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【絵本から専門書まで】 塾講師が、生徒やご父母におすすめする書籍のご紹介です。

『現在の教育問題 (いじめ ・ 自殺 ・ 高校未履修問題 )』 

2006年11月11日 | コラム・備忘録
  

■この記事は、私が 当教室 のメルマガ今月号に寄稿したものです。拙文ですが、お読みいただければ幸いです■



 センター試験まで、あと70日ほど、こんな時期になって大変な問題が起こりました。

 いじめによる生徒の自殺もショッキングですが、世界史や家庭科などの履修漏れ問題が、全国の高校生を襲いました。悲惨にも、この問題が、二人の校長の自殺という事態にまで発展してしまいました。


間違いなく、日本の教育史に大きな汚点を残す事件です。


 根の深い、信じられない規模の不正です。“履修もれ”というといかにも、記入もれなどと同じで、過失、つまり単なる不注意に聞こえますが、実際は意図しておこなったわけですから、履修義務違反事件、犯罪ともいえます。

 自分は知らないまま、必修科目の未履修があるとわかった高校3年生の諸君には、気の毒としか言いようがありません。

 本来なら、このメルマガで特集でも組んで、丹念に継続的に情報を集めなければ、この全貌は把握できませんが、とりあえずここまでの感想を述べます。



 まず自殺をされた校長先生がいる一方で、いまだに未履修に対して知らん顔を決め込んでいる学校があります。生徒たちは自分自身が世界史や家庭科の授業を受けていないのを知っていますから、彼らに“一緒にだまっていよう”と言っているに等しいわけです。最低の教育です。

私が直接生徒に聞いただけで、5校もありますから、全国ではどれほどあることでしょう。


 こういう学校では、“君たち生徒のために”、と言いながら、実は校長の立場や自分の組織を心配しているだけ。

 推薦書類や内申書で、また教育委員会に虚偽の報告という犯罪を、生徒と一緒に隠すのです。これでは、正直者はバカを見て、“ウソをついた方がトク”という教育ですから、まじめに規則を守っていた高校はだまっていられないでしょう。


 ただ、それにしても未履修の学校が多すぎます。私がゆとり教育導入に反対した理由の一つは、公立の小中高校の学習内容を減らす一方で、逆に国立大学の受験科目を増やすという、明らかに矛盾だとわかる政策だったことです。


 そんなことをすれば、ますます学校と受験の実情が乖離し、高校の授業は、進学希望の生徒の興味を失うものになると指摘しました。その通りになりましたが、それを受けて、学校は正当な努力をするのではなく、虚偽の報告という不正手段に訴えたわけです。


 言い換えますと、現場を知らない文部科学省や教育委員会の指示など、高校側から完全に無視されていたということになります。文科省は、学校を“指導する”、校長を“教育する”などという前に、自らの体質やその政策を反省する必要があります。


 どっちもどっちというのがこの問題の本質。日本の教育界の一番の問題点は、責任が明確でないことです。学力低下問題や、ゆとり教育の問題にしても、誰も結果に責任を負いません。生徒が自殺した事件でも、“いじめ”を隠そうとする教育委員会や学校側の態度は許しがたいものでした。


 自殺の原因を“いじめではない”とすることで、校長や教育委員会の責任のがれになりますが、同時に、いじめをした生徒を罰したり、再教育したりすることもできなくなってしまうのです。もちろん教員も処分されません。

 子どもの命が絶たれているのです。それでよいはずがありません。


 今度の未履修の責任はどうなるでしょう。文科省は、補習は70時間や50時間でよいなどと言っていますが、自分たちの監督責任について、私の知る限りは言及していません。


 ウソの申告をした校長らは罰せられるのでしょうか。また、校長一人で時間割を組めるはずがありません。教頭、教務主任など、時間割にかかわった連中も知っていたはずです。

 しかし、おそらく補習さえすれば、それ以上の責任追求はないでしょう。卒業生に対する補習など、現実的ではありません。


 では誰が責任を取るのか、よく考えてみて下さい。大人たちの責任逃れのあげく、結局、今年の受験生に、“補習”という形で、すべての責任を押し付けてしまうことになりませんか。

