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『伎楽面 酔胡王』
正倉院宝物のなかには、具体的にいつどこで使用されたか推測できるものがかなりあるようだ。たとえば、いくつかの伎楽面がそれである。752年(天平勝宝4年)、東大寺で華々しくおこなわれた大仏開眼供養で用いられたものらしい。
鼻梁の突き出した『酔胡王(すいこおう)』を観ていると、やはり舶来の面なのだな、と思う。唐からもたらされたのだろうが、当時の中国の人たちがこんな風貌をしていたわけではなく、酒に酔ったペルシャの王様の姿だというから、さらに西のほうからシルクロードを通って伝わってきたイメージなのであろう。
大仏殿の前で演じられたという伎楽は、現代でいえばブロードウェイから上陸したミュージカルのような、ハイカラなものだったのかもしれない。ただ、面そのものは日本人によって作られた可能性もあるという。
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しかしわれわれがお面と聞いて思い浮かべるのは、何といってもまず能面である。卑近なたとえだが、お祭の縁日で売られているお面の原点がそれだろう。日本人にもっとも親しい面のスタイルというのが、それなのだ。伎楽面は頭部からすっぽりかぶるように装着するのに対して ― 獅子頭のルーツは明らかにここにある ― 能面は顔に貼りつけるようにするだけで、演者の耳や顎がはみ出していても平気なものである。いわば能面には奥行きがなく、文字どおり“おもて”というわけだ。
そして酔胡王の面のように、激しい感情をむき出しにしたアクの強い容貌は、どちらかというと歌舞伎の隈取りのほうへ発展していったように思われる。海を越えて伝来した伎楽が、時代とともにその原形を失っていくかわりに、能や歌舞伎、狂言といった日本独自の様式に生まれ変わっていったのはおもしろい。海外文化の受容のたくみさが、こんなところにもあらわれているといえるだろうか。
そこで思い出したのが、3年ほど前にニュースで取り上げられて問題になった中国のナントカ遊楽園を闊歩していた“かぶりもの”たちである。中国側がいくら否定しても、あれは既成の有名キャラクターの安易な模倣に過ぎなかったといわざるを得ない。
かつての日本が、西域から伝承してきた仏像の形体をこの国独自のものへと変容させ、日本人の心性を見事に昇華させた風貌へと作り変えていったのに比べ、某遊楽園のそれは、外づらをなぞっただけのものであった。ただ、ひとえに中国を非難するのは易しい。飛行機が飛び交い、テレビやインターネットを伝って情報が瞬時に海を越えるようになった現代でも、“もの”に込められた“精神”までをも外国に伝達するのはなかなか容易ではないらしい、ということである。
最近の不穏な日中関係を考え合わせると、海外からの刺激を受けて自国の文化を大きく花開かせた天平文化の貴重さを思わずにはいられない。
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それにしても、このところの異常な“ゆるキャラ”ブームは、日本人に長いこと受け入れられてきた「顔に貼り付けるお面」の市民権がすでに終焉に近づきつつあることを示しているのかもしれない。われわれはいつの間にか、頭からすっぽり何かをかぶることで別のキャラクターを成立させる、そんな風潮に違和感を覚えないようになってしまった。
あの「せんとくん」が、まさに21世紀の奈良において八面六臂の活躍をしたことは、そのことを深く印象づける結果となったような気がする。伎楽面のリバイバルも、もしかしたら遠くない日のことかもしれない。
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