朝早くから、ベランダの簾を撤去した。
すがすがしい秋日和だ。 風が西から東へと、音を立てて風が流れて行く。 空も底抜けに高くなった。 秋本番のようだ。 やくざと、暴力団の事をブログに書いたら、「遊工房」様から疑問が呈された。 やくざと暴力団の抗争「仁義なき戦い」の地は広島なので、広島の人間は、「やくざ」と「暴力団」の違いを体が知っている。 近々詳しく書こうと思っているが、興行や露天商を束ねていたのが「やくざ」。 特攻帰りなどの愚連隊の成れの果てが「暴力団」とまずは大まかに書いておこう。 ゆくゆく、ゆっくり書きたいと思うのだ。 そこには、昭和27年の「売春防止法」の実施が存在する。 加えて、昭和30年、「ヒロポン」の薬局での発売禁止。 つまり覚せい剤の、禁止がその底流にあるのです。 軍隊で、特攻志願者は、「ヒロポン」漬けの生活を強いられました。 その結果、中毒患者となったのです。 戦場から送り返された若者が、原爆で焼け野原になった広島を見た時、どのような気持であったか考えると、「ヒロポン」にすがった気持ちが、解かってきます。 廓が、公然と存在した時代と、そこから締め出された、集団との抗争は、熾烈を極めた。 若くして廓に売られた娘さん達の行く末を考えた集団と、その娘さん達の生き血を吸い取ろうとした「ヒロポン」中毒の連中の抗争が、「仁義なき戦い」根底にあるのです。 今も広島は、その底にその流れがあり、政治の世界もひこずっているのです。
全然 そういうの無知なんです