藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

日記代わりのブログ

2015-11-10 17:03:16 | 日記・エッセイ・コラム

 日記代わりに始めたブログであるが、不思議と日記にはなっていない。 あまりにも自分を曝け出しってしまうのが、出来ないところが私の欠点だと気付き始めている。

 ある面「いい恰好しい」で、ある面「いい加減な人間」の証拠である。 そこにあるのは「自民党的自分」だと気付いた。 自民党政府は、「原発は安全である」と言い続けてきたが、神話が破れると経済活動に「原発は必要条件」と言い張っている。 

 愛媛県の、仁方原発の再稼働に向けての行動を見るにつけ、滑稽としか思えない行動を、せっせと行っている。 「安全な再稼働」なのだが、自衛艦まで使った避難訓練を行って、県民の了解を取り付けようと、もがいている。 安全でないから、「避難訓練」が必要なのである。 言い分は、「万が一の事故に備えて」だそうである。 しかも、陸の孤島らしい。 一たび事が起これば、避難経路が断たれるらしい。 避難経路がないという事は、救援経路もないという事である事を、誰も指摘しない。 不思議な世界である。 言うなれば、欲にかられた「原発誘致」だった結果なのである。 

 仁方原発が一度事故を起こせば、瀬戸内の海が汚染される。 その被害の甚大さは、想像すら出来ない規模であろう。 ただ単なる経済的被害だけでなく、人的被害も起こるはずであるが、誰もそのことを言う者はいないし、被害の予測もされていない。

 要するに「みんな他人事」なのである。 同じ要素が「学校現場」で起きている。 いじめも自分が被害者にならない時は、他人事で済まそうとする。 少人数制の学級運営の齎した悲劇がそこに存在するのだが、誰もその事に付いて議論しようとしない。 教職員自らが招いた不幸なのだという事さへ、気付いていない様である。

 ベットに寝ていた方がよく見える事がある。 世の中、そんなことが多いのであろう。


今日も雨

2015-11-09 13:46:24 | 日記・エッセイ・コラム

 今日も雨である。 体調不良時には、雨が体の中を流れている感じがする。 「秋雨」も、若き日にはロマンチックであったが、この年になるとただ単に憂鬱になるだけである。

 「冬季鬱」という病が、世の中には存在するそうであるが、「老人性うつ病」というのもあって不思議ではない気分である。 そんな自分が、温かい布団の中ではとろけて寝入ってしまい、夜になると目が冴えてきて眠れない。 昨夜はそうした状態であったが、ふとした事から以前から違和感を感じていた「橋下大阪市長」の提唱する「大阪都」構想に関する疑問点の一角が氷解した。

 「都」とは、首都に使われる名称であって、首都でもない大阪府に使用する事が、適当であるかどうかと聞かれれば、不適当であるに違いない。 「橋下氏」が言わんとしたことは、大阪府の二重行政を解消しようということであって、「大阪都」と言う名称を使用しようという事ではなかったのは明白である。 「橋下氏」の国語力の問題であって、政治課題では無かったのである。 いわゆる「行政改革」、「行政の簡素化」であって、その「手法」と使用した呼称に、大きな誤りが存在したことが敗因である。 大阪市が、積極的に「善政」を敷き、周辺市町村が大阪市に合併して行けば事足りただけの話なのである。

 タレント弁護士になって、誇大広告に慣れてしまった人間が陥る、「思考回路の突き当り」になってしまった感がある。 それは「維新の会」にも当てはまる。 だから分裂しても「当たり前田のクラッカー」になってしまったのだ。

 「キャッチフレーズ」のみで、中身が感じられない構造改革は失敗に終わる。 周辺市町村が、財政危機なのならば、放って置いても何処かの、財政基盤の大きな集団に吸収されていくはずである。 たかが地方自治体の長がより大きな力を持とうとした所に、市民が反発したのが事の顛末なのではなかろうか。 


やっとサイバー攻撃から解放か?

2015-11-06 09:53:45 | 日記・エッセイ・コラム

 インターネットに繋ぐ事を控えていた。 メールがやっと十件台に減ってきた。 しかしその内容は、「花園娯楽部」との表題が中心である。 

 以前の大量メールは、「お金」が中心であったが、本日から女性の売り込みに変わった。 こんな「おじいさん」に何の用事がおありなのか、不思議である。 ぼけ老人を食い物にでもしようと思っていることは明白だ。 世の中、年寄を騙すのが趣味にしている輩が多いのは、いささか嘆かわしいのであるが。 

 そもそも詐欺罪は、人の善意を利用したものが多いので、刑期が長く設定されているはずだが、そんな事より「お金」の世の中になってしまった事が、嘆かわしい。 全て財界の言いなりの教育と、政治のせいである事は明白なのだが、日本国民がどこか落とし穴に嵌ってしまったようだ。 考えてみると、政財界事態、詐欺集団のような物である。 国民は、「バブル経済」を一度でも経験するとその快感から抜け出せないようである。

 中国もご多分に漏れず、経済の活性化のために「一人っ子政策」を投げ出して、膨張政策に転換し始めた。 その事は、人口問題だけではなく、当然に国民を養う食料の確保のために領海の拡大策で、南方諸島の占領に走っているようである。 戦前までの日本の姿を見ているようだ。 

 この政策が挫折した時に、中国はソビエトと同じように分裂するのであろう。 なんだか近い将来に思えてきたが・・・・・・・・・・・。