驚いた。奈良で最古といわれる公設市場「大門市場(おおもんいちば)」(東大寺転害門前)が、1月末で閉鎖されるというのだ。
近所にお住まいの木の茶の間 輪(りん)さんから、この情報をいただいた。彼女のブログによると、この市場は、かつて《今小路町内会で市場が欲しいと提案があった。もともとあった家屋(借家7軒)を曳家して土地を確保。大阪の市場を見学などして建設に着手。昭和35年7月に完成。県に申請して「公設大門市場」として営業開始。開業当時は35店舗》というものである。
http://tamatehako.exblog.jp/8415084/
《開業当時、市場という形態が流行しはじめ、奈良市内に約20か所の市場が建設された。現在も市場が残っているのは「大門」「椿井」のみ。ただし、市場本来のシステムを色濃く維持しているのは「大門」。とはいえ、現在、市場内で営業している店舗は約12》という寂しい状況であった。
http://tamatehako.exblog.jp/8567723/
昨年(9/27)には、読売新聞奈良版の「商店街物語」でも、大きく取り上げられた。見出しは「奈良・大門市場 客との出会い、我らの誇り」だ。《大門市場前の国道369号(旧24号)は、北に向かうと京都、南は天理、桜井へと続く交通の要衝だ。東大寺のすぐ西側にあることから、古くから参拝者ら多くの旅人が往来してきた。現在も東大寺二月堂で営まれる修二会(しゅにえ)(お水取り)で、松明(たいまつ)として使われるマダケが、京都府京田辺市から運ばれてくる伝統行事「竹送り」は、この道を通る》。
市場の向かいにある転害門。数少ない東大寺創建当初の建物だ
《国宝・東大寺転害門の俗称「大門」から名付けられた市場は、奈良市内を走る国道369号沿いにある。「公認」と壁に記された市場のドアを開けると、褐色のタイルが敷かれた幅約2メートルの通路が真っすぐに延びる。手書きの店舗案内図を見ながら、洋品店や薬局を抜けて20メートルほど歩くと広場に突き当たり、奥にぐるりと一周できる構造だ》。
《戦後、復興を遂げて好景気が続き、近畿各地で市場が建設ラッシュを迎えていた1960年、借家が並ぶ土地を区画整理して建てられた。入り口は狭いが、東西50メートルと細長い1000平方メートル余りの敷地に、当時は36店舗がひしめき合った。市場から10キロ以上離れた月ヶ瀬、柳生地区の住民にとっても、台所の役割を果たすなど商圏は広く、転害門前が駐車場になるほど人が絶えなかった。国道側入り口近くに店を構える「紅屋洋品店」の松矢雪子さん(75)は「1日2000人を超える買い物客でにぎわい、活気にあふれていた」と懐かしむ》。
《名物料理もできた。「須山天ぷら店」の昆布の天ぷらは、多い日で200~250個売れるといい、約8年前、テレビで紹介された際は他府県からも大勢の人が押し寄せた。同店の須山一信さん(68)は「揚げる温度と時間の微妙な調節で、せんべいのような食感になっておいしいんですよ」とPRする》。
《だが、郊外型の大型スーパーの進出は影を落とす。買い物客はめっきりと減り、ほかの商店街などと同様、市場内の店舗は約10店に減少。商店は、宅配による販売が大きな収入源になっている。「松本精肉店」の松本晶子さん(59)は「ほとんどが常連客。何が足りなくなって、必要なのかがわかる」と話す。市場に野菜を卸す農業辰己直大さん(31)は「この市場は売ったら終わりではなく、人とのつながりを大切にする『昭和の文化』が残っている」と誇らしげだ》。
《店主たちは手をこまねいているわけではない。活気を取り戻そうと、2年前から、空き店舗を利用した動きが始まっている。月1回の奈良大落語研究会による落語寄席が開かれた今月中旬、かつて青果店だった広場に、1年生の〈新人落語家〉が緊張した面持ちで高座に座った。「キャンパスの外で噺(はな)すのは初めてなんで、多少は大目に見てやってくだい」》。
市場すぐ近くにある萬林堂。せんとくん饅頭が好評だ
《店主や客らに笑顔があふれた。「大門ドラッグ店」の衣川康代さん(60)は「落語を始めたばかりの学生も多い。毎月、見ているので、徐々に上手くなってきているがわかる。育てているような感覚が楽しみ」とほほ笑む。落語研究会の2年若井輝正さん(19)は「落語に興味のない買い物客がいる中での寄席はほかにない。勝手が違い、いつも緊張します」と言う。今では寄席を見に来る常連も多いという》。
