京都市東山区本町に門を構える臨済宗東福寺派大本山「慧日山東福禅寺(えにちさん とうふくぜんじ))」。『釈迦如来』を本尊とします。京都屈指の紅葉の名所として知られ、京都五山の第四位の禅寺として中世、近世を通じて栄え、今なお25か寺の塔頭(山内寺院)を有する東福寺。国宝の三門は、応永32年(1425)足利義持により再建、現存する禅寺の三門としては日本最古のものです。
「摂政九條道家が、奈良における最大の寺院である東大寺に比べ、また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で、「東」と「福」の字を取り、京都最大の大伽藍を造営。嘉禎2年 (1236)~建長7年(1255)までの19年を費やして完成。その後火災や兵火などにより幾度となく焼失するも、都度再建がなされ、大正6年(1917)より本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工、昭和9年(1934)に落成した。」公式HPより
入母屋造、裳階付きの本堂は、仏殿兼法堂の形式を持ち、高さ25.5メートル、間口41.4メートルの大規模な堂で、昭和期の木造建築としては最大級のもの。
本堂内正面には本尊である「釈迦三尊像(中尊は立像、脇侍は阿難と迦葉)」。明治14年の火災後に塔頭万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作とされます。
天井の「蒼龍図」は『堂本印象』の筆になるもの、これほどの距離を持ってもその迫力が薄まることはありません。
三門の向かって右手に伸びる「五社大明神」への石段。中ほどまで登った左手に、藤原家の先祖である比良の魔王(比良明神:天狗)を祀る「魔王石堂」。その横に、 比良明神のお告げで 康永2年(1343)に九条道家が造立した重要文化財の「十三重石塔」。魔王道の扁額に不思議な玉響(たまゆら)が・・
石段の先には、寛元元年(1243)に法性寺成就宮を東福寺の鎮守とした「五社成就宮」が鎮座。『石清水八幡・賀茂・稲荷・春日・日吉(山王)神』が奉られます。
三門向かって右手に重要文化財の「浴室」。前面を入母屋造、後方を切妻造にした単層本瓦葺の建物で、国内では最大。東大寺の湯屋に次いで古く、長禄3年(1459)に建てられた京都最古の浴室建築の遺構として知られます。
三門の正面に「思慮池」、蓮の花は盛りを過ぎていましたが、それでもこうした場所には最もよく似合う花です。
「思慮池」の左手に「勅使門」。
正面前庭、「通天橋」へと至る「方丈唐門 」は昭憲皇太后より下賜されたもので、明治42年(1909)の造営。後方に見える屋根は「方丈」。
方丈唐門から回廊を進むと、通天橋拝観受付に至ります。
庫裏より塔頭龍吟庵・即宗院に至る三ノ橋渓谷に架かる単層切妻造・桟瓦葺きの木造橋廊「偃月橋(えんげつきょう)」。慶長8年(1603)に再建、1967年に重要文化財に指定され、日本百名橋にも選ばれています。
一般の人はむろん、自転車まで渡れる「臥雲橋」。この橋の中ほどから見える東福寺の通天橋・・紅葉の季節はそれは凄いだろうと容易に想像できます。
仏殿から常楽庵に至る渓谷・洗玉澗に架けられた橋廊「通天橋」。天授6年(1380)に春屋妙葩が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝えられます。1959年に台風で崩壊しましたが2年後に再建、その際橋脚部分は鉄筋コンクリート造となりました。
参拝日:2007年6月30日
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