藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

今井田の吊り橋

2011-10-28 03:52:16 | 社会・経済

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今井田の釣り橋である。こちら側にはかつて、JR可部線の今井田駅が存在した。対岸から渡し船で渡っていたが、水難事故がありその後、吊り橋がかけられたと聞く。昨年大規模な修復がされて、見事な姿を見せてくれる。この橋の下は、夏は水遊でにぎあう

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これが本来の川筋加計路の姿であったろうと想像される。左が太田川、右が断崖でる。落石注意の看板が目に付く。

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かっての人たちは人力で断崖を削り道をつけこの狭い土地にも住み着いた.もっとも、川からの収入が十分にあったであろうことは、想像できる。川がに、あゆ、うなぎ、豊富にとれた。いまは、下流に、高瀬堰きができ激減した。 耕作地の少ない土地で、昔から学校の先生を多く、排出したとちがらである。人情が細やかな集落今井田、私の好きな集落のひとつである。

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川沿いの益田道(今井田)

2011-10-26 16:57:25 | 社会・経済

022_3                                     亀山発電所跡              

幾度かの洪水に見舞われたが、今は太田川漁協の事務所 10/23 益田路(加計川筋路)分岐点を、左に直進すると川沿いの路となる。、

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雨が降るとこの道は、今でも通行止となるこたがある。 かつては、雨が降ると直進せづに、飯室路を行来したであろうと、想像される道である。ご覧のように昭和二十年九月に氾濫し約三メイトル水没したようだ。これは、台風(ジェーン台風だったかな?) 広島に来襲、かえって放射能を洗い流してくれたらしい。台風も時には役立つこともあるが、この地方(可部の街)は、水害で大変だったらしい。そうそうここに来るまでに是非とも皆さんに見ていただきたいのが次の場所です。今は、自動車の販売店になっていますが、かつて此処は、中国電力可部営業所でした。原爆投下時、被災者を可部線を使い、次々に運び込まれ、救護所となったところです。私が可部に移り住んだ時には、まだ当時の建物がのっこており、保存活動をしましたが、残念ながら実を結びませんでした。当時ここで、救護活動をされたみなさんも、ヒバクシャの認定を受けています。ですから可部には、多くのヒバクシャ(特に女性)がいまも住んでいます。

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この事がきっかけで、「一人でも」をはじめたのです。一人デモでわありませんが、直接、行政や市会議員に企画書を造り読んでもらう運動を始めたのです。建物を残しても、後何に使うかまでの創造力がない限り、被爆建物は残せないと、気がついたからです。「一人でも」活動は、誰にも束縛されず、仲間割れも無く、ただ創造力と、企画力が勝負なので、私にあっていたのでしょう。今日まで続いています。広島におこしの際は、気象台博物館に足を運んで見てください。私の最高傑作と自負しています。   

                                       

                                       

                                         

                                       

                                        

                                          

  

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私の目と心(特別編)

2011-10-25 08:48:04 | 社会・経済

広島市内に、不思議な消防署がある。消防車約五台、救急車

約五台くらい。消防隊員ゼロ人。救急法救急員約十五名常駐。

この消防署官内には、火災は発生しないらしい?大規模な消

防署の管内に(安佐北区可部消防署)、分室を作って見たりと、

議員の我田引水に振り回される消防局。・・・・・天下りを追求さ

れて、議員の言いなり。

消防ヘリ導入のため、甲子園出場高校に、騒音苦情対策のた

め、消防職員から強制の多額の寄付をしたり。幹部は定年後、

警備会社役員に天下り。どうしてっかって?・・・夜間警備員の

不在マンションや、ビル情報を事前に、消防署から得るためで

す。政令都市が聞いて呆れる体たらく。財政赤字に、中心部か

らの百貨店の撤退。ばらまき政治が、区制を敷いた市政と融合

せず特色ある街作りが出来ていない。デレロッパーのやりたい

放題。広島駅周辺部に目が行けば、他は手抜き。ましてや郊外

は放ったらかし。防災計画もハザードマップが配られるだけ。具

体的には聞こえてこない。大きな声を挙げたところから防災工

事が始まる。結果、その他の所が崖崩れ、護岸崩壊。議員さん

自分の票のための政治はお断り。自分の目で見て聞いて、危

険な箇所から予算を使ってくださいよ。海外研修の費用があれ

ば、少しでも保育施設の拡充に使うのが議員の仕事。冬のボ

ーナス、3.11災害に寄付されたら喜ばれますよ。「出すのは

舌を出すのも嫌」そんな議員ばかりだから、定数削減もできま

せん。こんな議員では、債務削減など期待したほうが、間違い

でした。

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私の目と心(特別編3)

2011-10-25 07:14:09 | 社会・経済

原発廃止のご文章

原発一流の章

証人一流の説明のおもむきは、安全をもって本とせられ候う。

その原発は、もろもろの安全を投げ捨てて、一心に経済効果を追求すれば、日本経済の原動力として、活躍せしめたもう。

その原発を、一念発起安全不要機種とも釈し、その上の安全管理は、下請け任せと定めたまいし。原発爆発の原因と、こころうべきなり。

あなかしこ、   あなかしこ。

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私の目と心(特別編2)

2011-10-25 04:52:56 | 社会・経済

国会議員のご文章

それ、政治家の不浄なる様を、つらつら感ずるに、おおよそ、政治資金のもたざるものは、この世の始中終、国会で陣笠と呼ばれる身なり。

されば、その中よりいまだ、総理大臣が生まれたとゆうことを聞かず。陣笠議員は過ごしやすし。

今日に至りても、百年の議員生活を保つべきや。我やさき、人や先。解散は、今日とも知れづ、明日とも知れづ、一度落選いたさば、もとのただの人、といえり。

されば、朝には、胸に菊のバッチ有りて、夕にはただの人と、なれる身なり。

すでに解散の風、無情にふきたりぬれば、すなわち、あたふたと地元を這いずり回り、落選の憂き目に合えば、厚顔むなしく変じ、国会議員の装いを失いたるときは、六親眷属友人集まりて嘆き悲しめど、さらにその甲斐あるべからず。

さて友人、知人、家族みなして慰め、自宅に送れどもこの時よりただの人となりぬ。

夜半の涙となりぬれば、ただ菊のバッチのみのこれり。おろかとゆうも、あわれなり。

されば、国会議員のはかなきことは、肝に銘じ、老少国民のための政治を心がけ、いつなんどきの解散の一大事を心にかけ、国民のためのせいじを深く念じ、財界、官界と間を保ち、国民を深くたもみまいらせ、政治を行うべきなり。

あなかしこ、 あなかしこ

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