藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

日々感謝して、日暮れを待つ

2023-09-21 15:21:39 | 日記・エッセイ・コラム

 連日の暑さである。 暇な老人が二人、顔を突き合せれば、喧嘩である。 「トイレの扉が閉まっていない。」 「便器の蓋が空いたまま」等々、社会全般に何の影響も無き事で、喧嘩をしている。 時には、 三日ほど、口も利かない事が有るが、いつの間にか、他人の悪口を言っている。 ところで、我が家のお孫様が、大学受験が近づいた。 妊娠六か月と言う、超早産で生まれ、三か月間は、病院の保育器の中で育った男子である。 医師からは、障害が残ると言われたが、娘が大変な努力をして育てた。 この子の未来に、ある程度の判断が付くまで、次の子を作らなかったほどである。 その所為か、気立ては温厚であり、ジュックリ物事に取り組む子である。 下の女の子は、負けず嫌いで、誰にも負けたく無いと言う気力が、雰囲気に四六時中出ている。 上の男の子は、一年に一回、広島県の検診を受けている。 「発達障害者手帳」の交付を受けている。 そんな子が、広島県下一二の進学校に受験して、合格した。その時の逸話がある。 クラブ活動で。新入り一年生が、剣道「三級」の者が、入って来ると上級生は、少し警戒をしていた。 入部してきた新入生を捕まえて、練習してみたら、あまりにも弱いので、「お前本当に三級なのか」と言うと、「俺は田舎の三級だから」と言ったそうだ。 本人今何級になっているかが問題では無くて、剣道が出来ていることが好きなのだ。 しかし、入部してからの努力は、皆が感心したそうである。 中・高一貫校なので、五年間で三段になったら、退部せず現役剣道部員として卒業できるそうだ。 その目標を貫徹したそうである。 加えて、成績である。入学した当初は、300人中下から3番目の生徒であった。 同じクラスに、学年で一番出来る子がおり、その子は「鉄道」ファンなのだ。 私の孫息子が住んで居るところは、廃線になり広島近郊の廃線見学に一番のスポットである。 一年生の五月、その子が遊びに来たので、私が車に乗せて、広島浜田線の廃線跡を、案内してやった。 広島浜田線は、昭和20年の終戦時に、三段峡までで中止になり、鮮魚の運搬の為、全線開通に努力されたが、トラック運搬に押されて、計画は廃止された。 その後、私が住む可部町迄、路線が短縮された。 ところが、基幹病院が、旧浜田線の沿線に作られることとなり、在来線が一部復活したのである。 当時島根県側には、鉄橋の丈の橋脚や、駅の予定地の跡などみることができるこがおおく、どうもその子は満足したそうだ。 彼から塾を紹介されたり、数学を教えたりして居たら、学年でかなり上位の成績になったそうである。 広島大学に、受験するつもりであったが、指導教官から「筑波大学」を推薦されたそうだ。 前期試験で「筑波」を受け、ダメだったら後期で「広大を受ければ」と言う事だそうだ この夏休みは、成績の良い「鉄友」と、旅行をしたそうだ。 我が孫は、「障g害者手帳」で、運賃が半額。 加えて、付き添い者も半額なのだ。 学年トップのかれも、当初東大に行くつもりだったが、彼の受ける学部が、「筑波」の方が、実験施設や良い先生が多く、塾の先生たちに進められたらしい。 二人とも、合格した気分で、故郷への行き帰りが、二人で行動すれば二倍出来るとはしゃいでいるそうだ。 それにしても、若いという事は楽しきかな。 入学金、引っ越し費用、洗濯機、冷蔵庫、我のへそくりでは足りそうにない。 何方かご寄付を・・・・。我が孫の話である。

コメント (1)
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