藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

どこかで聞いた言葉

2015-11-18 08:34:30 | 日記・エッセイ・コラム

 ジハード(聖戦)。 どこかで聞いた言葉である。 自爆テロ・・・・ もしかして「特攻」。 どこか七十年前の日本を彷彿させる気がしてならない。

 それに対して、日本までもが参戦したいらしい。 八十年前、対中国戦に「聖戦」と名づけた戦いをした国が、再び他国の「聖戦」に本格的に首を突っ込もうとしている。 資本家の欲望は果てしなく深いようである。 他国の不幸で金儲けしても、その反動は計り知れないことは、経験積みのはずだが、「やめられない、止まらない」状態のようである。 消耗品を大量生産し、産業界に活気をもたらすには「戦争」が一番らしいが、経済の疲弊は計り知れないものが有るはずである。 ベトナム戦争、アフガニスタン戦争後のアメリカ経済の落ち込みは、バブル経済の破裂で社会底辺層の庶民を痛めつけて、その余波は日本も巻き込み経済の停滞を招いたことは事実である。 若者は社会を信用しなくなり、ニート族や低出産の社会現象を生み出している。

 加えて、戦場で若者の血が再び流されようとしている現状を、政治家はいかに考えているのだろうか。 考えていないことは確かである。 自分たちの孫や、ひ孫は自衛隊に入りはしないのだから。 たとえ入っても高級幹部で、戦場において血を流すことは無いのだ。

 国民を食い物にする政治家を一掃する、「聖戦」こそ必要な事と思えてきた。 過激派の気持ちが何となく理解できそうであるが、そこが落とし穴なのである。 右翼の過激派「アベチャン」は、その様な心の隙間から侵入して、自民党の多数政党を形成したことをよく考えるべきである。 

 来年の参議院選挙こそが、真の将来日本の姿を決める事に成りそうである。 「軍国日本」か国民主体の「平和主義国家日本」かの選択となるのだろう。 戦前の過ちを繰り返すことの無きように願うのみである。

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