《市場ではこのほか、月1~2回、NPOが近所の子どもらへの絵本読み聞かせ会を開催。40年以上、市場で働く花店「中谷誠花園」の大塚世志子さん(79)は「いろんなことに使ってもらって、みんなが息抜きできるような市場になっていったらうれしい」。再びにぎわいが戻ることを願っている》。
野良猫たちとご老人が共存する、何とものどかで味わいのある昭和の市場であった。まさに《『昭和の文化』が残っている》のであり、まるで『三丁目の夕日』の情景である。記事に出ている須山商店をはじめ、鳥良かしわ店、上水豆腐店なども、よくマスコミで紹介されていた。最近は「一箱古本市」なども催されていた。「再びにぎわいが戻ることを願っている」という記者の思いは、初夢に終わってしまった。年明け早々、何ともやりきれない気分である。
http://tamatehako.exblog.jp/i7/
1月23日は「第3回大門玉手箱」という一箱古本市、24日は「大門50周年感謝祭」という市場主催のイベントが催されるそうだ。大門市場最後のイベントに、ぜひご参加いただきたい。
※写真は、1/20に(追加)撮影したもの。
近所にお住まいの木の茶の間 輪(りん)さんから、この情報をいただいた。彼女のブログによると、この市場は、かつて《今小路町内会で市場が欲しいと提案があった。もともとあった家屋(借家7軒)を曳家して土地を確保。大阪の市場を見学などして建設に着手。昭和35年7月に完成。県に申請して「公設大門市場」として営業開始。開業当時は35店舗》というものである。
http://tamatehako.exblog.jp/8415084/
《開業当時、市場という形態が流行しはじめ、奈良市内に約20か所の市場が建設された。現在も市場が残っているのは「大門」「椿井」のみ。ただし、市場本来のシステムを色濃く維持しているのは「大門」。とはいえ、現在、市場内で営業している店舗は約12》という寂しい状況であった。
http://tamatehako.exblog.jp/8567723/
昨年(9/27)には、読売新聞奈良版の「商店街物語」でも、大きく取り上げられた。見出しは「奈良・大門市場 客との出会い、我らの誇り」だ。《大門市場前の国道369号(旧24号)は、北に向かうと京都、南は天理、桜井へと続く交通の要衝だ。東大寺のすぐ西側にあることから、古くから参拝者ら多くの旅人が往来してきた。現在も東大寺二月堂で営まれる修二会(しゅにえ)(お水取り)で、松明(たいまつ)として使われるマダケが、京都府京田辺市から運ばれてくる伝統行事「竹送り」は、この道を通る》。
市場の向かいにある転害門。数少ない東大寺創建当初の建物だ
《国宝・東大寺転害門の俗称「大門」から名付けられた市場は、奈良市内を走る国道369号沿いにある。「公認」と壁に記された市場のドアを開けると、褐色のタイルが敷かれた幅約2メートルの通路が真っすぐに延びる。手書きの店舗案内図を見ながら、洋品店や薬局を抜けて20メートルほど歩くと広場に突き当たり、奥にぐるりと一周できる構造だ》。
《戦後、復興を遂げて好景気が続き、近畿各地で市場が建設ラッシュを迎えていた1960年、借家が並ぶ土地を区画整理して建てられた。入り口は狭いが、東西50メートルと細長い1000平方メートル余りの敷地に、当時は36店舗がひしめき合った。市場から10キロ以上離れた月ヶ瀬、柳生地区の住民にとっても、台所の役割を果たすなど商圏は広く、転害門前が駐車場になるほど人が絶えなかった。国道側入り口近くに店を構える「紅屋洋品店」の松矢雪子さん(75)は「1日2000人を超える買い物客でにぎわい、活気にあふれていた」と懐かしむ》。
《名物料理もできた。「須山天ぷら店」の昆布の天ぷらは、多い日で200~250個売れるといい、約8年前、テレビで紹介された際は他府県からも大勢の人が押し寄せた。同店の須山一信さん(68)は「揚げる温度と時間の微妙な調節で、せんべいのような食感になっておいしいんですよ」とPRする》。
