私の胆嚢に「戒名」を付けたいと思うが、良い案が浮かばない。 諏訪神社の流れだから、「南無阿弥陀仏」はそぐわないのだが、明治維新により、肉食が許され、肉食に「鹿食免」(かじきめん)の御札がいらなくなった。 藤森一族は全国で相当困っただろう。・・・・お札を売っていたのが藤森一族なのだ。
ところがそうでもなかったようだ。 信仰はそんなに急展開に付いて行けない。 中国山地などは、砂鉄を掘る為、山を崩し、残りし土地を畑にすると、元の山に住んで居た「鹿、熊・・・」が里に下りてきた。 退治するのは良いが、せっかくの獲物は「食べる」に限る。 けえって、多くの場所で諏訪神社の分社が作られたらしい。 そんな事から「何々の命」としたいがその薀蓄さえない現代である。 我が体に一部が、私より先にあの世に旅立つ・・・2度目だ。一度目は、小学5年生の時、「虫垂と、大腸の一部」これが一番乗り。 人生3度荼毘にされるとは。 それにしても先の連中は、三途の川で待っているのだろうか?・・・・・。
獣が里へ・・・諏訪大社の分社が増える・・・興味深いお話です。
ぜひ続きを、聞きたいです。