よむよま

よむ・よまない、それから。

会津磐梯山・ブラタモリ

2016-07-29 22:04:20 | 見る
ブラタモリは会津若松から今度は磐梯山へ。

まず案内された洋館が有栖川宮の別荘だったの。
有栖川宮といっても、東征軍の総督じゃなく、その跡継ぎの人。
でも、なんかイヤ、有栖川宮が会津に別荘建ててるなんて、なんか癪だ。感じ悪い。

曇ってたのが、裏磐梯にたどり着くころにはすっかり晴れていいお天気。
五色沼と呼ばれる湖沼群、ここも歩いたことある、私。ハイキングといいますか。

タモさんは磐梯山に長年来たかったそうで、裏磐梯は山体崩壊を起して崩れたんですよと、
案内人を差し置いてどんどん説明しちゃう。
明治21年に噴火して、小磐梯と呼ばれていた山が崩れ、岩の雪崩が起き、それで五色沼ができた。
裏磐梯のあちこちに見られる小さな島や丘という盛り上がり、これが山体崩壊してなだれてきたときの塊、
これを「流れ山」というのだそうだ。
ええっ!流山!?(><)

五色沼の色の秘密を探るために水源に行ってみましょう。
小磐梯へ登りました。
たしかに崩れ流れ落ちていった姿になってる。
案内人の先生は「磐梯山が身を削って宝物を残してくれた」
しかし、当時は逃げる暇もなく、被害、犠牲は多かった。

さらに奥を目指し、五色沼の水源・銅沼(あかぬま)に到着。
ここのすばらしい景色にタモさん感動。
銅沼は酸化鉄で赤い色、ここからの水脈の通り方によって、赤い沼や、真っ青な沼ができた。

小磐梯を降りて向かったのは温泉神社。
源泉をなめてみると、しょっぱい。
この温泉で塩ができるんだって。
塩作り工場では源泉を3日間煮詰めて作る、山塩。
源泉はちょっと色がついてるのに、塩はきれいな白だった。
なぜ山に塩の水が湧くのか。
大昔は海だったから。
江戸時代は大量に作られていて、会津藩にとっての貴重な宝だった。

山体崩壊したあと、荒地になったところに植林して100年たったいま、緑豊かな観光地になった。
遠藤現夢という実業家が植林したんだって。
火山は被害も生むが、復興しながら成長もする。

火山好きなタモさん大感動でゴキゲンの回でしたね。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ヒトラー、最後の2000... | トップ | 民王スピンオフ「恋する総裁選」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

見る」カテゴリの最新記事