洲本市(すもとし)は淡路島東岸の南半部に位置する市です。2006年2月11日、洲本市と津名郡五色町との新設合併により“新”洲本市が発足しました。地名は、この地域が往古海浜の洲にあったことに由来。淡路市、南あわじ市。県を跨ぎ紀淡海峡隔てて和歌山県和歌山市に隣接。市域は淡路島中部を西から南東に貫き、南部は諭鶴羽山地が紀伊水道に落ちる断層海岸。北西部は北東から南西へ連なる先山山系で限られ、中枢部は東流して海に入る洲本川と、その支流で北流する千草川と北東流する樋戸野川の沖積平野の上にあり、周辺を丘陵地が取巻く地形となっています。市街地の南にそびえる標高133mの三熊山頂には国史跡の洲本城址があり、また洲本城天守台跡には、昭和天皇の即位の礼を記念して昭和3年(1928)に建てられた、日本最古の模擬天守閣があります。「市の木: 松」「市の花: 水仙・菜の花」 市の鳥:千鳥」「市の魚:鰆」を制定。
キャッチフレーズは「笑顔あふれる生活交流拠点・洲本~みんなでつくる元気な“すもと”~」
明治22年(1889)、町村制の施行により、洲本城下の区域をもって津名郡洲本町が発足。物部村・潮村・千草村・上灘村・由良町・安乎村・中川原村、三原郡大野村・加茂村・広田村が発足
1909年、物部村、潮村と合併、改めて津名郡洲本町が発足。
1916年、 津名郡千草村大字小路谷を編入。
1918年、津名郡千草村を編入。
1933年、三原郡大野村、加茂村を編入。
1940年、津名郡洲本町が市制を施行、洲本市が発足。
1947年、津名郡上灘村を編入。
1955年、津名郡由良町、安乎村、中川原村を編入。
1957年、三原郡広田村大字納組・中条鮎屋組を編入。
2006年、津名郡五色町と合併し、改めて洲本市が発足。
マンホールには「市の花:水仙」が鮮やかにデザインされています。(カラー蓋、狸のシール蓋は、洲本市民広場付近に設置)
「伸ばそう下水道の町」と書かれたシールタイプのマンホールには、淡路の芝右衛門狸に因んだポンタが東西南北を指し示しています
明治33年(1899)1月22日に制定の市章は「この地が往古海岸の洲にあり、よって地名を洲本とし、洲浜の紋を紋章と定めました。市制施行後にも継承され、色は水色が指定されています」公式HPより
広大なヨットハーバーがある「海の駅・サントピアマリーナ」。ヨットと海がデザインされた側溝蓋。
撮影日:2010年9月20日