
産経新聞奈良版・三重版ほかに好評連載中の「なら再発見」、今回(6/28付)のタイトルは「さなぶり餅と御杖村半夏生大群落 田植え終え田の神に感謝」、執筆されたのはNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」の藤村清彦さんである。藤村さんは大阪市内にお住まいだが、よく奈良を訪ね、他の人があまり注目しないテーマを選んでは、このコーナーで紹介されている。当会にとって、とても貴重な存在である。
では、全文を紹介する。
※写真はいずれも、同記事のサイトから拝借した

さなぶり餅はつぶし小麦と、もち米を混ぜてついた小麦餅の一種で、きな粉をかけて食べる。夏至(げし)から11日目の半夏生(はんげしょう)(7月2日)に田植えを無事終えた農家が田の神に感謝の気持ちを込めて供え、ともどもあぜ道で食して喜んだものだ。
大阪では稲の根がしっかりと張るようにタコを食べる習慣があるが、奈良県中南部から中西部にかけては古くからこの小麦餅を作って食する習慣があった。
半夏生とは旧暦の季節を表す言葉で、薬草である片白草(かたしろぐさ)を江戸時代には半夏ともいい、これが生える頃をそう呼ぶようになったという。
※ ※ ※
農家が少なくなり、季節限定でなかなか手に入りにくいこの餅が、橿原市のおふさ観音寺参詣道で販売されている。
年中販売している門前の「さなぶりや」のご主人は「かつてはつぶし小麦を自前で作っていたが、精白(せいはく)した小麦粉が主流になり道具を手放した」と説明。
「ところがオーストラリアへ行くと、パン用にふすまの混じった全粒粉(ぜんりゅうふん)が当たり前のように使われているのを目の当たりにし、昔ながらの小麦餅をなんとしても復活しようと思い立ち、高取町兵庫の古川米穀店に昔ながらのやり方でつぶし小麦にしてもらっている」と話す。
また、「吉野川から紀の川に沿って小麦餅の文化が広がったようで、田原本以南の橿原、明日香、大淀、御所、葛城、香芝など小麦栽培域であった奈良県南部に今もこの食文化が残っている」とも教えてくれた。
小麦は外側が堅く中が柔らかい。モミをとった小麦を湿らせて磨き砂と一緒につき、その後磨き砂を落とす工程を経て、湿らせた麦をローラーで押しつぶすと微粉にならず、ふすま(茶色の薄皮)がついた直径5ミリ程度の円形の薄いつぶし小麦ができる。