《だが、郊外型の大型スーパーの進出は影を落とす。買い物客はめっきりと減り、ほかの商店街などと同様、市場内の店舗は約10店に減少。商店は、宅配による販売が大きな収入源になっている。「松本精肉店」の松本晶子さん(59)は「ほとんどが常連客。何が足りなくなって、必要なのかがわかる」と話す。市場に野菜を卸す農業辰己直大さん(31)は「この市場は売ったら終わりではなく、人とのつながりを大切にする『昭和の文化』が残っている」と誇らしげだ》。
《店主たちは手をこまねいているわけではない。活気を取り戻そうと、2年前から、空き店舗を利用した動きが始まっている。月1回の奈良大落語研究会による落語寄席が開かれた今月中旬、かつて青果店だった広場に、1年生の〈新人落語家〉が緊張した面持ちで高座に座った。「キャンパスの外で噺(はな)すのは初めてなんで、多少は大目に見てやってくだい」》。
市場すぐ近くにある萬林堂。せんとくん饅頭が好評だ
《店主や客らに笑顔があふれた。「大門ドラッグ店」の衣川康代さん(60)は「落語を始めたばかりの学生も多い。毎月、見ているので、徐々に上手くなってきているがわかる。育てているような感覚が楽しみ」とほほ笑む。落語研究会の2年若井輝正さん(19)は「落語に興味のない買い物客がいる中での寄席はほかにない。勝手が違い、いつも緊張します」と言う。今では寄席を見に来る常連も多いという》。
《市場ではこのほか、月1~2回、NPOが近所の子どもらへの絵本読み聞かせ会を開催。40年以上、市場で働く花店「中谷誠花園」の大塚世志子さん(79)は「いろんなことに使ってもらって、みんなが息抜きできるような市場になっていったらうれしい」。再びにぎわいが戻ることを願っている》。
三丁目の夕日傑作集 (その4) (ビッグコミックススペシャル)西岸 良平小学館このアイテムの詳細を見る |
野良猫たちとご老人が共存する、何とものどかで味わいのある昭和の市場であった。まさに《『昭和の文化』が残っている》のであり、まるで『三丁目の夕日』の情景である。記事に出ている須山商店をはじめ、鳥良かしわ店、上水豆腐店なども、よくマスコミで紹介されていた。最近は「一箱古本市」なども催されていた。「再びにぎわいが戻ることを願っている」という記者の思いは、初夢に終わってしまった。年明け早々、何ともやりきれない気分である。
http://tamatehako.exblog.jp/i7/
1月23日は「第3回大門玉手箱」という一箱古本市、24日は「大門50周年感謝祭」という市場主催のイベントが催されるそうだ。大門市場最後のイベントに、ぜひご参加いただきたい。
※写真は、1/20に(追加)撮影したもの。
大門市場もスライド映像を確保してあるはず。椿井市場も早めに記録を残さないと。市場、商店街に大いに関心あり。
昨夜眠い目をこすりながら、大門市場に関するつたないコメントをさせていただいてから就寝。
朝、起きたら新しく記事を立てて下さっていて、
しかももうコメントが2つもついていて驚愕しました。
迅速なご対応、感謝の言葉もありません。
「日々ほぼ」ファンの方々にも感謝です。
私、実は最近この界隈で少しずつ増えている、
奈良が好きで移り住んできた人間です。
イベントなどでかかわるようになった、大好きな「大門市場」が閉まるのが残念でならず、今駆けずり回っています。
その原動力は「え、いつのまに閉まってたん!知らんかったわ。閉まる前に一度行きたかった~」という方を一人でもなくしたいということです。
また、イベントにお立ち寄りくださるだけでなく、
平日の市場で普通に買い物を楽しんでくださる方が一人でも増えたらとも。
私のような新参者ですら、悲しい気持ちなのですから、昔からの賑わいをご存知の方はなおさら‥と拝察いたします。
影響力の大きいこちらにこういう形でご紹介していただき、本当にうれしく思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
時々、寄らせてもらいました。
ちょっとさみしげだったけれど、昔の市場の風情がよかった。
活用方法あるのになあ、と思っていたら、
古本市が始まって、ああよかった、とほっとし、
また楽しみにも思っていたのに、残念。
跡地はどうなるのでしょう?