 現役生が一番伸びる今、受験と関係のない授業を何十時間も聞かされるなど、たまったものではありません。そして、それをすべての免罪符にするなど、とんでもないことです。


 本来なら、補習ボイコットをしても良いくらいのひどい話です。ところが制度上、受験生は逆らえませんね。単位をもらわなければ大学受験資格がありませんから。

 福岡で自殺した中学生も、先生にひどくからかわれていましたが、絶対評価では、内申書が先生の印象で左右されてしまう以上、やはり逆らえない、この構図とだぶりませんか。


 最近、繰り返し報道された、文部科学大臣に対する自殺予告の手紙、以前にもあり、嫌がらせなら卑劣この上ない出来事ですが、そうした理不尽な制度に対する、子ども自身の心の叫び、あるいは反乱ではないかと感じています。“学校に行きたくない!”という意味の…。


 このように、今回の一件も、教育界の人々の無責任さが露呈されてしまいました。今の時点での解決策では、自殺も無くならないし、この無責任体質も温存されてしまうでしょう。こんな空気の中でまともな教育がなされているとは到底思えない、非常に残念な事件でした。

 まずは、文部科学省は解体的出直しを図る以外ないと思うのですが、いかがでしょうか。



■P.S.■ ここで終わると、身もふたもないので、長くなりますが、最後にひとつ、ちょっとだけ良い話を…

 毎年、東大・京大合わせて150人ほども合格者を出している、日本有数の進学校、灘高校。その灘の高3の英語教諭である、木村達哉先生と私は親しくさせていただいております。が、残念なことに、灘高でも家庭科などで、履修漏れが発覚しました。

 それが報道された直後、私は、木村先生が出版物の打ち合わせ中にもかかわらず、

“木村先生のフェアプレー精神を信じたい。すぐに、ブログで事実を公表して、お詫びのメッセージを出していただきたい”とメールをし、数回やりとりをさせていただきました。

 何と言っても、灘ですから、注目度が違います。週刊誌もテレビ局も遠慮なく、学校、生徒に寄ってきます。下手な対処をすれば、木村先生のブログが炎上するリスクもあります。

 やや逡巡されたかもしれませんが、木村先生は翌日すぐ、履修漏れの事実の公表と、自らの認識不足に関し、真摯なお詫びの記事をブログに出して下さいました。

 そうした先生もいるのだということもお伝えしておきましょう。


■■■ 以上です。







http://tokkun.net/jump.htm



このブログを読んでいただいている方はご存知だと思いますが、木村先生とはもちろん、キムタツ先生のことです。それにしても、こういう声が普通だと考えます。もちろん自分が世間一般を代表するなどと、大それたことは思っておりませんが、そういう意見が大きくならないこと、また“学校に勤め、先生と呼ばれる立場にある人々”が保身に走り、事件をごまかそうとする態度に、正直、苛立ちを覚えます。


長々と最後までお読みいただき、ありがとうございました。こういう声を大きくするために、できましたら、下のテキストバナーに賛同のクリックをいただけると大変ありがたいです。どうかよろしくお願いします

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【溝口敦氏の長男、刺される!】

2006年06月02日 | コラム・備忘録


昨日の夜、アクセス解析を見ておりますと、驚くほど、溝口氏の著作にアクセスがありました。あまり一般的な本ではないので、嫌な予感がして、すぐに何かあったと思いネットで検索してみると、不安が的中してしまいました。

