雲南市吉田町は鉄山経営者「田部家」を中心に、たたら製鉄の町として栄えてきました。たたら製鉄には原料である良質な砂鉄の他に、燃料となる薪の原料としての「山林」、そして砂鉄を取るための「水」という自然の資源が必要不可欠。 日本三大山林王の一人と言われた田部家の所有する山林は、村有林の大部分を占める6500ha。たたら製鉄に不可欠の燃料となる薪の確保に、膨大な山林の所有は大きな利点となりました。
室町時代に製鉄業を開始した田部家は、江戸時代には松江藩九鉄師の筆頭鉄師をも務めたといいます。
19世紀後半に近代製鉄技術が導入される迄、日本の和鉄生産は「たたら製鉄」によって賄われてきました。 田部家による製鉄は明治末期の最盛期には、全国に供給される鉄の7割を生産したといいます。吉田村の一画には戦国時代以来から近世まで、製鉄で財を成した「田部家」の土蔵群が今も往時を物語っています。
「鉄の歴史村」の象徴ともいえる田部家。1707年から1906年までの間に建築された蔵の数は鉄蔵、扶持蔵など21にも及び、すなわちそれは、鉄と共に栄えた証し。
吉田村の中心となる本町通りは、田部家土蔵群を中心に、緩やかな石畳の坂道が続いています。 山内が盛えた頃を思わせるいくつもの小路、随所に残された番頭屋敷、目代屋敷などの跡・・
(「山内(さんない)」とは、たたら製鉄に従事していた人達の職場や、居住区の総称。)
ここは、かつて医者の住居だった建物を利用して整備された「鉄の歴史博物館」。 館内には、たたら製鉄の技術や歴史が、豊富な資料で分かりやすく紹介されています。
本町通の入り口には、往時のたたら製鉄の様子を再現したブロンズ像が設置されています。たたら製鉄の工程は、まる一日かけて炉を作ることから始まります。炉に木炭を入れ、ふいごで風を送って火をおこし砂鉄を入れる。これを3日から4日間繰り返し、最後に炉をこわして鉄を取り出します。
こうして作られた鉄は、陸路を馬で、海路を船でと、全国各地に運ばれていきました。ブロンズ像も、橋柵のモニュメントも、雄弁に往時を物語り、その都度に足を止めさせます。
二枚のモニュメントは、たたら製鉄で作られた鉄を使っての道具作りの様子。昔々の「村の鍛冶屋」さんに登場しそうな景色ですが、それも今はほとんど絶えてしまい、歴史の彼方に消え去ろうとしています。
先人が築き上げた功績、その歴史的価値を現代に引き継ぐべく成される様々な試みは、決して絶やしてはならない生きた歴史であると思います。
吉田地区の中心にで存在感を放つ、昭和12年に建築された「旧吉田村尋常高等小学校・講堂」。木造平屋、板貼り、切妻屋根の大きな建物。三角形のバットレスが側面に並ぶ特徴的な意匠です
切妻屋根が美しい木造建築の講堂。これらもまた、かっての村の繁栄を物語る証人なのかもしれません。
村を流れる川床は赤茶色に染まって、一種独特の情景を作り出しています。その赤が、鉄錆によって作り出されたものなのか、単に水質の所為なのか・・
訪問日:2015年4月22日
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