藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」   「出雲路珍道中記6」

2013-09-25 21:47:34 | 社会・経済

我妻「茜」様は、今回の旅に出かける前から、「日御碕」の子供の頃の思い出を、再三に亘って語っていた。

私の妻は「日御碕」に良い思い出が無い様である。 聞けばなんともユーモラスな話なのだが、「日御碕」と言うとこの一件を思い出すらしい。

その事件は、小学生時代の夏休みの事だったらしい。 バスでの日帰り旅行で「日御碕」に行ったらしいが、おそらくその日帰り旅行は、出雲大社を含めての旅行であったであろうと推測するが、ご本人は至ってその旅行の内容の記憶が無い。 どうもお父さんの事件が余りにも衝撃が大きくて、他のことが全て何処かに行ってしまったのであろうと推察している。

奥様の実家は、中国山地のど真ん中である。 したがって、広島より出雲の方が近い感覚があるらしい。 現実水の流れも、全て山陰へ流れているので、箸が流れれば自ずと日本海に行き着く。 当然に文化圏は「出雲」である。 初詣は、「大山寺」か「出雲大社」である。

出雲への道は、小さい峠を越えて「国道54号」へ出ると一本道である。 ただしこの国道が曲者で、水の流れは出雲へと下っているが、渓谷が急峻な為に遠回りして「赤名峠」と言う難所を越えていく。 夏はなんとも涼やかな峠であるが、冬は大変な豪雪地帯である。 「国道54号」の傍でスキーが出来る。 近年は寂れたが広島からのスキーで大いに賑わっていた時期がある。

妻の実家の婦人会や農協の旅行は、出雲大社~日御碕、一畑薬師~松江城と相場が決まっていたらしい。

その旅行で父親と我が奥様は日御碕灯台へと行ったらしい。事件は其処で起きた。 お父さんが下着一枚で、日御碕灯台の海で泳いだ結果、海から上がってきたお父さんの下半身が透けて見えたのだそうである。 その事件がトラウマなのか、日御碕神社の記憶が無いらしい。 らしいのでなく無い。 

Pic_0565 この神社を当時見たはずであるが、記憶に無いらしい。 

この日御碕神社は、天照大神が祭ってある。 伊勢の二見が浦が「日出処」 そしてここ日御碕は、「日入処」であり、この地上に日が昇り、日が沈むまでを取り仕切るのが天照大神で、この神社の本殿は朝日が当たらぬように本殿に日よけがしてある。

この神社は、夕日を祭る神社で明日の朝、復活して東の二見が浦から朝日が昇ってくる事を祈る場所だと、どなたかの本に書いてあった記憶がある。

Pic_0564 本殿の東面に張られた黒い膜板がご覧になれるだろうか。

日が昇り昼間を司るのが天照大神ならば、夜は誰が司るかが問題になってくる。

其処に大国主の命が登場してくる。

暗くなれば男女の仲は、・・・・・・・・・・。 子孫繁栄、縁結びの神様たる所以だという学者も居られる。 ある一面、納得できる所がある。

ところで、日御碕灯台の周りには泳げる場所は無い。 今回は時間の関係で訪問を諦めたが、灯台の周囲は断崖絶壁でとても人など泳げない。

奥様はきっと勘違いをしているのだろうと思っている。

と言うのもこの神社の西の端は・・・・・・・・。

Pic_0566 ご覧の様なこんな景色なのです。20軒ばかりの漁師集落で現在ではその多くが民宿をしている。もちろん漁師が本職である。

出雲市内から車で30分かからぬこの場所も、宿を求めた人々の車で埋まっていた。

他府県ナンバーの車で神社の境内は埋め尽くされていた。 この神社は元来、この港からのみ訪れた。 だから一の鳥居が港に立っている。

Pic_0567 この日この漁港の民宿には、住民の数倍の人間が宿を取っていたであろう。

おそらく夕暮れ前にここに着き、西の日本海に沈む夕日を眺めたに違いない。

この鳥居の下に立ち西を眺めると、岬の突堤の先にある小島の上の鳥居に夕日が沈むのは、いつの事だろうかと想いをめぐらせてくれる。

もしも冬至に、其処に日が沈むならば実に面白いと思った。

いずれにしても、出雲路は想像を掻き立ててくれる。

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