ここ最近の大江千里さん再ブームでこの話。
私は大江千里という人を「気取った人だ」という偏見的な見方をしていて好きになれなった(それは桑田佳祐さんを怖い人だと思ったら実はすごくやさしい人だったというのと同じ)というのは10年以上前にブログにも書きましたが、その偏見的な考えを変えたのが昭和63年にオレたちひょうきん族の「かまへんライダー」というコントにひょうきん族と同じ曜日に生放送のあった夜のヒットスタジオデラックスに出演でひょうきん族の収録現場を見学していた千里さんが飛び入り出演し、さんまさんに「REAL」の歌い方がヘンと突っ込まれ、さらにこのコーナーのギャグでやった「草津節」の合いの手がうまく歌えなくてさんまさんの大顰蹙を買い、頭をたたかれていました。
当時28歳でどう見ても星野源さんにそっくり。青色のチェックのシャツをジーパンにインし、シャツをはだけたスタイルでした。
この話には続きがあって、翌年にひょうきん族が終わることで過去の名場面を集めたVTRを特番で取り上げていました。そのときにリクエストが多かったのが大江千里さんの飛び入り出演でした。それを見ていた西川のりおさんが駆け出し時代の千里さんに「挨拶も出来ないのか!!」と怒鳴っていた話をしていたのにはびっくりしました。その後「さんまのまんま」に出演した千里さんが「草津節」の合いの手でやった「ジョイナ、ジョイナ」の意味が全然理解できなくて、ライブのMCでファンがやっていたのを見てその意味を理解するのに半年かかったと話してさんまさんにまた怒られていました。
千里さんにとって「テレビに出る」というのは怖いことだったらしく、西川のりおさんに怒鳴られたのもそれが原因だったのかもしれません。
言い換えればテレビ=ほかのジャンルの芸能人に会う=怖いというのもあったと思います。
あと80年代はテレビに出ないことを美徳とするアーティストが多かったこともあります。
テレビで歌うのが怖いという話はエッセイでも書いていて、「MステでデビューしたばかりのSMAPの後で『格好悪いふられ方』の弾き語りをピリピリしながら歌っていた」にも出ています。
彼が最近のインタビューで発言していた「30歳が人気のピーク」の話もそうです。
ひょうきん族から30年になりますが、今の世の中はかなり変わりました。フジテレビの番組もだんだんだめになる一方だし、SNSが普及した現在些細なことが炎上の種になってしまいます。
来月千里さんの「塩屋」の舞台になった神戸市にある山陽塩屋駅に行く予定ですが、3連休ほど取って泊りがけで行きたいのが本音です。