藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

近頃見掛けなくなった物(四)

2021-05-14 07:56:32 | 日記・エッセイ・コラム

 戦後、私と共に大きく成ったと思っているのが、三輪トラックである。 通称オート三輪と呼ばれていた。 昭和三十年代末から、「マツダ」に勤めていて、ロータリィーエンジンの開発に加わっていた友人が居た。 妙に私に親しくしてくれていて、結婚の相談までされた男だが、実直な人柄で誰からも愛されていた。 ある時(確か四十二年頃)、大型オート三輪が姿を消し始めた頃である。 突然ダイハツが、「ミゼット」を売り出した。 大村崑がTVで、CMをやって大当たり。 小型三輪である。 しかしそれもすぐに四輪に変わっていった気がする。 そうした中、「マツダ」は、工場や、輸出用車両の保管駐車場を次々と建設し始めた。 日本の車が、世界を席巻し始めた頃だ。 偶々、先の友人が仕事をしている研究所の工事も遣る事に成り、彼と昼時間よく一緒に社員食堂で食事をした事がある。 その時彼が、資料室に珍しい三輪トラックが有ると教えてくれて、尚且つ見せてくれた。 私の記憶では、1933年製で、エンジンの上にまたいで操作する形のもので屋根は無かった。 しかし私の記憶の底に、子供頃にどこかであったきがした。 三歳か四歳ころだった気がする。 その三輪トラックに、「チチヤスヨーグルト」は乗せられて、販売店に運ばれてきていた。 あまり大きなトラックではなかったが、何だか親しみやすい物だった。 ネットで検索してみると出てきた出てきた。 懐かしき姿だった。 前輪の泥除けカバーの上に、羽が有りそこにCMが書けるようになっていた。 私が見ていたのは将にその三輪トラックであったが、それにしても、東南アジアでは今でも使用されているのに、なぜ日本では無くなったのか考えていたら、日本には冬が有って、冬になるとドライバーは、皮のジャンバーを着て運転していた光景が、浮かんで来た。 常夏の東南アジアと日本の差ではあったのだ。 懐かしいなー「オート三輪」。 追伸・ 先程病院帰りに小型三輪の集団に遭遇した。 その入り口の先には、「ヤクルト○○営業所」と書かれてあった。 そうか、「ヤクルトおばさん」が、50ccの三輪で、配達して活躍していたのを見落としていた。 「冬は寒いだろうなー」・・・、女は強い。 此れ実感です。

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