藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

はなはだ残念

2019-05-08 14:08:41 | 日記・エッセイ・コラム

 私が一番好んだ樹が、無残な形になっていた。 樹齢百年を超える棒樫の樹である。 棒樫は、山繭を育てるのに必需品であった。 この葉こそが、良質の山繭を育てたのだ。 ここ可部町はその昔、と言っても明治時代、山繭の一大生産地で、山繭御殿が幾軒も建ったところである。 明治に近代化を陰で支えたのが、棒樫なのだ。 直径1mを超える大樹だったが、昨日通りかかると根っこだけ残して切り倒されていた。 

 悲しいかな、確かに駐車場には邪魔になったに違いない。 剪定して、何処かに移植すればよい物を・・・・これで一つ歴史の生き証人がいなくなった。 

 この背中合わせの家の庭先に、何処か誇らしげに鯉幟が玄関先で・・・・

 

こんな処で巡り合うとは、・・・・昨今鯉幟は小型化して玄関先になった様だ。 ここ等も都会の一部になってしまった。 うーん、広い庭が有れば大きな鯉幟を揚げてやるのだが。 如何せん、都会の額ほどの庭しかない家に住むと、其れもできない。 以前県営住宅に住んでいた時は、大きな庭付きだったので、孟宗竹の竿を立てて、吹き流しと共に鯉幟を泳がしていた。 秋に成るとその天辺に、フクロウが夜な夜なやってきて、「ほーほー」と啼いていたのを思い出した。