てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

天上高く、地の底深く

2008年05月07日 | 写真記


 病気のせいで連休の前半をフイにしたぼくは、後半になって精力的に出歩いた。長いことベンチでお預けを食らっていた後だけに、いざ出塁するとなったら全部のベースを踏んでから帰ってきたい。そんな、ほとんどやけっぱちともいえる心境だった。でも体はひとつしかないし、何かと出費もかさんだので、あきらめざるを得ない用事もあったけれど・・・。

 5月6日はゴールデンウィーク最後の日であると同時に、京都では春季の非公開文化財特別拝観の最終日でもあった。盛夏を思わせる暑さのもと、岡崎公園の美術館に出かける途中で、巨大な三門を構える知恩院に立ち寄ることにする。普段は三門の上にあがることはできないのだが、この日は特別に公開されているとのことだった。


〔知恩院の三門。南禅寺のものと似ているが、こちらが少し大きい〕


〔軒下の重厚な木組〕


〔楼上に人影が見える〕

 下足をビニール袋に入れて、手摺りを頼りに木の階段をそろそろとのぼる。角度は急だし、足もとはすべりやすいし、緊張することこのうえない。精神力が試されている感じがする。まるで修行のようだ。もしここで貧血を起こしたり、足を踏み外しでもしたら、あえなく一巻の終わりだろう。

 しかし手術後しばらくは普通に歩くことさえ苦痛だったことと比べると、いつも下から見上げるばかりだった三門に今のぼろうとしている事実が、何ともいえずうれしい。このうれしさを、しばらくは忘れずにいたいものだと思う。


〔この急な階段をのぼる〕

                    ***

 ようやく上までたどりついた。雲ひとつない晴天で、京都市内が一望できる。遠くには五山の左大文字、そして舟形も見える。ここから送り火を眺めたらさぞ美しかろう。上空には、なぜか某通販会社のロゴが大きく書かれた飛行船が浮かんでいた。ちょっと眼ざわりである。

 三門の内部はもちろんのこと、ここから外の風景を撮影するのも禁止ということで、おとなしく座ってボランティアの解説を聞く。正面には釈迦牟尼仏が真ん丸な光背を背負って座しているが、天井につっかえるせいか、少し前かがみになっているのがおかしい。その周囲には釈迦の弟子たち、十六羅漢の像が8人ずつにわかれてずらりと並んでいる。ぎょろ眼でにらみつけていたり、歯をむき出していたり、何だかものすごい形相である。

 上を見上げると、狩野派の絵師たちの手になる天井画が迫ってきた。さまざまな楽器や天女たちが、天衣(てんね)をまとって気持ちよさそうに空を舞う。中央に描かれたひときわ大きな龍の図は、狩野探幽が独力で描き上げたということである。梁にもことごとく彩色が施され、年月を経てくすんではいるものの、今見てもじゅうぶんに鮮やかだ。急峻な階段をのぼった先には、贅を尽くした現世の極楽があった(下図、公式ウェブサイトより転載)。



 それにしても気になるのは、落書きの多さである。といっても、現代のものではない。三門が建立されてから明治時代ごろまでの、筆で書いた達筆な落書きだ。壁のいたるところに書かれていて、地名を記したもの(おそらくそこからはるばる来たということだろう)、「明治何年何月何日登門ス」などと書かれたもの、さまざまである。

 今では三門は国宝に指定されているから、落書きをしたら厳しく罰せられることはいうまでもない。先日も長野の善光寺で落書きが見つかり、大きく報道されたばかりだ。だがこの知恩院の落書きは、それとはちょっと毛色がちがうような気がする。

 当時、今よりはるかに信仰心の篤かった時代、浄土宗総本山の知恩院を訪れる人は観光客ではなく、熱心な信徒たちであっただろう。あの急な階段をやっとの思いでのぼり、眼もくらむばかりの極彩色のなかに座す釈迦の姿を拝んだ人々が壁に書いた文字は、いやがらせや自己満足というより、知恩院に参拝できたという喜びに裏打ちされているのではなかろうか。こんなに素晴らしい極楽浄土に往生したいという、庶民の切なる願いが書きつけられているのではなかろうか。


〔知恩院七不思議のひとつ、瓜生石。この石から瓜が生えたという伝説があり、石を掘ると地下道があるとか、実は隕石であるとか、いろいろなことがいわれている〕

                    ***

 善光寺といえば、この近くに京都別院があることを思い出した。得浄明院(とくじょうみょういん)といい、長野のものより小さいが、建物は同じかたちをしているということだ。アヤメの名所として知られていて、今の季節に一般公開されている。ついでに立ち寄ってみることにした。

 境内に入ると、見事なまでにアヤメが満開だった。なかでもイチハツ(一初)という種類のアヤメはいちばん早く咲くということで、前回出かけたときはすっかり花が終わっていて、そのかわりに写真が貼りつけてあったりした。でも今回はどうにか間に合ったようで、渡り廊下の下をくぐって小さな中庭に入ると、可憐な白い花が10輪ほど残っていた。


〔門の外から得浄明院本堂をのぞむ〕


〔白いイチハツの花が出迎えてくれた〕


〔アヤメの群生には蝶や虻もやってくる〕


〔花に囲まれて座っている石仏。誰かに似ているような気がする〕

                    ***

 花を撮影したら帰るつもりだったが、気が変わって本堂に参拝することにした。本堂の床下には、長野の善光寺と同じように暗闇の回廊があり、戒壇めぐりができるという。幼い赤ん坊を抱いた夫婦が地下におりていくのを見て、ぼくも何の気なしについていった。

 段をおりたところに寺の職員が立っていて、右手で壁をさわりながら進んでくださいという。途中に本尊とつながった錠前があり、それを握ると結縁(けちえん)が結ばれるらしい。ぼくは特に仏教を信仰していないので、とりあえず真の闇というものがどんなものか体験してみようと思ったのだが、これが本当に暗い。前を見ても、後ろを振り返っても、自分の手を眼の前にかざしてみても、まったく何も見えないのである。

 手探りでそろそろと進んでいると、無言の力で上から圧迫されているような気がしてきて、思わず前かがみになってしまう。真の暗闇がこんなにこわいものだとは思わなかった。地下の底深くにたったひとりで投げ込まれたようで、不安でたまらない。声をあげて泣き出したくなる。途中でリタイアしようかと思ったが、前を進んでいた赤ん坊がおとなしく戒壇めぐりを終えたらしいのがわかると、おめおめと引き帰すわけにもいかない。

 やがて、右手がガチャリと何かにふれた。先ほどの職員が遠くからそれを聞きつけて、「ああ、それですね」と声をかけてくれる。本尊と結ばれるという錠前を強く握って、暗闇のなかでぼくはしばし安堵した。地獄で仏とは、こういうことをいうのだろう。

                    ***

 外へ出ると、あいかわらず猛烈な日光がふりそそいでいた。しかしぼくは自分の精神力のもろさを見せつけられて、少し打ちひしがれていた。

 それにしても、光というのはありがたいものだ。5月の太陽に照らされて歩き出しながら、まるで今はじめて見たもののように、色鮮やかに咲き競うアヤメの花々に見とれた。

(了)


DATA:
 「平成20年 春季京都非公開文化財特別拝観」知恩院三門
 2008年4月26日~5月6日

 「戒壇めぐりと一初観賞会 春の特別公開」得浄明院
 2008年4月29日~5月13日

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