武富士 サラ金の帝王

講談社

詳    細

食肉の帝王―巨富をつかんだ男 浅田満

講談社

詳     細  

 ■産経新聞より一部抜粋■

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暴力団関係の著作で知られる作家、溝口敦さん(63)の長男(33)を刃物で切りつけてけがをさせたとして、警視庁組織犯罪対策4課は傷害の疑いで、指定暴力団山口組系の元暴力団員、上野孝夫(53)=東京都日野市=と上野浩(43)=同=の2容疑者を逮捕した。
溝口さんは、長男が刺される直前に月刊誌に発表した山口組の記事で、暴力団側から「事実と違う」と訂正を求められており、記事に反発し、いやがらせで長男を切りつけたとみて、背後関係を追及している。

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溝口氏がどういう記事を書き、暴力団がどう反応したのか、何もわかりませんが、そういう問題ではなく、これがどれだけ卑劣で重大な事件かということは、私が申し上げるまでもないでしょう。

以前ご紹介した会田雄次氏は、どの著作か忘れましたが、以下のような主旨のことを語っていたと思います。

日本は平和で、治安が良い、と世界にいばっているが、日本ほど小さな暴力やイジメがはびこっている国はなく、役人なども和を尊ぶというが、実際は臆病なので、くさいものにはフタをし、見て見ぬふりをしてしまう。”

おそろしい、正直、私もそう思います。しかし、こういう事件で、巨悪に立ち向かうジャーナリスト、はもちろん、小さな悪にも声を上げる普通の人が少なくなってしまうのではないかと心配です。

今日は、別の書籍をご紹介しようと準備しておりましたが、こういう事件をブログに記録し、命がけのジャーナリスト、溝口敦氏の勇気をたたえるために、もう一度、私の読んだ溝口氏の本をブログに掲載することにしました。よろしければ、リンクの記事もお読み下さい。

  食肉の帝王』  日本を代表する食肉取り扱い業者ハンナングループの総帥、浅田満氏の闇に迫りました。

   武富士サラ金の帝王  サラ金と銀行の癒着を告発し、消費者金融経営者の実像を赤裸々に描きました。


産経新聞には溝口氏の事件に対するインタビューも載っておりますので、抜粋させていただきます。


■ 産経新聞より一部抜粋■
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--事件をどう思うか
   「言論への挑戦、しかも無関係の家族を狙うという悪質な犯行であり、許せない」  

--長男のけがは
   「ズボンのポケットに入れてあった財布に刃物があたったので、幸いにも軽傷ですんだが、刃物は財布のクレジットカード数枚を貫いており、一歩間違えば重傷だった」  

--動機は何だと
   「私の著作への反発である可能性が高い。事件前、山口組の組長交代に関する記事を月刊誌『現代1月号』に掲載したところ、組関係者から『事実と違う』と抗議があり、会って話し合ったばかりだった」

--ほかにも抗議は
   「昨年10月には、別の記事の件で複数の組長らから抗議を受けた。話し合いで解決したと思っていた。事件は寝耳に水の思いがした」

--溝口さん自身、平成2年に襲われたが
  「同じ言論に対する挑戦でも、今回は本人以外を狙ったということで、より悪質だ」  

--最近の暴力団犯罪をどう思うか
   「無関係の家族を襲うなど考えられないこと。同居していない息子の住所をどうやって突き止めたのか。時代とともに暴力団犯罪の形態が巧妙で悪質になっていると思う」

--今後の著作への影響は

   「それはない。ショックを受けなかったといえばうそだが、幸いにも家族に精神的ダメージはないようだ。私の著作に批判があるなら、私に直接言ってほしい。私は批判に対し、直接話し合うなど真摯(しんし)に対応してきたつもりだ。今後もその姿勢を変えないし、暴力で筆先が曲がることはない


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以上です。
武富士 サラ金の帝王

講談社

詳    細

食肉の帝王―巨富をつかんだ男 浅田満

講談社

詳     細  

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灘高・キムタツこと木村達哉先生:リスニング3部作

2006年05月27日 | コラム・備忘録


“灘高キムタツ” こと、木村達哉先生とは、このブログで、私が木村先生のご著書を取り上げたのがご縁で、それ以降、こちらだけでなく、『灘高キムタツのリスニング日記』 という先生のブログでも意見交換させていただき、私は勉強させていただいております。


