藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

あの集中豪雨から一年

2015-08-20 09:17:21 | 日記・エッセイ・コラム

△昨年の八月二十日、突然の集中豪雨で、http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg11867.html(当時の状況が分かります)私の住む安佐北区と、隣の安佐南区は甚大の被害を出した。 犠牲者の冥福を祈ると共に、一人の政治家を思い出している。 一昨年まで、現職議員として長きにわたり活躍されてきた「海徳 貢」議員である。 今回の水害を見ることなく亡くなられたが、町村合併までは安佐郡佐東町の町長をされていて、その見識は市議会議員の中でも突出していたように思う。

△なぜ懇意になったのかいまだに思い出せないでいるが、私が支援して当選した議員と、市議会棟の地下食堂で、昼食をしながら街づくりの話をよくしていた頃から、いつの間にかその輪の中に存在されていた。 不思議な集団がいつの間にか出来上がり、よく議論していた。 公明党一名、自民党二名、社会党一名、労働者党一名、部外者の私。 合計六名が議会開催中、「党議」がなければよく昼食を共にしながら、議論していた。 私は、建設会社の営業を担当していたが、大型工事を受注すると現場管理者の一人として働いていた。 議員の皆さんと懇意にしていると、色々情報が早くから入手できる。 会社も議員会館出入りは、公認の「さぼり」時間として、黙認していてくれた。 ある時、安佐南区と安佐北区の防災についての話題が中心になった。 砂防ダムの設置工事の為の工事用道路がないという、非常に難しい問題が両区にはあり、その解決方法をいかにするかの時、私が工事屋として一つの提案をしたことがある。 その方法とは、両危険地帯を縦断する道路の建設である。 安佐北区は「根の谷川右岸道路」、安佐南区は「佐東・沼田バイパス道」建設構想である。 安佐北区の計画は、公明、社会、自民三党市議が協力し市の基本計画に乗せた。 しかし安佐南区については、地主の反対が大きく実現しなかった。 昨年の水害時に被害の差が大きく出たのは、他ならぬこの計画が少しでも進捗できていたことの差に他ならない。 安佐南区の計画が、地主や他の保守系議員からの反対で潰れたとき、私はあることに気づき「県営住宅」の建て替えで、防護壁にする事を「海徳議員」に提案した。 しかしながら、実現は不可能であろうと思っていた。 県営住宅は、建設されて二十年経ていなかったからで、いかに木造とはいえ、コンクリート造りに建て替えられるとは思ってもいなかったが、二年後それは実現され、昨年の水害時は、防護壁の役目を果たした。

△今、広島市議会議員の中で、幾人が真の議員活動を行っているであろうかと考えると、片手で余るような気がする。 「名誉欲」に絡んでの「離合集散」。 真の理念を持った議員が少なすぎる。 「名声を欲せず」、「名誉を欲せず」、「百年の大計を考える」そんな議員が出てきてほしいものである。 私は議員とは、「市民」であり、「検察官」であり、「弁護士」であり、「裁判官」であるべきだと思っている。 市民から「権能」を付託された議員は、常に四つの立場から検討し行動すべきである。 因みに、広島市が安佐南区の住民に提示した「防災対策」は、四十余年前に「海徳議員」が私の意見の元提案された物と寸分違っていない。

△行政は、「市民の命と財産」を守るために、全力で計画し実行すべきである。 その為の数々の「法」が存在する。 だれも望まない、誰も恩恵を受けない「安佐市民病院」の移転よりは、早急に始めなくてはならないのが、「防災」なのだと思う。 たった三分の時間短縮のために、百億近いお金を使い作る「広島駅裏トンネル」など、不動産屋のお先棒を担いでいるだけである。 「目を覚ませ、広島市長」。

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