この製法で加工したつぶし小麦ともち米を餅にすると、麦のツブツブが残り独特の食感と野趣あふれた香りを醸し出す。
また、畝傍駅からの参詣道にある「竹村榮壽堂(えいじゅうどう)」では7、9月の1日に手つきでのし餅にして店頭に出る。「つぶし小麦は山の中でおじいさんが一人で“唐碓(からす)”でついているところから仕入れている」と話す。
※ ※ ※
葛城市では酪農が盛んであったことから、小麦餅をつくときの手水(ちょうず)に牛乳を使ったものが工夫され「ふたかみパーク當麻」で販売されている。
今では「半夏生」といえば植物名が連想されるのが普通となったが、この草はこの時季になると茎の上部の葉1、2枚だけが一夜にして葉の半分ほどが白色に変ずる。緑一色の季節、30センチほどの背丈の草の上に白い蝶がとまっているようで涼しげだ。
不思議なことに、夏が過ぎると元の緑の葉に戻る。湿った土地では地下茎を伸ばして旺盛に繁殖し、さし芽もできる強い植物だが、一般には目にすることが少なくなり、奈良県では準絶滅危惧種に指定されている。
しかし御杖村(みつえむら)岡田の谷ではこの半夏生の大群落を観賞することができる。圧倒される景観だ。白化は平地より遅く、7月中旬からが見頃だ。
季節感あふれる美しい響きの日本語と、小麦餅の文化が末永く残るとともに、神秘的な植物・半夏生への関心が高まることを願わずにはいられない。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 藤村清彦)
「半夏生」と書いて、辞書では「はんげしょう」だが、奈良県下ではたいてい「はげっしょう」と読む。記事に登場する「さなぶりや」のHP(橿原市縄手町243番地)には、《半夏生というのは、夏至から数えて11日目をいいますが(1年365日の丁度半分)、田植えはこの日までに終えないと、それ以降は田圃にいくら水が豊富にあっても稲作の収穫は半分になると言われ、半夏半作・半夏半農という言葉もあります》《「さなぶり」の「さ」は田の神様。「なぶり」は、昇を表現した言葉といわれています。田植えを終えた農家の人たちが無事農作業を終えたことを、田の神様に感謝しお供え物をして共に食し休息をした日のことをいいます》。
《小麦餅は、昔から大和の国・南河内・北和歌山地方で食されていたようです(三つの地域では共に半夏生の日に搗く慣わしが現存しています)。大和は素麺で知られていますように、昔から小麦の文化がありました。大和の農家には小麦が身近にあり、餅を搗く時に小麦を混ぜて搗き込み、きな粉をつけていただくものです。大和の人にとっては誰が食べても懐かしく郷愁をそそる味です》とある。私は奈良に移り住んで初めて、「さなぶりや」の「半夏生餅」(さなぶり餅=小麦餅)をいただいた。まさに「独特の食感と野趣あふれた香り」のお餅だ。
《餅米に小麦、きな粉(大豆粉)の栄養のバランスはまことに絶妙の取り合わせとなってきます。餅米だけでは不足がちなビタミンB1・タンパク質、植物性の脂肪酸・植物繊維・カリウムや鉄が加わります。先人が特に栄養のことを考えた訳でもないと思いますが自然に備わった美味しさが受け継がれていったものと思われます。お供えのお下がりは、硬くなりにくく軟らかで美味しく胸焼けせず体の調子が良く、そして家にある小麦も食べてしまうという一石二鳥も三鳥ものお餅だったのではないでしょうか》(さなぶりやのHP)。
「半夏生」という草(ドクダミ科の多年性落葉草本植物)があることは、この記事で初めて知った。しかも準絶滅危惧種だったとは…。まだまだ知らないことが多い。藤村さん、興味深い記事を有難うございました!
では、全文を紹介する。
※写真はいずれも、同記事のサイトから拝借した

さなぶり餅はつぶし小麦と、もち米を混ぜてついた小麦餅の一種で、きな粉をかけて食べる。夏至(げし)から11日目の半夏生(はんげしょう)(7月2日)に田植えを無事終えた農家が田の神に感謝の気持ちを込めて供え、ともどもあぜ道で食して喜んだものだ。
大阪では稲の根がしっかりと張るようにタコを食べる習慣があるが、奈良県中南部から中西部にかけては古くからこの小麦餅を作って食する習慣があった。
半夏生とは旧暦の季節を表す言葉で、薬草である片白草(かたしろぐさ)を江戸時代には半夏ともいい、これが生える頃をそう呼ぶようになったという。
※ ※ ※
農家が少なくなり、季節限定でなかなか手に入りにくいこの餅が、橿原市のおふさ観音寺参詣道で販売されている。
年中販売している門前の「さなぶりや」のご主人は「かつてはつぶし小麦を自前で作っていたが、精白(せいはく)した小麦粉が主流になり道具を手放した」と説明。
「ところがオーストラリアへ行くと、パン用にふすまの混じった全粒粉(ぜんりゅうふん)が当たり前のように使われているのを目の当たりにし、昔ながらの小麦餅をなんとしても復活しようと思い立ち、高取町兵庫の古川米穀店に昔ながらのやり方でつぶし小麦にしてもらっている」と話す。
また、「吉野川から紀の川に沿って小麦餅の文化が広がったようで、田原本以南の橿原、明日香、大淀、御所、葛城、香芝など小麦栽培域であった奈良県南部に今もこの食文化が残っている」とも教えてくれた。
小麦は外側が堅く中が柔らかい。モミをとった小麦を湿らせて磨き砂と一緒につき、その後磨き砂を落とす工程を経て、湿らせた麦をローラーで押しつぶすと微粉にならず、ふすま(茶色の薄皮)がついた直径5ミリ程度の円形の薄いつぶし小麦ができる。

