藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

昨夜から急に気温が下がり始めた。

2012-09-24 10:20:50 | 社会・経済

001 急に冷え込みが始まった。 夜慌てて夏用掛け布団に、毛布を足して寝た。 窓を全て閉じて睡眠。 朝食の準備の時に、長袖のシャツを取り出してはおった。 奥様は三連休、日ごろの疲れからか、寝続けている。 六時に朝食に誘うと、しぶしぶ起きて来て、その後朝風呂にお入りになった。 小原庄助さんでも有るまいが、今年の猛暑には、かなりまいっているようだ。

私は朝食後、ゴミ出しに行き、ゴミ置き場のトヒが壊れているのに気づき、修理道具一式をもって行き修理。 その後、朝の散歩と洒落てみた。

棒がしに実が付いている。 秋は確実に遣って来ていたのだ。 嘗てこの木は、天蚕(山繭)に欠かすことの出来ない木であった。 この木の葉で天蚕を飼育した。 方法は、この木を六尺の高さで切ると、根元から脇枝多数伸びてくる。 その枝に山繭の卵を取り付け、鳥除けの網を被せて山繭を育てる。 家の囲い代わりや、田んぼと山の際に棒がしを植えて育てたようである。

この木の団栗は、渋みが無く飢饉の時でも実をつけるので、大切に育てたらしい。

子供に時分に、ガキ大将と共に焚き火の中に投げ入れて、焼いて食べた事があったが、結構美味しかった記憶がある。 ただ実が小さいので面倒であった事は事実だ。

この木は、実を植えておくと簡単に芽を出す。 何の手入れもしないと、何処までも真っ直ぐに伸びてゆく。 六尺棒や、槍の柄、鍬の柄等は皆この木を使った。 この話は、私の叔父から聞いた事で、百姓はこの木を大切にしたそうである。

今私が住んでいる旧可部町は、昭和三十年代までこの山繭で、農家の奥さん達が相当な収入を揚げ、それ故に、「カカア天下」の町として、近隣に聞こえていたらしい。

我が家は、そうしたことの無いのに、「カカア天下」である。 この町に越して来たことで、そうなったのだろうか。

追伸 十時三十三分 「オスプレイ」が、爆音を響かせ飛んでいった。

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