今日の「田中利典師曰く」は、〈「山の行より里の行」③寺社フェス向源(こうげん)にて〉(師のブログ 2016.7.25 付)、中外日報「随想随筆」欄への連載(全4回)の第3回である。師は同フェスの「神道 vs 仏教 vs 修験道」というトークショーに出演された(2016年5月)。
※トップ写真は、吉野山の桜(224.4.5撮影)
トークショーのあと、控え室に戻ると見知らぬ若者から、〈どこかの宗教に入るとなるといろいろ制約を受けそうで、窮屈な感じがして腰が引けます。どうしたらいいのでしょうか?〉という質問を受けた。その回答を含めた利典師の見解をお書きになっている。では、以下に全文を紹介する。
「山の行より里の行」③寺社フェス向源にて 田中利典著述集280725
先週から掲載している田中利典著述集の3回目。今年5月に中外日報社で連載させていただいた原稿の元原稿です。1行12字での執筆依頼を1行17字で書いてしまったので、急遽短くして掲載しました。いささか不本意なところもありましたので、元原稿を紹介させていただいています。よろしければご覧ください。
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「寺社フェス向源にて」
この5月、東京の増上寺や神田神社、そして日本橋界隈で催された寺社フェス「向源」(主催 向源実行委員会)に参加した。神田神社権宮司の清水祥彦さんと、本願寺派僧侶の釈徹宗さんと三人で「神道vs仏教vs修験道」というトークショーに出演したのである。
本番を終えて、控え室に戻ると、何人かの知人の訪問者に混じって、見知らぬ青年が私に声を掛けてきた。「先生がお話になった『日本人は無宗教ではない』という話に大変感激をしました。私は無宗教を標榜していますが、今回の向源だけではなく、高野山や伊勢神宮をはじめいろんなところへ出かけて、仏教や神道に触れようとしています。ただ、どこかの宗教に入るとなるといろいろ制約を受けそうで、窮屈な感じがして腰が引けます。どうしたらいいのでしょうか?」というような質問だった。
寺社フェス向源とは、宗派や宗教を超えて、神道や仏教などを含めたさまざまな日本の伝統文化を体験できるイベントのこと。今に伝わる多様な文化の根底にある本質に触れてもらうことを目的として開催されていて、今年で六年目を迎えた。私の出演したトークショーだけでなく、声明公演や座禅の体験会、般若心経講座、写仏や写経、祝詞の奏上、ワークショップ「お坊さんと話をしてみよう」などなど、多彩な企画が催行され、若い世代を中心に7日間の期間中には15,000人余が集ったそうである。
くだんの若者も、その多彩な向源のイベントのひとつとして行われたトークショーに来てくれたのだった。さて、彼の質問に対する私の答えである。
「まだ慌ててどこかの宗教に決める必要はないですよ。大いに悩み、大いにいろんなところをお訪ねなさい。たとえて言うなら、今のあなたは富士山に登りたいと思いながら、富士山の周辺をうろうろ旋回しているようなもの。いずれ自分に相応しい登り口が見つかり、山に入りたくなります。それまでは納得出来るまで探していればいい。ただし、山の周りを回っているだけではいつまでも山には登れません。山に登るためにはいつかは道に入らないといけないですよ」。
とお話ししたのである。前稿でも触れたが今や無仏の時代、無宗教を標榜する時代である。また今まで長らく継承されていた檀家制度が機能不全に陥りつつあり、それに呼応するが如く、Amazonの僧侶派遣業のようなものも出てきた。時代は変わる。そして時代は求めるのである。
私はいつまでも日本人に無宗教などと言わしておきたくない。向源を始めたのは天台僧の友光雅臣くんであるが、第1回の開催時、彼はまだ20歳代後半だった。そして彼も又、神道や仏教などさまざまな日本独自の伝統文化、宗教文化をたくさんの人に知ってもらい体験してもらうことで、無宗教ではない日本人を取り戻してもらいたいと思っている。彼らのような、現状を見据えた取り組みこそが時代の要請なのだろう。
私のもとに質問に来た若者がその後どうしているのか、私は知らないが、講演会や法話会、あるいはさまざまなイベントを通して、少しでも悩み苦しむ現代社会の人々に寄り添うことが出来ればと願う次第である。
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中外日報の「随想随筆③」(平成28年5月27日掲載)で連載させていだいた文章の元原稿を転載しました。ご意見ご感想をお待ちしています。
