藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

この人誰だか判りますか

2018-11-09 14:42:59 | 日記・エッセイ・コラム

この顔を見て誰か解る人は、ロックカーだ。 そう、彼は「吉川浩二」だ。 彼も修道中学、高校生だった。 ・・・が、彼は入学するとすぐに後悔したそうである。 中学生は、木綿の学ランで、おまけに両腕の袖口に白線が入っていたので、行動を見張られているようで反発した。 そう、彼らの世代から制服反対運動が始まったのだ。 行き場のないエネルギーを、水球競技にぶっつけた。 180cmを超す体格は、当時実業団を含めた全日本の代表に、高校一年生から選ばれて、将来は「慶応」へ推薦入学が決まっていたのだが、全てを捨てて、高二の時東京へ・・・・。 ロックンローラー「吉川浩二」誕生の秘話である。 中学生の袖の白線は、戦争末期、建物疎開に動員された生徒が、爆撃に遭って負傷した時、自校の生徒かどうか判別するために始まったのだ。 そんな歴史的制服は今も白線だけが引き継がれている。 白線に憧れて入学して来た者、白線が嫌で別な学校に進学した者・・・いろいろある。 ところで、読売新聞で、昭和三十年代 「近代名勝負物語」という、連載がされた。 その中で、「広島一中」対「修道中学」と言うのが有った。 当時は、「一中~一高~東大」 という秀才の進む道に挑戦したのがこの方である。

 

 浅野藩の藩校から、日本有数の「一高」への進学校へ育てられた、「山田十竹」先生だ。 

 文化祭は、来年受験する小学生もやってきて大賑わいであった。

 校庭の一角に学徒動員で、原爆によって無くなった生徒の慰霊碑が、静かに生徒たちの活動を見守っていた。

当時の教職員以下、犠牲者の名が記されていた。 ここに記された犠牲者は即死者であり、一旦自宅に引き取られ、その後亡くなった生徒は一部しか記されていない。

コメント (3)
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