのところでハッピーエンド(?)に落とし込む構成は見事。誘拐された財閥家の息子が沖縄暮らしに馴染んで東京に戻るのを嫌がるところや、犯罪行為と知りつつ息子を預かっていた老婆の清々しい振る舞いなど、細かなところまで目配りが行き届いているだけに、いっそ前後編でじっくり描かせてあげたかった、と残念に思われてなりません。
ちなみに、『刑事マガジンⅤ』に掲載された宮越監督のインタビューによれば、脚本時のタイトルは「南から届いた子守唄」。どう考えても原案の方が良いと思うのは、私だけでしょうか?

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