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精神科医師のブログ。
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被災地支援で感じたこと。(大北医師会報の原稿)

2011年09月25日 | Weblog
平成23年4月24日から27日まで安曇総合病院のこころのケアチームの一員として宮城県石巻市に被災地支援に行かせていただいた。日常の業務をやりくりして、病院に残った人にも負担かけて編成したチームだが、たかだか実質の活動日が2日間で何か出来たとも思わない。これまでの大規模災害の経験を元に厚生労働省と県が作成した長野県内の精神科をもつ病院がリレー方式で多職種からなるチームを派遣するという枠組みの一部として動いただけである。いち早く被災地に駆けつけ支援体制の道筋をつけた人、そして今に至るまで継続的な支援を行っている個人や団体には敬意を表する。それでも外部の元気な人がたとえ単発で短期間であれ被災地を訪れることは意味があると思った。実際に被災地を見て、被災者に寄り添うことで「一人ではないよ。」というメッセージを伝えることが出来るからだ。

訪れたのは災害発生から49日を迎える直前で、地震と津波の被害は甚大であったが、すでに自衛隊、行政職員や医療従事者、さまざまなインフラ業者などが全国から来て被災地支援、復興支援に入っており、仙台から石巻に続く道路は朝晩、渋滞し、市内はむしろ活気があった。支援物資もいきわたりはじめ、仮設住宅の建設がすすんでいた。われわれに期待されていたのは被災により機能の低下した保険医療福祉のシステムを少しでもカバーすること、具体的には、地区の保健師と前のチームからの申し送りを受けて活動し、担当する地区の避難所や自宅をめぐり精神障害をもつ方を訪問診療し、また被災者や支援者の不眠や不安などの精神症状を中心とした医療相談をおこなうことであった。よろず相談、かつ自分のあるいは周囲の資源を総動員で支援に望んだ。

地域の人の自治で運営され支援者や物資も乏しい小規模な避難所もあれば、あちこちから見ず知らずの被災者が集められた大規模な避難所もあった。大規模な避難所はまるで病棟であり行政の人、外部からボランティアで来た医療職や介護職と被災者が協力しながら生活し自助グループ的な雰囲気をつくっていた。

お金や頼れる身内のある人は避難所を脱し避難所の統廃合も始まっていたが、障害や貧困などで普段から弱い立場の人が取り残されていた。被災者は長引く避難所生活のストレスがつのり、身内の死や失われたものの大きさを自覚させられ、先の見えない不安に襲われていた。悲惨な現場に居合わせた衝撃、自宅や家族、これまでの生活を奪われたショック、障害をもつ兄弟や認知症の親や幼い子どもをもつ家族の避難所での困窮と不安などなど一人一人の方のお話を伺っていると切実な苦しみとニーズを痛感する。しかし傾聴し、持参した薬をわずかばかり処方し、それを現地の保健師などにお伝えすることしかできなかった。大災害の衝撃から被災者が回復していくにはまだまだ時間もかかるだろう。原発の事故の被害はいまだに進行形である。

栄村でも松本でも地震はおきた。大北では災害への備えはどうなのだろうか。災害はかならずやってくるが被害を減らすことは出来る。災害時にもっとも被害や影響を受けるのは弱者である。差別や排除、格差などを解消し、社会的脆弱性の克服していくことが災害に強い地域社会をつくる。東北の被災者を忘れず支援を継続することももちろんだが、被災地で肌で感じたことをもとに、私たちの地域でも防災、減災のための活動を急がなければならない。