てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

五十点美術館 No.20

2008年07月04日 | 五十点美術館
北大路魯山人『いろは金屏風』


 このところ、北大路魯山人にまつわる書物をよく読む。街の自動販売機で、松嶋菜々子と一緒に写っている写真を見たからではない。彼の作品とたびたび出くわすうちに、その豪胆とも繊細ともいえる奇妙な人間性に興味をそそられたからである。

 魯山人はこれほど有名な存在なのに、美術の専門家の間ではまともに論じられていないらしいし、その狷介孤高な性格から、気難しい頑固オヤジのような印象を広くもたれている。実際、彼の歯に衣着せぬ奔放なものいいは多くの人を激怒させたようだし、知り合いが徐々に離れていったというのも本当のようだ。しかしその一方で、魯山人と親しく接する機会のあった作家の阿井景子は、ラジオドラマを聴いて人知れず涙を流す意外な魯山人の姿を書きとめている。

 軽佻浮薄もここに極まれりといった感じの昨今、心の底から怒り、泣き、お仕着せの名誉を嫌い、自分の焼物に究極の料理を盛りつけることを生き甲斐とした魯山人の生き方は、賛否両論あるにしろ何だかなつかしい。

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 魯山人は料理や陶芸だけではなく、絵画や書道もたしなんだ。いやむしろ、そちらのほうが彼の原点だったらしい。12歳のときに京都で開かれた内国勧業博覧会で竹内栖鳳の絵に感激したのが、彼が芸術の道へと進むきっかけであったという。

 書道は誰からも習わず、まったくの独学だったそうだ。今でも「お習字」などといって、書道は代表的な習いごとのひとつになっているが、思うに習字と書道とは似ているようでいて、まったくの別ものではなかろうか。かくいうぼくも子供のころ習わされたことがあったが、これっぽっちも上達しなかった。お手本とは似ても似つかない奇妙な字を半紙の上にのたくらせているぼくを、隣の席の生徒は唖然として見ていたものだ。ぼくは思わず「自分の個性のほうが勝ってしまう」と負け惜しみをいった。相手は、皮肉か本音か「えらい」と投げ捨てるようにこたえた。

 今に至っても金釘流は直らず、人前で字を書くのに必要以上の緊張を強いられることは他の記事のなかで書いたとおりである。だが、そんなぼくを勇気づけるような一文を、あの魯山人が残していた。

 《形に引っ掛かり、こうでなければならぬということになると、その心持ちは、すでに他所(よそ)行きの作意ある心持ちとなって、人に見せるための字になっている。自分で嗜みに字を書くにあらずして人に見せるという見栄を切る不純な了簡があるために引っ掛かってくる。》

 看板書きのように注文どおりの字を書いて飯の種にするのでないかぎり、形や体裁に引っ掛かる必要はない、というのだ。ぼくのように文字の下手な人間は、この説をいいように使って自分を励ましたいところである。

 それにしてもこの文章を読むと、やっぱり魯山人は“偉大なるシロウト”だったのだな、と思う。職業として字を書く以上、他人の存在を完全に忘却し去ることは難しい。人の眼にどう映ろうが気にとめず、自分が感じたように自由に、思うがままに筆をふるうということは、書道でも絵画でもきわめて困難なことではなかろうか。他人に迎合することを、魯山人は徹底的に忌み嫌ったのであった。

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 型にはまることがイヤな魯山人は、料理や陶芸へと手を広げたが、いずれも独学であった。誰にも習わずして、これほど多くの領域に優れた仕事を残した人は、彼のほかに誰がいるであろう。

 昨年の秋、東京を旅行して赤坂のホテルに泊まったが、周辺を散歩しているとき、階段の脇にエスカレーターのついた日枝(ひえ)神社の前を通った。さすがは東京だ、神社にもエスカレーターがあるのかと感心したが、魯山人が経営していた星岡(ほしがおか)茶寮という会員制の料亭はここにあったらしい。

 星岡茶寮は大阪にもあって、現在の阪急曽根駅近くだということだが、ぼくはかつてそこから歩いて10分ぐらいのところに、何も知らずに住んでいた。どちらの料亭も戦災で焼けてしまい、魯山人の傍若無人なふるまいが従業員の反感を買ったこともあって、料理家としての野望は夢なかばで潰えたといってもいいかもしれない。しかし今でもお茶の宣伝に借り出されるぐらいだから、彼の味覚はやはり一目おかれているのだろう。本人はおそらく、現代のグルメ志向を苦々しく思っているにちがいないが・・・。

 晩年、体力の衰えた魯山人は、ふたたび書に戻った。京都で開かれた書道展が、彼の最後の個展になった。不調を押して会場に姿をみせた魯山人は、今度は必ず焼物を持ってくるからと約束したが、それから2か月後に帰らぬ人となった。来年が没後50年にあたる。

(後楽園蔵)


参考図書:
 長浜功『北大路魯山人という生き方』(洋泉社)

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