車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

防府天満宮~其の一 in 山口県防府市松崎町

2024年05月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

防府市松崎町に鎮座される「防府天満宮」。御祭神は『菅原道真公(すがわらのみちざねこう)』。相殿神に『天穂日命(あめのほひのみこと)・武夷鳥命(たけひなどりのみこと)・野見宿禰(のみのすくね)』

創建当初は「松崎天満宮」「宮市天満宮」と称しましたが、明治6年(1873)、「臣下を祀る神社の宮号禁止」により「松崎神社」と改称し、県社に列格。昭和28年(1953)に晴れて「防府天満宮」と改称。京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と並んで、日本三大天神と言われます。

「昌泰4年(901)1月25日、九州大宰府への西下の途中、周防国国司:土師氏を頼り、本州最後の寄港地「勝間の浦」に御着船になり「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」(この防府の地は京の都とまだ地続きである。願わくはこの地に住まいを構え「無実の知らせ」を待ちたい) と願い九州へと旅立たれた。大宰府にて薨去された折、防府勝間の浦に神光が現れ、酒垂山(天神山)に瑞雲が棚引いた。国司・里人たちは道真公の御霊魂が光雲となって「此地」に帰ってこられたと悟り、翌延喜4年(904)御霊魂の「居」を「この所」である松崎の地に建立「松崎の社」と号した。道真公をお祀りした神社は全国に約1万2千社あり、当宮創建をもって「扶桑菅廟最初」日本で最初に創建された天神さまと称する。」公式HPより

初めて防府天満宮に参拝したのは2013年の春。昭和二十七年四月二十五日建立の青銅の二の鳥居。更に上に続く石段から仰ぎ見る境内は、柔らかな緑に覆われて期待に胸を躍らせる私たちを優しく迎えてくれました。

二の鳥居の前、左右より神域を守護されるのは「文久二年(1862) 萩石工:武村唯昌」奉納の萩狛犬さん一対。萩狛犬の石工さん、ここ防府で初めてお名前が登場しました。ああ、京都北野に鎮座される「北野天満宮」の奉納狛犬さんと同じ年代、同じ石工さんの手になる狛犬さん・・言葉にし難い感動に胸が震えます。

固く口を引き結び、右前足の下に小さな玉を踏みしめる吽形さん。画像では分かり難いのですが、阿形さんは口中に玉を含んでいます。

耳の付け根、尾の付け根にはきちんと隙間が刳り貫かれており、石工の技量の凄さを見せつけます。もしかしらこれまで紹介してきた同時代の萩狛犬の作者も「武村唯昌」とみて良いのではとご亭主殿。同感です。

このタイプの萩狛犬のもう一つの特徴が、台座に施された精緻な浮き彫り。ここでは「十牛図」の最終章「騎牛帰家(きぎゅうきか)」。題材はともかく、牛は丑年生まれで丑の年に薨御された道真公の神獣としてよく知られています。

東風吹かば・・と梅の花に想いを託した道真公を偲ばせる「梅の古木」

石段上より神域を守護されるのは「宝暦九卯年(1759)八月」奉納の・・こちらは、浪花上宮(じょうぐう)型の狛犬さん一対。本来なら向かい合わせに並べたかったのですが、ご亭主殿のうっかりミスにより。そんな訳で2013年の狛犬さんは・・・「陽気に笑う阿形さんをじっと見つめる吽形さんの頭には・・いつの間にか角が・・」的な構図になってしまいました。😓

その事実をネチネチと指摘した甲斐あって😆、2017年の参拝ではしっかりと全方向から撮影。阿形「何だよ~我儘な奴やなぁ~」 吽形「黙れ!俺様だってちゃんと男前の顔を紹介されたいんだ!」

表参道に面した左手に門を構える「県指定史跡:大専防跡」。明治維新まで存在した「酒室山萬福寺」の別当坊で、天満宮創建当時の草創と伝えられます。明治初年の神仏分離令によって坊の多くは壊されましたが、大専坊は壊されることをまぬがれ、旧境内地は天満宮が買収して現在に至っています。

2013年の参拝時には、門は固く閉ざされていましたが、2015年、2017年の参拝時には、中の様子を垣間見る事も出来ました。

宝暦十三年(1763)奉納の参道石段・・・こういうのは見上げてはいけません。ひたすら足下を見て、一段一段登るのが良しなのです💦

三度に渡っての防府天満宮、画像織り交ぜての紹介は更に明日に続きます。

参拝日:2013年4月17日&2015年11月14日&2017年11月30日

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御神名一口メモ

『天穂日命(あめのほひのみこと)』、出雲国譲りの後、大国主神に仕え、出雲臣(いづものおみ)、土師連(はじのむらじ)等の祖神となる。

『武夷鳥命(たけひなどりのみこと)=建比良鳥命(たけひらとりのみこと)』、天穂日命の子。出雲国造らの祖神となる。

『野見宿禰(のみのすくね)』、天穂日命の14世の子孫。日葉酢媛命(垂仁天皇の皇后)の葬儀の時、殉死の風習に代わる埴輪の制を案出し、土師臣(はじのおみ)の姓を与えられた。

上記三神いずれも菅原道真公の祖先とされる。

コメント (4)
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