出来つつあるデスノート
見え始めた終着駅のホーム。
其のホームに降り立つ自分の理想像を、描きつつ身辺整理をしていくことは、大変エネルギーを必要とします。体力に余裕の有るうちに済ませることが出来ることが、私の理想です。
とくに、アスベスト肺と診断を受け、最終地点での終わり方が見えてきたとき、其の準備を始めました。私の死後、妻の茜にはわからない事を、一つ一つ文章化し、一冊のファイルにしておくことにしました。其のファイルの厚さが増すごとに、心と体が軽くなっていくようです。義理のやり取りや、賀状のやり取りも、この新年から全て止めることにしました。其の分余った時間を同じアスベスト肺に気づかずに居られる人の発掘に使うことにしました。
そこに見えてきたものは、孫や、子供たちのふとした行動の、可愛さでした。
妻の愚痴や職場での不満も、澄まされた心で聞くことが出来、今までとは違った感想を持つようになりました。他人の子供も可愛く見えて、スパーなどでも思わずほほえんでしまいます。『美しい物を美しい』と思えることのすばらしさを感じる、今日この頃です。
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