「夢キューブ」のような利用がされたらいいんだけれど。
帯広では、中心市街活性化で「北の屋台」を作って、大成功しました。
http://www.kitanoyatai.com/
今朝の新聞各紙にこの記事が出ていて、びっくり仰天しました(奈良新聞は1面トップでした。読売新聞も、行き届いた記事を載せておられます)。木の茶の間 輪さんのスクープですね。
> スライド映像を確保してあるはず。椿井市場も早めに記録を残さないと。
そうですね、せめて記録を残しておかないといけません。出店者や街の人々の声も、ぜひ残していただきたいと思います。
> 手貝町の空気に馴染んでいた。そのあたりがスーパーと違うところかな。
はい、よく馴染んでいました。蔵武Sさんは、大淀町下淵のマーケットもご存じでは? 大門市場に来ると、子どもの頃に連れて行ってもらったあのマーケットを思い出しました。まさに『三丁目の夕日』の世界、いわば生活文化遺産でした。
> 迅速なご対応、感謝の言葉もありません。
> 「日々ほぼ」ファンの方々にも感謝です。
大門市場を愛する木の茶の間 輪さんの心が皆さんに通じたのでしょう。新聞がこれだけ取り上げて下さったので、え、いつのまに閉まってたん!」という人も減ると思います。最後は、ぜひ賑やかにお開きとしたいですね。
> 跡地はどうなるのでしょう?「夢キューブ」のような
> 利用がされたらいいんだけれど。帯広では、中心市街
> 活性化で「北の屋台」を作って、大成功しました。
奈良新聞に、市場オーナーの方か「跡地はいったん更地にして活用方法を探りたい」とコメントされています。良い活用法を、ぜひアドバイスしてあげて下さい。
> 精肉店店主は中学校3年の同級生。彼は全国の肉屋
> さんで修業したと言ってた。どうするんだろう。
お肉屋さんは、市場の中でも繁盛店で、たくさんの商品が並んでいました。ご主人と奥さんにお話をお聞きしたところ、近所(佐保橋から少し北に上がったところ)に移転して、お店を続けられるとのことで、少し安心しました。
> イベントはこの両日ということらしいですが、30・31日はどうなんでしょう。
事務所の方にお聞きしましたが、今のところ、30・31日にはイベントの予定はないようです。今後、新たな企画ができるかも知れませんが。
> 奈良市場がありました。有名な「福助うどん」もこの中に。
「福助うどん」の味は、「ふく徳」に受け継がれていますね。谷しげるさんの猿回しは、高取町の城祭りで拝見しました。
大門市場は、地域のコミュニティ・スペースでした。市場のDNAが、何らかの形で受け継がれることを祈っています。
片付けつつ、訪ねてきた人に応対するというような感じになると思う…とおっしゃっていました。
今朝(21日)は毎日新聞の奈良版でも取り上げられていました。
ただ、市場の中で爆笑だったのは読売新聞にさらっと「店主らが歌や踊りを披露」と書いてああったことです。
24日は「店主らは忙しい」はずなので、「歌ったり踊ったり」はなさらないのです。
出し物は今までのイベントの出演者や関係者がやります。
「でも、誰かこっそり練習してはるんかな…」
「当日のサプライズっていうやつか?」
などという会話もあり、淋しさだけでなく、注目を浴びて、張り切っておられる感じも少し受けました。
> 爆笑だったのは読売新聞にさらっと「店主ら
> が歌や踊りを披露」と書いてああったことです。
> 「でも、誰かこっそり練習してはるんかな…」
> 「当日のサプライズっていうやつか?」
なるほど、これもまたほのぼのとした話題です。市場では「ならっこダンス」も披露されるそうですが、ひそかに練習された方が輪に入ってダンスされれば、それもまた楽しいですね。まるでオリンピックの閉会式です。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/75bb4b32b0611f0ef8efa07acb054db4