てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

現代美術に肩まで浸かる ― 国立国際美術館私記 ― (2)

2008年02月09日 | 美術随想


 ピカソの絵を所蔵している美術館は、日本でもかなりたくさんあるのではないかと思うが、ほとんどのところでは、コレクションのなかでもっとも新しい作品の部類に属するだろう。だがここ国立国際美術館では、セザンヌについで2番目に古いのがピカソのようだ。1905年に描かれた『道化役者と子供』については、過去に「メモリアル・ピカソ(4)」で取り上げたことがある(この連載自体は未完に終わってしまったが、実は今でも未練がある。機会があれば続編を書きたい)。

 さてピカソの絵というと、何を描いたんだかよくわからない抽象画だと思っている人が少なくないのではないかと思うが、彼の絵は常に具体的なものを変形することから出発した。その点で、ピカソは究極の具象画家だと、ぼくは思うことにしている。

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 この美術館のコレクション、特にここ半世紀ほどの作品を概観すると、現代美術というのは絵を描くときの技術や美的な感性よりも、観念や思考力が前面に押し出された、いわゆるコンセプチュアルなものだという印象を改めて受けざるを得ない。そんな美術の潮流のなかに置いてみると、ピカソの絵はたしかに古典的である。

 彼はあれこれ深く考えることなく、というか考えるよりも先に手が動いてしまい、気がついたら一枚の絵ができあがっていた、というタイプの画家ではないかと思う。描くことがすなわち、ピカソの思考だったのだ。

 と、こんなふうに書くと聞こえはよいが、実をいうとぼくはピカソのことを、次のようにいいたい欲求が抑えきれない。思い切って書いてしまうと、ピカソは並みいる現代美術家の先生方ほどには“頭がよくなかった”のではないか、という気がするのである。絵画の抽象化などという高度な概念は、ピカソの辞書にはなかったにちがいなし、使う必要もなかったのではないだろうか。

 だがよく考えてみると、絵を描くのに“頭脳”を必要とした時代は、ピカソ以前には存在しなかった。世界の美術史を彩ってきたさまざまな技法は画家のアトリエのなかで発明され、腕から腕へと伝えられたもので、机上で生み出されたものではなかったのだ(点描画家のスーラはかなり学問的に裏打ちされた絵を描いたようだが、そんな彼には後継者があらわれなかった)。

 美術作品を知的に考察するのは学者や評論家の仕事だったのだが、今ではアーティストみずからが学者並みの複雑な言辞を弄するようになってきている。時代は変わったのである。

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 キュビスムの技法で描かれた『ポスターのある風景』(上図)は、ピカソのなかでもわりと知的な作品に属するだろう。

 キュビスムというのは、対象を分解して再構成するという、一種のパズルのような絵であるから、ある程度頭を使うのは必要なことだ。キュビスムの絵画は時代を席巻し、美術の常識を大きく覆す事件となった。事典などには、ピカソのことをキュビスムの画家と紹介しているものが少なくない。

 だが、キュビスムはピカソの体質にあまり合っていなかったのではないかと、ぼくは思う。彼がキュビスム風の絵を描いたのは、たった10年足らずのことで、長い画歴からすればほんの寄り道にすぎないともいえる。その奔放な女性関係とともに、創作のテーマは人間の肉体を謳歌する作品へと移っていった。この絵のような“風景画”は、その後ほとんど取り上げることもなくなった。

 20世紀にあって、“頭脳”を捨てた芸術家。それが、ピカソである。

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