藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

ふとん、されどふとん

2018-09-28 15:39:16 | 日記・エッセイ・コラム

 布団のこだわりを聞かれたら、「羽根布団は布団に非ず」、と答えてしまう私なのだ。 掛けているのか、掛けていないのか、判然としない軽さ。 戦後貧しい時代に育った私は、綿の布団でなければ落ち着かない。 湿ってくると日に干して、(小学校低学年時代は、おねしょうすると、自分で干したものだ)ふかふかになった布団はたまらなく気持ちよかったものである。 幾年かに一度、「綿の打ちかえ」と言うのをやってもらった記憶がある。 その時は、自分でリヤカーを借りて来て、3km離れた「綿打ちかえ所」の看板の有る工場まで持って行っ多記憶が鮮明にある。 その時期は夏で、布団が無くても下は座布団とござ、上はタオルケット一枚で十分過ごせたからだ。 出来上がってきたら、新しい布で側を縫い、手伝って綿を入れたものだ。 今やれと言われればすぐにでも出来る気がする。 そう、こんなことを書く予定では無かったのだ。 そろそろ秋風と共に冬ようの布団を、用意すべく奥様にたずねたら、側も綿も弱ったから処分したとの事である。 言われてみれば、長い間使用した気がする。 しかし、私の布団はどうするの・・・・。 仕方がないのでネットで買った。 それがれがこれだ。

七点セットで、送料なし。 一万円でおつりが有る。 昨夜は新しい布団で爆睡。 世の中変わったものだ。 「綿の打ちかえ」など何処でしていただけるのかわからない。 相当手間のかかる代物が、安い・・・・・。 驚きである。 まして近くの店で買うより安いと言うのが理解できない。 よくよく考えたら、商店に運ぶ運賃と我が家に運ぶ運賃は同じだ。 まして、商店のマージンを抜くと、安くても不思議ではないのに気付いた。 世の中今やNSNの時代なのだ。 デフレを模索する総理はそんな事は理解されていないのであろう。 人口が減少する分、社会の構造が簡素化されて、つじつまが合うようになっているのかもしれない。

 

 

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« なぜか・・・・・・ | トップ | 毛布カバーが・・・・ »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kazuyoo60)
2018-09-28 16:49:45
お布団を買われたのですね。
母の晩年に、布団を作ると言うので私も手伝いました。布団の生地も父母がミシンで縫いました。父は母よりもミシンが上手なくらいでした。戦時中、ミシン仕事をしたそうです。
新しい綿を買って布団作りです。いくらでも既製品で売ってるのにと思いましたが、母に逆らって良いことはありませんでしたので。
返信する
買って判ったこと (藤森照幸)
2018-09-29 08:03:53
自分で作った布団と買った物の差は、綿の量ですね。多めの好きな私には少し物足りなさがあります。かといって、綿がどこで入手できるのか解りません。時代はて手作りの時代から出来合いの時代へと変化したのを感じています。
返信する

コメントを投稿

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事