この製法で加工したつぶし小麦ともち米を餅にすると、麦のツブツブが残り独特の食感と野趣あふれた香りを醸し出す。
また、畝傍駅からの参詣道にある「竹村榮壽堂(えいじゅうどう)」では7、9月の1日に手つきでのし餅にして店頭に出る。「つぶし小麦は山の中でおじいさんが一人で“唐碓(からす)”でついているところから仕入れている」と話す。
※ ※ ※
葛城市では酪農が盛んであったことから、小麦餅をつくときの手水(ちょうず)に牛乳を使ったものが工夫され「ふたかみパーク當麻」で販売されている。
今では「半夏生」といえば植物名が連想されるのが普通となったが、この草はこの時季になると茎の上部の葉1、2枚だけが一夜にして葉の半分ほどが白色に変ずる。緑一色の季節、30センチほどの背丈の草の上に白い蝶がとまっているようで涼しげだ。
不思議なことに、夏が過ぎると元の緑の葉に戻る。湿った土地では地下茎を伸ばして旺盛に繁殖し、さし芽もできる強い植物だが、一般には目にすることが少なくなり、奈良県では準絶滅危惧種に指定されている。
しかし御杖村(みつえむら)岡田の谷ではこの半夏生の大群落を観賞することができる。圧倒される景観だ。白化は平地より遅く、7月中旬からが見頃だ。
季節感あふれる美しい響きの日本語と、小麦餅の文化が末永く残るとともに、神秘的な植物・半夏生への関心が高まることを願わずにはいられない。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 藤村清彦)
「半夏生」と書いて、辞書では「はんげしょう」だが、奈良県下ではたいてい「はげっしょう」と読む。記事に登場する「さなぶりや」のHP(橿原市縄手町243番地)には、《半夏生というのは、夏至から数えて11日目をいいますが(1年365日の丁度半分)、田植えはこの日までに終えないと、それ以降は田圃にいくら水が豊富にあっても稲作の収穫は半分になると言われ、半夏半作・半夏半農という言葉もあります》《「さなぶり」の「さ」は田の神様。「なぶり」は、昇を表現した言葉といわれています。田植えを終えた農家の人たちが無事農作業を終えたことを、田の神様に感謝しお供え物をして共に食し休息をした日のことをいいます》。
《小麦餅は、昔から大和の国・南河内・北和歌山地方で食されていたようです(三つの地域では共に半夏生の日に搗く慣わしが現存しています)。大和は素麺で知られていますように、昔から小麦の文化がありました。大和の農家には小麦が身近にあり、餅を搗く時に小麦を混ぜて搗き込み、きな粉をつけていただくものです。大和の人にとっては誰が食べても懐かしく郷愁をそそる味です》とある。私は奈良に移り住んで初めて、「さなぶりや」の「半夏生餅」(さなぶり餅=小麦餅)をいただいた。まさに「独特の食感と野趣あふれた香り」のお餅だ。
《餅米に小麦、きな粉(大豆粉)の栄養のバランスはまことに絶妙の取り合わせとなってきます。餅米だけでは不足がちなビタミンB1・タンパク質、植物性の脂肪酸・植物繊維・カリウムや鉄が加わります。先人が特に栄養のことを考えた訳でもないと思いますが自然に備わった美味しさが受け継がれていったものと思われます。お供えのお下がりは、硬くなりにくく軟らかで美味しく胸焼けせず体の調子が良く、そして家にある小麦も食べてしまうという一石二鳥も三鳥ものお餅だったのではないでしょうか》(さなぶりやのHP)。
「半夏生」という草(ドクダミ科の多年性落葉草本植物)があることは、この記事で初めて知った。しかも準絶滅危惧種だったとは…。まだまだ知らないことが多い。藤村さん、興味深い記事を有難うございました!

72候の『半夏生』はんげしょうず~のはんげ、正確、
には、からすびしゃく(サトイモ科)です。
最近では、開花時期からドクダミ科のこちらの半夏生を同名から、この候の花とよく間違われています。
間違いとしたくないぐらい不思議な花ですね。
からすびしゃくのほうは、あまり目立たない花です
が、東大寺講堂跡あたりに、わずかですが見られます。こちらが、『半夏生』の候の由来の花なのです。
> 正確には、からすびしゃく(サトイモ科)です。最近では、開花時期から
> ドクダミ科のこちらの半夏生を同名から、この候の花とよく間違われています。
なるほど。もともと「カラスビシャク(サトイモ科)」だったものが、いつのまにか 「カタシログサ(ドクダミ科)」にすり替わったのですね、ご指摘、深謝です。
> からすびしゃくのほうは、あまり目立たない花ですが、
> 東大寺講堂跡あたりに、わずかですが見られます
大仏殿の裏の講堂跡にありますか、いちど探してみます。