木村先生はマスコミにも頻繁に登場される、ビッグネームです。本を書き、インタビューを受け、もちろん灘中、灘高での授業や学校行事もあるという、超多忙なお方です。


そんな中でも、私のブログに注目いただき、小学校英語に対する、私のコラムにまで、ご自分のブログで、言及して下さいました。お礼の申し上げようもございません。


ちなみに木村先生の 『灘高キムタツのリスニング日記』 は、大規模なブログランキングの教育・学校部門でダントツの1位という、とても影響力の大きいブログです。
(私のブログは読書部門の30位くらい、ハハ…)。


木村先生は茶髪で、私は、茶髪よりはスポーツ刈りの方が好きなタイプの人間ですが(笑and失礼)…、(茶髪とは関係ありませんが)、木村先生のフェアプレー精神には頭が下がります。

ご自分の著書に対する、私の批判めいた指摘にも、灘高の授業の進め方などを参考に、真摯な態度でご回答をいただきました。使い方や出版事情などを含めた説明までも。

私の、木村先生のテキストに対する詳しい書評は、以下のリンクでご覧いただければさいわいです。木村先生のコメントも合わせてお読みになれば、木村先生のお人柄が、お分かりになると思います。


今日はお礼もこめて、もう一度、木村先生のリスニングテキスト、3冊をご紹介させていただきます。



灘高キムタツのセンター試験英語リスニング合格の法則 (基礎編)

アルク


詳細を見る


灘高では、高2の夏休みくらいから始め、2学期いっぱい、徹底したディクテーションを繰り返すそうです。決して短期間でやるわけではないのです。 

灘高キムタツのセンター試験英語リスニング合格の法則 (実践編)

アルク

詳細を見る

 こちらは、2年生の冬休みから3年生のはじめまで。基礎編と併用すれば、センター対策としては、充分おつりがきます。気合の入った一冊です。


灘高キムタツの東大英語リスニング

アルク

詳細を見る

東大受験生なら、ぜひやってもらいたいのですね。当教室の生徒たちにも薦めております。私は、topic の新鮮さから、読解用としても使いたいとコメントしたら、木村先生は“?”という反応でした(笑)。

以上です。


木村先生ありがとうございました。ますますのご活躍、そして、リスニングだけでなく、気合の入った読解や文法のテキストが出版されること、心から望んでおります。今後ともよろしくお願い申し上げます。

VIVA


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英語リスニング東大 灘高キムタツ


コラム 『英語を子どもに教えるな』市川力

2006年05月19日 | コラム・備忘録

書評として当ブログを見ていただいている方には、おきて破りで申し訳ないのですが、もう一度本書をブログに掲載します。というのも、さきほど、フジテレビのニュース番組の特集で、市川先生のお姿をはじめて拝見し、また、もう一つ、たまたま今月の当教室のメルマガに小学校英語について、私がコラムを書いたばかりで、私の意見をブログに残しておきたいためです。明日はきちんと別の書評を載せる予定です。


本来の本書の書評はこちらにあります。ご覧いただければさいわいです。




『小学校の英語必修化について』
                    
英語学習は早ければ早いほど良いとお考えになるのは理解できます。しかし英語や英語教育に関しては、『通説』を通り越して、ほとんど『神話』と言っても良いほどの誤解があることを、まずは確認していただきたいと思います。

よく言われる“中高大学と10年間英語をやっても、しゃべることができない”、という言われ方です。“アメリカなら5歳の子でも流暢に話すのに…”というやつですね。そう言いたい気持ちはわかりますが、的外れです。

