富士市鷹岡本町の一画に「夜明けの像」と題された、旗を高く掲げて立つ男性の銅像があります。旗には「PAPER」の文字。その左右には「洋紙製造発祥の地」碑、更に「富士馬車鉄道駅舎跡地」の碑。
【明治二十三年一月鷹岡村のこの地に、全国初めの洋紙製造工場として富士製紙第一工場が創設された。それを機会に地域の人々の製紙についての関心が高まり製紙業の興隆に寄与することが大きかった。
この工場の創業に先立ち、明治二十二年七月には吉原大宮間に大宮新道が新設され、また明治二十三年六月には、鈴川駅から大宮町まで富士馬車鉄道が開通。南富士産業の要地としての現在の鷹岡本町が形成されたのである。鷹岡本町創立百周年を迎え、記念碑を建立して先人の遺徳に感謝を捧げる。】碑文より
「富士馬車鉄道駅舎跡地」の碑
二つの碑と並んで立つのは「道祖神」。外から来る魔・災いを遮り防ぐ神、かっては集落の随所に見ることができました。元々この地にあった物なら、昔はここが村への入り口だったのかもしれません。
発祥の地碑の近くに架かる「裾野橋」の素敵なレリーフ。雲を下に美しくそびえる富士山、裾野には木々が生い茂り動物がのどかにくつろいでいます。
下田のブログで一瞬だけ登場した『プチャーチン提督』。何と、ここ富士市で再びお目にかかりました。
【ロシア軍艦ディアナ号は、プチャーチン提督が乗り込み嘉永7年(1854)10月に、伊豆・下田港に入港しました。しかしこの時、安政大地震に遭遇してディアナ号は大破。修理のために戸田港に向かいましたが、途中強い西風により漂流し、富士市の三四軒屋沖に沈没したと伝えられています。~~~中略~~~~昭和51年8月、この錨は五貫島の三四軒屋沖合水深24mから引き上げられました。】案内文より
富士市指定有形文化財に指定された「ディアナ号の碇」。いつの間にか絶妙のポジションにご亭主殿(^^;)
富士市鈴川・田子の浦港の東にある「ふじのくに田子の浦みなと公園」。「田子の浦」と聞いて一番最初に思い浮かぶのは、万葉集に登場する『山部赤人』の和歌。【田子の浦ゆ うち出でて見れば真白にぞ 富士の髙嶺に 雪は降りける 】。今日は富士の髙嶺に雪は降っておらず、雲がかぶさっています(^^;)
公園内にはいわくありげな歌碑や句碑、さらには、地元の名士的なお二人の銅像。 方や田子浦村最後の村長『船山啓治郎翁』、もうお一方は田子の浦港の建設に尽力した『斎藤寿夫翁』だそうです。
そういえば、銅像の近くにあった「とりあえず意味は分かるけれど読めません」的な『山部赤人』の歌碑。 建立者は田子の浦保勝会長『船山唐治郎』。銅像になった最後の村長さんのお身内でしょうか。
【 田兒之浦従 打出而見者 真白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留 】
それにしてもあの雲・・・せめてもう少し低い位置にあれば、それなりにカッコいいのに。
碑といえばもうひとつ、なんともかわいらしくメルヘンチックな『今村一夜氏』句碑。【 しゃぼん玉 富士がうつるよ 吹いてみな 】
ラストは青葉公園の入り口にある「愛のライオン像」。富山県の「竹中銅器」さんの制作ですが、「愛の」の意味が今ひとつ理解できていません(笑)。理解できていませんが、折からの夕日に浮かぶシルエットがとても印象的で・・
訪問日:2016年12月9日