藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

バームクーヘンは、広島市の宇品沖に浮かぶ小島「似島」で作られて・・・・。

2018-10-22 12:03:26 | 日記・エッセイ・コラム

 記憶をたどりながら調べてみた。 日本で最初に商品として販売された「バームクーヘン」については、

http://baum100pr.com/   と、  

http://www.cf.city.hiroshima.jp/rinkai/baumkuchen/baumkuchen.html  を是非ともお訪ねください。 詳しく乗っています。

 ところで、この「似島」は、今一つ日本で初めての記念すべき事が行われた場所なのです。 日本サッカー界が、何故このことを無視するのか、不思議でなりません。 実はこの島に収容された「ドイツ人捕虜」を慰めるために、広島高等師範学校を始めとする当時「蹴球」と呼ばれていたクラブ活動者が、似島のドイツ人捕虜を慰問し、サッカーの交流戦を行ったのです。 この事は「知る人ぞ知る」のことですが、日本が初めて国際試合をした記念すべき地なのです。 

 今広島は、サッカー場建設地で紛糾しています。 サッカーを本当に愛し、歴史を学び、最もふさわしい土地を選ぶのならば、南区の宇品海岸しかないのです。 その地からは、「似島」をはっきり見る事が出来ます。 本当のサッカーファンならば、宇品こそサッカー場建設地に最も相応しいと思うのですがいかに思われますか。

 日本サッカー連盟のえらいさん・・・・。日本のサッカー国際試合の地を一度は訪ねてはいかがですか。

コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« バームクーヘン | トップ | 似島の事を何故知っていたか »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
良く知っています (藤森照幸)
2018-10-23 09:40:30
広島県の戦後の社会福祉を牽引された方が3人います。新生学園、六法学園、似の島学園の創始者三人です。 その内、似の島学園の理事長は、お会いすることは無かったのですが、(すでに亡くなっていた)後のお二方とは、成人後行き来があり、戦後の動乱期の苦労話を聞いています。 それが縁で、国際障害者年の役員や、孤児たちの就職先の斡旋など過去には多くの学ぶ機会を与えていただきました。
返信する
元サッカー日本代表監督・・・ ()
2018-10-23 09:05:36
おはようございます、藤森さん。

森孝慈さんのことはご存知でしょうが、
似島学園を開設した森芳麿先生は孝慈さんの実父だったことをその銅像の頁を編集するときに(わたしは)知りました。
http://yutaka901.fc2web.com/page5bux10.html
返信する
Unknown (kazuyoo60)
2018-10-22 13:17:45
お子さんたちが作ってる、ちくわの親方のような姿です。テレビでもこんな姿のを見ました。
本物に出会ったことがありませんが、出会ったら高くても1度は買おうと思います。(笑い)
返信する

コメントを投稿

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事