藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

何時お呼びが有るのやら・・・・

2019-01-11 12:56:05 | 日記・エッセイ・コラム

 正月早々、訃報に接した。 ブログで知り合った方のご主人が、突然亡くなられた。 我が奥様は、それは深い付き合いをさせていただいていたし、 私もお孫さんが、バスケットの選手として広島へ御出での時、応援に出かけた。 その訃報は突然であっただけに、ここ三年間の私の健康状態から、まったく逆の事が起こりえたのだと実感している。 特に二回目の入院は、虚血性心不全で、緊急治療室に入れられて、二十四時間器械に繋がれていた。 原因の究明が早く、適切な処置で命を守っていただいたことに感謝している。 がしかし、それと同時に、開業医に対する不信感は強まって、転医が出来づにいる。 開業医の経験も良いのだが、検査機関が無い分、信頼できないのだ。 

 そんなこんなで、終末医療の在り方や、身の回りの整理や色々考えさせられている。 起きて半畳、寝て一畳のこの体、死ねばゴミとなる身である。 戒名や、墓等要らぬと言っても、埋葬義務がある限り、野ざらしに出来ないのが辛いのである。 散骨すればよいのだが、私の住むあたりには、そのような場所がない。 そうこう考えていたら、土葬は理にかなった方法であったことに気付いた。 死に至るや、自然に帰るための準備として、土葬程素晴らしい方法は無い気がする。 その身は何時の日か土に成りて、草木の肥やしとなって自然界に帰って行く事こそ、真の成仏であろうと思い始めている。

 多くの命を頂いて、今日まで生きてきたが、残り少なくなった命で、何が出来るのかも考えている。 先ずは自らの葬式をどの様にするか、決めて置こうと思う。 坊主不要、葬儀不要、墓不要なのだが、親の墓がそこに立ち塞がってくる。 放置もできず、かと言って解体もならず。 ここが思案の為所だろうと思っている、今日この頃である。

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1 コメント

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Unknown (ナツ)
2019-01-12 09:49:29
昨夜こちらのブログにお伺いして奥様のブログの知り合いの旦那様がお亡くなりになったことを知り もしやとの思いで伺ってきました。私も何回かお会いしブログでは長いお付き合いでしたのでほんとうに驚きました。家族みなさんと楽しい新年を迎えたとの記事を拝見したばかりでした。
こちらのブログに伺わなければ気がつかなかった事でしょう。ありがとうございました。
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