『五色龍歯』
以前の記事で、正倉院の宝物は必ずしも美的感興をそそるものばかりではない、と書いた。マスコミなどの報道では、正倉院といえば「シルクロードの終着駅に保管された美のタイムカプセル」といったイメージがあるが、たとえば古代史の東野治之は『正倉院』(岩波新書)にはっきりとこう記している。
《正倉院展を見た人なら納得されるだろうが、正倉院宝物は概していえば地味である。どうしてこれが、と思わせられる宝物も少なくない。正倉院の特色は、文字どおりの宝物とならんで、本来残るはずのない品物が多々伝えられてきたところにあるといってもよかろう。宝物らしからぬものにも、それはそれで大きな意義が秘められているのである。》
今年の陳列品のひとつに『種々薬帳(しゅじゅやくちょう)』という文書(もんじょ)があり、光明皇后が正倉院に納めた薬や香料の名称、分量が列記してある。その数は60種にものぼるそうで、全部合わせるとかなり大量なものだという。
しかし、そのすべてが現在伝えられているわけではない。名前は記されているけれど、すでに現物が失われたものも多いらしい。そのわけは、実際に病人の治療のために使われたからである。正倉院に納められるということが、門外不出の秘宝となることを意味するようになったのは実は後世のことであって、当初は貴重な漢方薬の便宜的な保管庫として利用されていたのではないか。
そして毎回の「正倉院展」には、年に数点ほど、その種の宝物が出陳されている。今回は『五色龍歯(ごしきりゅうし)』が展示されていたが、この巨大な歯は決して龍のものではなく、ナウマンゾウの臼歯の化石であるという。当のゾウくんにしてみても、まさか自分の歯がはるか遠くの極東の島国にまで伝えられたあげく、千年以上も大切に保存されているとは夢にも思わなかったろう。
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現在の正倉院は「勅封」と呼ばれるもので厳重に封印されており、天皇の許可がないと開封できないことになっている(ただし今は正倉院のなかに宝物はなく、戦後に建てられた鉄筋コンクリートの宝庫に勅封がほどこされている)。
けれども、過去には室町幕府の将軍たちや織田信長らが正倉院を開けさせ、薬物の一部を切り取って持ち帰ったという事例もあるらしい。たしかに当時の薬や香木は、ある意味では金銀財宝にまさるほど希少であり、それが海外からはるばるもたらされた珍品ででもあれば、まさに宝物だとしかいいようがないだろう。昨年、日本で新型インフルエンザが猛威を振るったとき、ワクチンが足りないといって騒いでいた日本政府の姿が、ため息とともに思い返されるのはぼくだけだろうか。
正倉院には、聖武天皇の身辺に置かれていた高貴な遺物と、庶民の日常生活に直結した俗なるものとが渾然一体となって詰め込まれているのである。
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