ときぶーの時間

募金の受付先 東邦銀行 安積支店 普通0644994 名義がんばる福島
みなさんご支援宜しくお願いいたします。

あの日の海で

2012-01-09 12:14:34 | 日記


NO-50
今日は成人式という事で、全国の成人される若い皆さんにおめでとうございますと書かせて頂きます。そして、東北にいる津波や地震で家族や親友を失った今年20歳のみなさんに、お亡くなりになった方の分まで頑張って下さいね!と声に出して言いたいです。

これからも、苦しくて大変な事もあると思います。それにも負けないで東北の復興を僕らおやじと一緒にやっていこうね!僕らおやじでも辛くなったり、悲しくなったり、諦めたくなったりするけれど、みんなが協力しあえばきっと新しいものがつくれるはず!だから一緒に頑張ろうね!

今日は写真を選ぶのに、何時間も迷ってえらい遅くなりました。ごめんなさい。目標の100ブログのちょうど半分まできて、今日は12月29日に四倉港に行った時の写真を選びました。港は今も震災後から動いていません。そして今一生懸命に元に戻そうとしていますが、まだまだ元に戻るまでは時間がかかりそうです。

上の写真は地元の漁師さんのあべさん一家で、9ヶ月たった12月の暮れに今でも手がかりを捜す一家の姿です。あべさんは、8回くらい避難先を変えてどうしても地元に戻りたいと、ようやくこの町で津波の被害の出なかった場所にあるアパートに引越しをして来て、この日は栃木県に避難している娘さんとお孫さんと4人で捜索していました。

あべさんは、「おら~漁師だから、海から離れられねえよ。陸にあがったって何にも出来ねえし、あの大地震の時もおら~海の上にいたから地震がこんなにひどいと思わなかったんだ。」と。そして指をさし、ここの家の人も、こっちの家の人も逃げ遅れて死んだんだと話してくれました。

あべさんのお嬢さんも「お父さんには、早く海に出て漁をして欲しい!お父さんは海で働いていた方が似合うから」とお父さんもこれから舟をまた用意して海に出られる日を夢見ていました。

地震と津波で削られた山肌。今も一箇所に集められたままの車や船の瓦礫。これから修理されるのを待つ裸の船のボディ。これが今の現実です。早く元に戻って欲しいです。僕らの町、強制避難区域の富岡町も復興は手付かず状態で帰りたい人もいれば、帰りたくない人もいる状況です。

放射能汚染の問題がなければ、すぐに復興できるのに。国も東電も本当に僕ら住民を苦しめているだけだ。全然わかってない。この日の12月29日に松村氏と会ったわけだが、彼は被曝も恐れず今も町の除染のことや残された動物のことを真剣に考えている。

彼が「町はいつか地図上から消えてなくなってしまうかも知れない」と言ったあの日のことを僕は思い出した。それだけ放射能の問題が大きいからだ。除染するにも本当に人とお金がかかるし、あの山々を本当に除染出きる日がくるのだろうか?

科学技術の進歩を願って、本当に良い除染の方法なりプラントなりを早く確立・建設して頂き、早く人と動物が共生できる町を取り戻したいと思う。今回の震災はあまりにも、大きな傷跡を残した。今でも僕は時々気が滅入る日があって、こんな事じゃダメだと自分に言い聞かせている僕がここにいる。頑張らなくちゃ。

今日は今から出かけますので、また明日お会いしましょう。そして松村直登に支援物資や募金をして頂きました全国の皆さんに彼に代わってお礼を申し上げます。これからのご支援を引き続きどうぞ宜しくお願い致します。







コメント (2)
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