藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

今日は一日中「読書」

2015-01-22 16:41:31 | 日記・エッセイ・コラム

 

 昨日に続き今日も雨だ。 低気圧が来ると、動けない。 以前一度読んだことのある、「アングレン虜囚劇団」が書棚の中をいくら探しても見つからない。 最初に読んだのは、昭和の終わり頃であったように記憶しいる。 誰かに貸し出したままなのであろうと、インターネットで再度購入した。 

 昨日早くに届き読み始めたが、「父親の顔」と「母の姉の夫」の顔が交互に浮かんできて、二人から聞いた満州時代の話とが重なり、「満州航空史話」を取り出してきた。 私の父親は「満州航空」の整備教官で、母の姉の夫は「満州航空」きっての「銘パイロット」と呼ばれた人であった。 私からすると「小父」になる。 この人は「ハルピン飛行場」の所長を兼任していた。 測量飛行をさせると日本で三本指に入ると言われたらしい。 元は陸軍航空学校で教官をしていたが、「満州航空」が作られた時に、退官して満州に呼ばれたそうである。 「ソ満国境」の要、「ハルピン飛行場」の運営責任者として着任したそうである。 「奉天~新京~ハルピン」の定期便の運行に従事していたそうである。(軍部の関係者が利用するときだけ、本人が操縦したそうだ。) 

 そんなこんなで、読み終わったのが先ほどである。 この本は表紙を開くと、著者のサインが入っていた。 びっくりである。 以前読んだときも、広島の劇団を主宰されていた方の紹介で読んだ。 当時は父親も健在であったし、あまり強い衝撃は受けなかったが、今回は少し違って見えてきた。 「お国の為」の名の元に、「赤いはがき一枚」で、極寒の地で囚われの身となった人たちの苦労が、手に取るように感じられてきた。 このまま自民党政権が続くと、「徴兵制度」の復活が無きにしも非ず。 「国家権力」を「政策」と名を変えての自民党のやり方は、先の大戦と同じ道を歩んで行きそうである。 「貧しくても良い」。 日本には「清貧」と言う素晴らしい言葉が在った事を思い出して欲しいものである。

コメント
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