てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

五十点美術館 No.13

2008年04月16日 | 五十点美術館
尾形乾山『色絵吉野山文透彫反鉢』


 京焼の名匠である尾形乾山の存在は、あまりにも有名な兄の陰に隠れて今ひとつパッとしないようだ。先日まで京都で乾山の大規模な展覧会が開かれていたが、公式ホームページには学芸員がこんなメッセージを寄せていたほどである。

 《いきなりですが、尾形乾山をご存じでしょうか。「かんざん」と呼んでる人はいませんか・・・。》

 こうやって注意が喚起されているとおり、乾山と書いて「けんざん」と読む。しかし正しい読み方を覚えたところで、5歳年上の尾形光琳には及ぶべくもない。何せ光琳の「琳」は、今に至るまで多大な影響力をもちつづける琳派の「琳」でもあるのだから。

 だが、各地の美術館にマメにかよっていると、光琳の絵よりも乾山の焼物に出会う回数のほうがはるかに多いのに気づく。そして、観るたびに作品の印象がちょっとずつ異なるのである。

 現代の陶芸家は、自分の作風を確立すると際限なくそれを繰り返す傾向が強く、それを極めたところに「人間国宝」といった栄誉がもたらされることが多いが、昔の陶工は実にさまざまなものを手がけた。彼らは腕の立つ職人であると同時に、多彩な注文を取り仕切る現場監督でもあったのだ。

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 焼物というのは、つくづく不思議なものだと思う。まず、立体造形という一面がある。つまり彫刻と同じように、三次元であらわされた芸術作品ということだ。そして焼物の場合、そのうえに必ず“何かの用に立つ”という条件がつく。つまり花瓶なり皿なり壺なり、日用品としての使用に堪えるものでなくてはならないのである。

 現代の陶芸展をのぞいてみると、作品としてはおもしろいけれど実用には向きそうもないな、というのがあまりに多い。その点、乾山の焼物はじゅうぶんに使うことができる。実際に料理を盛った写真も出ていて、後でこれを洗うときにはずいぶん神経を使うだろうと心配にもなるほどだ。先ほどの学芸員によると、「乾山写」と呼ばれる食器が今でもデパートで盛んに売られているそうだが、それは彼の焼物の実用性の高さを証明してくれるだろう。

 しかし、ただ実用的であればいいというものでもない。工芸品である以上、装飾という要素が必要になってくるわけだが、それには誰かが絵付けをしなければならない。実際、乾山が作った器に兄の光琳が絵を描いた作例も多く、見事な分業がおこなわれている。

 それだけではなく、装飾と器とが手に手を組んで、鮮やかなコラボレーションを繰り広げたりもする。たとえば、紅葉と流水をかたどった向付などはいい例だ。単なる飾りではない、柄とかたちが一体となった新しい器。入れ物としては少々扱いづらいにちがいなく、戸棚にしまっておくにも場所をとるかもしれないが、あたかも季節の一部分を切り取って食卓に饗するようなおもしろさがあるではないか。

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 『色絵吉野山文透彫反鉢』は、名前のとおり吉野の山桜をモチーフにした鉢である。外側に描かれた桜と、内側に描かれた桜とが一体となって、まるでそこに小さな満開の桜の林が出現したかのようだ。「透彫」とあるように、梢のところにはいくつかの小さな穴が開けられている。実用面ではまったく必要のない穴だが、枝々の隙間から春の陽光がこぼれ落ちるさまがそこには想定されているのだろう。

 手のひらで包み込めるほどの小さな空間に、春の意匠がすべて盛り込まれた器ひとつ。もはや足りないものはないようなものだ。

 さて、あなたなら、ここに何を盛りますか?

(MOA美術館蔵)

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