今日新しい年号が発表されました。
その瞬間は入浴介助をやっていたので見れませんでした。
新しい年号は「令和」です。
3月の終わりは初めての夜勤と介護職員処遇手当のことと年度末の勤務で心に余裕がありませんでした。
自宅に帰ってこの意味が重要なことに気が付きました。
今から2年前の5月13日私たち家族はどん底に突き落とされました。
家族全員呼ばれたインフォームドコンセントで母の大腸がんがステージ4で、先生から「手術しないで8か月、手術して抗がん剤なしで2年」と言われたからです。
これからが大変でした。母は手術した平成29年5月16日から「障がい者」として生きることになりました。父も私もストレスから体調を崩したこともありました。
6月初めに退院し、半年後には肝臓に転移していたがんも消えほっとしていた矢先に手術翌年の6月に肺のがんがリンパに転移して手術できない状態に。
仕事などでストレスを抱えていた私は気分転換に名古屋の大須にある三輪神社に行き、お参りをしたら翌月に弟から「子供が出来た」と言う報告が出来ました。義理の妹の妊娠が分かる2年前に妊娠してもすぐに流産したのであきらめていた矢先の妊娠でした。
今年の1月に無事に女の子が生まれたときは岐阜で待機していた母と私はお祭り騒ぎでした。
今では親バカ丸出しのLINEが弟から来ています。
先月はお宮参りと食事会で母も自分の孫を抱っこすることができました。
私が東京から戻った後に定期健診で腫瘍マーカーが上がったとパニック状態になりました。でも、検査をしたら異常がなかったので一安心しました。
3月30日には無事に金婚式を迎え、焼き肉パーチ―をしました。
ロイヤルウィークに弟一家も岐阜に来るので楽しみです。
とりあえず30日はシフト休みなので平成最後の御朱印でも集めようか思います。
無事に令和元年5月1日が迎えそうです。心配なのは抗がん剤の副作用で体調を崩すことです。
話は変わりまして3月30・31日とサザンのツアーが宮城県から始まりましたが、桑田さんの衣装が体操のおじいちゃん状態。