2011.07.02(土)
池袋での用事を済ませた後、せっかくですから埼京線で隣の駅「板橋」に行き、近藤勇の墓と中仙道の最初の宿場町を訪ねた。
JR板橋駅東口の商店街は「新撰組の街」とPRとしているが、板橋は千葉県の流山で新政府軍に捉えられた近藤勇が処刑された地である。
近藤、土方の名が刻まれた慰霊碑。大きな慰霊碑の周りには石板には新撰組隊士の名が刻まれている。近藤の遺骨の一部はここに埋葬されている。
近藤勇の像
近藤の肖像画の碑
明治まで生き抜いた数少ない新撰組隊士の永倉新八が発起人となって明治なってからこの地に新撰組同士の慰霊碑や墓を建立。同じ場所に自分も眠りたいということで、永倉の墓もあり分骨されている。
日本橋を出て中仙道の最初の宿場「板橋宿」。
昔の宿場町の名残がありそうなのはこの建物のみだった。
流山で捉われた近藤勇が処刑されるまで幽閉された脇本陣の跡地付近。写真左下に説明板が見える。写真に写ってないが石碑もある。
“板橋”の地名の由来となった「板橋」