※トップ写真は、吉野山の桜(224.4.5撮影)
トークショーのあと、控え室に戻ると見知らぬ若者から、〈どこかの宗教に入るとなるといろいろ制約を受けそうで、窮屈な感じがして腰が引けます。どうしたらいいのでしょうか?〉という質問を受けた。その回答を含めた利典師の見解をお書きになっている。では、以下に全文を紹介する。
「山の行より里の行」③寺社フェス向源にて 田中利典著述集280725
先週から掲載している田中利典著述集の3回目。今年5月に中外日報社で連載させていただいた原稿の元原稿です。1行12字での執筆依頼を1行17字で書いてしまったので、急遽短くして掲載しました。いささか不本意なところもありましたので、元原稿を紹介させていただいています。よろしければご覧ください。
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「寺社フェス向源にて」
この5月、東京の増上寺や神田神社、そして日本橋界隈で催された寺社フェス「向源」(主催 向源実行委員会)に参加した。神田神社権宮司の清水祥彦さんと、本願寺派僧侶の釈徹宗さんと三人で「神道vs仏教vs修験道」というトークショーに出演したのである。
本番を終えて、控え室に戻ると、何人かの知人の訪問者に混じって、見知らぬ青年が私に声を掛けてきた。「先生がお話になった『日本人は無宗教ではない』という話に大変感激をしました。私は無宗教を標榜していますが、今回の向源だけではなく、高野山や伊勢神宮をはじめいろんなところへ出かけて、仏教や神道に触れようとしています。ただ、どこかの宗教に入るとなるといろいろ制約を受けそうで、窮屈な感じがして腰が引けます。どうしたらいいのでしょうか?」というような質問だった。
寺社フェス向源とは、宗派や宗教を超えて、神道や仏教などを含めたさまざまな日本の伝統文化を体験できるイベントのこと。今に伝わる多様な文化の根底にある本質に触れてもらうことを目的として開催されていて、今年で六年目を迎えた。私の出演したトークショーだけでなく、声明公演や座禅の体験会、般若心経講座、写仏や写経、祝詞の奏上、ワークショップ「お坊さんと話をしてみよう」などなど、多彩な企画が催行され、若い世代を中心に7日間の期間中には15,000人余が集ったそうである。
くだんの若者も、その多彩な向源のイベントのひとつとして行われたトークショーに来てくれたのだった。さて、彼の質問に対する私の答えである。
「まだ慌ててどこかの宗教に決める必要はないですよ。大いに悩み、大いにいろんなところをお訪ねなさい。たとえて言うなら、今のあなたは富士山に登りたいと思いながら、富士山の周辺をうろうろ旋回しているようなもの。いずれ自分に相応しい登り口が見つかり、山に入りたくなります。それまでは納得出来るまで探していればいい。ただし、山の周りを回っているだけではいつまでも山には登れません。山に登るためにはいつかは道に入らないといけないですよ」。
とお話ししたのである。前稿でも触れたが今や無仏の時代、無宗教を標榜する時代である。また今まで長らく継承されていた檀家制度が機能不全に陥りつつあり、それに呼応するが如く、Amazonの僧侶派遣業のようなものも出てきた。時代は変わる。そして時代は求めるのである。
私はいつまでも日本人に無宗教などと言わしておきたくない。向源を始めたのは天台僧の友光雅臣くんであるが、第1回の開催時、彼はまだ20歳代後半だった。そして彼も又、神道や仏教などさまざまな日本独自の伝統文化、宗教文化をたくさんの人に知ってもらい体験してもらうことで、無宗教ではない日本人を取り戻してもらいたいと思っている。彼らのような、現状を見据えた取り組みこそが時代の要請なのだろう。
私のもとに質問に来た若者がその後どうしているのか、私は知らないが、講演会や法話会、あるいはさまざまなイベントを通して、少しでも悩み苦しむ現代社会の人々に寄り添うことが出来ればと願う次第である。
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中外日報の「随想随筆③」(平成28年5月27日掲載)で連載させていだいた文章の元原稿を転載しました。ご意見ご感想をお待ちしています。
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