これを聞くたびに私は漢文の例を出すのですが、“返り点、一二点”などを駆使して中国人にはまったく伝わらない読み方を発明し『師いわく…』などと日本語に“読解”し、味わい、そこから何かを学んできたのが日本人です。漢文は読めても話せないではないかという批判は聞きませんし、英作文ならぬ『漢作文』など入試でお目にかかりません。

英語も同じです。大学入学後、英語で専門書を読むのが目的ですから、大学が求めているのは読解力。入試にリスニングなどを課す大学がいまだに少数なのはそのためです。発信型の英語ではないのですから、話せなくて当然なのです。外国のことを学ぶため、昔は漢文、明治以降は英語を正確に読み、知識を吸収することによって、驚異的な成長を遂げてきたのです。

話せないかわりに、日本のトップレベルの大学受験生は、欧米の標準的な18歳よりも難しい英語を読むことができます。外国人に入試問題を見せると一様に驚きます。“本当に日本の18歳はこの英語を理解できるのか”と。そういう時には、『当然だ、難しくない』と答えることにしています(笑)。

また、日本人の英語力がトイックなどの国際比較の点数でアジア最低と言われる時に、必ず付くコメントが、『文法はできても生きた英会話ができない』という英語教育に対する批判です。これは英語の専門家の中にもかなり蔓延しているひどい誤解です。日本人の点数が低いのは、会話ではなく読解です。

実は今の日本人は国際的に見ても会話はできるのです。得意であったはずの読解ができないために、点数が下がっているのです。

以上のようなことをふまえて、小学校ではどうするべきかを論じてもらいたいのです。現状分析を誤っては、対策も的外れになります。といってももう紙幅がありません。小学校の英語必修化の問題点をあげておきます。

①教える人:小学校の先生方が担当されますが、英語を教える経験も資格もありませんから、ネイティブスピーカーが補助をします。ALTと呼ばれる彼らは、ほとんどが子どもに教えた経験すらない、アルバイトの人々です。

②統一性、効果と評価:『日本教育新聞』の数多くの例を見ますと、各小学校、進め方はバラバラです。近くのアメリカンスクールと交流するというものもあれば、毎日、英語に時間を割いていたり、劇をやったり、歌を歌ったりなどなどです。これでは結局、効果を比較できず、良し悪しの評価も定まりません。

③連携:一方、中学英語は何も変わらず、1年生として同じ中学に入学してくる別々の小学校の出身者の英語をどう扱うべきか苦慮します。ちょうど、ゆとり教育でも、公立校の学習内容が減っても、大学入試レベルが変わらないために、高校・大学の学習面のつながりがなくなりました。

④低学年ゆえの危険性:ベッキーや宇多田ヒカルのようにバイリンガルをめざすには、環境が整っていない場合、実はかなりのリスクがあります。心ある研究者たちは、必死でそれを訴えています。言葉の『話す』以上に大切な役割は『考える』道具ですから、どっちつかずになると精神的に不安定になます。(市川氏など)

⑤教科時間:ただでさえ少ない授業数を、さらに英語にまわし、結局、国・算・英どれも中途半端にならないかという心配。国際人を目指すなら、まずは日本語で日本のことをしっかり説明できるだけの教養を身につける方が大切です。
英語を子どもに教えるな

中央公論新社

詳  細

『ゆとりよりも夢を!衣の袖からエリート教育の鎧(よろい)が見える』 2002年 元旦

2005年08月10日 | コラム・備忘録
■■■ 2002年のコラムです ■■■


 2002年は日本の教育政策において、間違いなく歴史的大転換の年になるはずですが、依然先行き不透明なまま、いよいよゆとり教育元年を迎えます。 

 実は今回の指導要領改定において見落としてはならない点は、この制度が"ゆとり""生きる力"などの情緒的な言葉とは全く反対の、"エリート教育に対する国の資源の集中"を意図しているということです。

 大幅に指導内容を易しくするだけでなく、通知表を相対評価から絶対評価へ変更する(1や2をつける必要がなくなる)のですから、いわゆる落ちこぼれはどこからも見えなくなります。親はもちろん本人さえ気付かないでしょう。

