藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

姉と同い年

2023-09-09 13:37:03 | 日記・エッセイ・コラム

   「natu blog」  の 「natu 様は」、わたしの一番上の姉と、同い年のようだ。 今でも、空襲の時の空を思い出すそうである。 我姉も、原爆投下時には、父方の実家に疎開していた。 現在は廿日市市となっているが、宮内と言う地名の小学校に通っていたが、空が光って音が聞こえるまでが長かったそうである。 こちらに居たら登校時で、爆風で飛ばされて、亡くなっていたかもしれない。 直ぐ上の姉は、1944年に肺炎で亡くなったそうである。 父は、満州航空の整備教官だったので、日本に上手く逃げる手立てをして、帰国していた。 原爆は、私は生まれて四か月。 畳の上に寝かされていたそうであるが、爆風で畳ごと二間飛ばされたそうである。 私の姉は、病気がちであるが、配偶者は94歳であるが、いたって元気である。 グランドゴルフで、高齢者の日本記録を作ったり、まめに体を動かしている様だ。 私の通っている病院のすぐ隣が公園で、昨日その駐車場で、「おーい、おーい」と呼ぶ声がしたが、まさか「義理の兄」とは思わないので、知らない顔をしていたら、名前を呼ばれて気付いった。 暑い最中、グランドゴルフの練習をされておいでであった。 そんな猛暑も少しは和らいできた。 昼寝が気持ちよく出来る気温である。 それにしても、同級生の訃報が、多く届いてくるようだ。 と言うこの身も、いつ地獄からお召しになるやら、・・・。 朝目覚めた時、「今日も生きて目覚めた」と一人思っている。 TVを見る関係上、夫婦で家庭内別居となっている。 奥様は耳が不自由なので、イヤホーンが離せない。私は聞こえすぎるので、奥様のイヤホーンでも、聞こえてきて眠れない。 加えて、いつの間にか資源ごみの日に、捨ててあったPCを拾ってきて、直して使えるようになった物が四台十畳の部屋を占拠している。 プリンターも三台、その真ん中で「小さくなって」寝ている。 奥様の耳の関係上、私は電話番でもある。 結構これが忙しいのである。 可部警察の「交通安全協会」の役員、「俳句の会」、「郷土史会」、「ハーンの会」等々電話が結構懸かって来るのだが、全て応答は私である。 近々、長年の役員活動で表彰されるらしいが、私がして頂きたい気分である。 昼寝の寝床から空を見たら、透き通った底が光る秋空が見えてきた。 孫娘の運動会は、今年の暑さから、十月最後の土曜日に成ったそうだ。 この家に引っ越してきたのは二十年前であったが、其のころは、小学校の新学期が始まると、風に乗って運動会の練習の音が聞こえてきたが、・・・・静かなものである。

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