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大島清氏提唱の「かきくけこ」運動は、感動、興味、工夫、健康、恋心

2023年04月18日 | 田中利典師曰く
ずいぶん以前、田中利典師がご自身のブログ(2008.1.14付)で、大島清氏(京都大学名誉教授、医学博士)の「かきくけこ運動」のことを紹介されていて、興味を持った。大島氏ご本人は、こちらのサイトで詳しく紹介されているので、要点を抜粋すると、
※トップ写真は、吉野山の桜(2023.3.28撮影)

定年以降 「かきくけこ運動」をみんなに奨めている。そりゃ一体何だ、を語るのが本稿の目的である。「かきくけこ」の行動を支えるのは、勉強で身につけた類(たぐい)の知識にあらず、自然に体内からわきあがってくる感性、つまり生命力と いってもいいだろう。

「か」は感動
すばらしい出来事に出合う、未知のからくりが解ける、会いたかった人に出くわす、どんな小さなことでも 感動のさざ波が全身を包み込むことで自他の境界がなくなった状態だ。感ずれば全身が動く。感動とは、どんな 小さなことでもいいから、日常生活の中にドラマを見つけることだ。あるいは自らをそのドラマの中に引き入れる ことだ。

私はよく市場へ行くが、そこで旬のものをいち早く見つけただけで胸が躍る。酷暑の夏が過ぎて秋風の吹く頃、 いつも行く豆腐屋で湯葉を見つけたとき、夏のはじめに信州の野尻でブルーベリーを見つけたとき、大げさに 絶叫しないまでも、片手を上げて「ヤッた!」と小さく叫ぶ。それも感動である。

「き」は興味
私たちの中に、時に、老後だからとチマチマ生きていないか。人間は精神的動物。知らないことを知ったときの歓喜は尋常のものではないはずだ。興味が無ければ 知らないことに出合っても無感動で不発に終わる。それは老化した脳ということになる。

私は己れを「生涯一書生」と思っている。七十歳を過ぎようが過ぎまいが、わからないことはわからない。 だから耳を澄ませてわからないことを聞こうとしている、目で見ようとしている、肌で感じようとしている。 そうしている限り精神は老いることがないと思っている。

「く」は工夫
近頃、すぐリセットボタンを押し続ける輩が増えた。一つやろうと思えば石にかじりついてでも追求するロマン性が 消退の一途をたどっている。物の溢れる時代ということもある。いつも明るく、いつも快適温度、そして何でも そろっている環境で、耐えることを忘却した人間がうようよ。DID(Dialog in the Dark=照度ゼロの暗闇空間で、聴覚や触覚など視覚以外の感覚を使って日常生活のさまざまなシーンを体験するエンターテイメント)が要求される所以である。

「け」は健康
バブルで破壊された自然環境のしっぺ返しで、目に見えない環境ホルモンがしのびやかに人間社会から健康を 奪い始めている。土から生まれ土に依存してきた人間を含む動物たちの危機が世界を蔽っている。「土を忘れた 文明は亡びる」のひそみにならって、健康とは何かをもう一度考えねばなるまい。

そしてもう一つ、画一的な食性が文明国の人間たちをロボット化しつつあることを知らねばなるまい。少年たちの 犯罪も、家庭内の食性に起因すると私は考えている。旬のものを家族みんなでよく咀嚼して食べる。幼少年期の脳の 改造は、毎日の食性で変えることができる、と私は信じている。

「こ」は恋心
まずは沢村貞子さんのこの言葉にご注目あれ。「ぼけ防止に必要なのは、友人・家族の愛もさることながら、 やさしい異性の愛がいちばん」。

私が常に提唱している「性は生なり」。性はその人の生きざまそのもの。したがって、年齢は関係なし。いくつに なっても男は男、女は女であること、そしてセックスだけが性ではない、ということも肝に命じておく必要がある。


これは分かりやすく覚えやすい話だ。これらを実践すると、パワー(生命力)が湧いてきそうだ。皆さんも、いかがですか?
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