 そうしておいてから文部科学省は、昨今の学力低下批判を見事に逆手にとった形で、各都道府県のいくつかの公立小中学校を対象にした「学力向上フロンティア構想」を、高校には「スーパーサイエンスハイスクール」などという構想を発表しました。

 様々なコーティングを施していますが、要するにこれらは紛れも無く"公費によって運営されるエリート養成校"なのです。国がエリートの育成を目指すこと自体は当然ですが、問題はそれ以外の圧倒的大多数の教育サービスを大幅に減らすことです。

 予算が足りないからといって公立一般校における30人学級すら拒否しておきながら、エリ-トには集中的に税金を投入するというとんでもない公教育が始まってしまうのです。

 今後公立高校の先生方は、3割削減した内容しか身につけていない新入生を、完全週休二日制の中でいったいどのように科目の増える大学入試(2004年)に対応させようというのか?

 このままでは通常の義務教育だけを受けた者は私立生と同じ土俵に上ることすらできません。私立校では御三家といわれる麻布、開成、武蔵をはじめ、多くの学校で今回の改訂にともなった週休二日の導入を拒否しています。

 しかし、本来なら逆に公立の先生方こそ、普通の生徒のために、自らの週休二日を固辞し、敢然と新指導要領反対の声を上げていただきたいのです。

 同時に、なぜ国公立大学が入試科目を増やすかといえば、特別な教育を受けたエリートだけが入学してくれれば良いということであり、また、大学の上位30校に重点的に予算配分するというトップ30政策もまさにその延長線上にあるという教育改革の全体像が見えてきます。

 より良いものに資源集中するためには犠牲者も出る、これではまるで企業におけるリストラと同じ構図です。

 世界中で自国民全体の学習レベルを下げるような改革をしているのは日本だけですが、少数のエリートが国を引っ張り、他の者はゆとりの生涯教育などという理想郷のような社会構造がはたして可能でしょうか?

 現状でさえ高卒の多くの若者は就職できず、スタートから社会参加の権利を奪われてしまっています。しかも国の天文学的な借金のため、今後、教育だけでなく年金、医療などのサービスもますます低下の一途をたどることは確実です。
 
 知識の偏在が貧富の格差につながり、更には社会階層の固定化へという歴史的流れは洋の東西を問いません。矜持を失った個人、ダイナミズムを失った社会が持つ自殺者の増加、治安の悪化という現象が既に身の回りで起きています。

 今こそ、すべての生徒に対して質の高い教育が求められていますが、残念なことに、かつて世界一優秀で勉強好きだった日本の子供は、いつの間にか先進国の中では学習時間が最も少なくなってしまいました。

 新指導要領の実施がそれに追い討ちをかけます。中学3年生の理数を例にとれば、授業数は概ねイギリスの6割、アメリカの半分、オーストリアの4割しかなくなり、学校は年間165日も休みになるのですから。

 皮肉なことに"ゆとり教育"によって、エリートに向けた受験競争は逆に激化し大学のランク付けはより明確になるでしょう。それに参加しない者に対しては十分な教育が保障されず休みばかりが増え、自ら学ぶ以外ないのです。

 大学を出れば生活が保証されるというわかりやすい時代はとっくに終わっており、ただでさえ社会全体が勉強の動機付けを見つけにくくなってしまっています。そこにこのエリート教育が持ち込まれれば更なる混乱は必至です。

 学校でますます勉強しなくなってしまう子供たちを学習へといざなうためには、大人自身が学ぶ姿を見せるしかありません。今の時代のつけを子供の将来にまわすことをやめ、ともに学び努力する者として、世代間の信頼関係を築き、価値観を共有することが不可欠です。

 今の子供が自ら学ぶために必要なものは、曖昧で情動的なゆとりなどではなく、学習の中から生まれるもっと具体的な個々の生きがいであり、夢であると信じます。