歌舞伎座の納涼歌舞伎第三部を見てきた。8月13日。
「雪之丞変化」なのだが、主演の玉三郎が補綴・演出ということで、新版となっている。
「雪之丞変化」というと、長崎の豪商の息子が主人公の仇討ち物語で、権力者の陰謀と欲望のために殺された両親の敵を、歌舞伎の一座で人気役者となって討ち果たすという、わりとシンプルな娯楽時代劇なのだが、だいぶ様子が違いました。
映像を多用していて、たとえば中車が何役もやっているのを見せるのに、普通に早替わりでやるのではなくて、映像で出す。舞台上に必要に応じてモニターが出て、そこに映る映像の中の役と舞台上の生の役がやりとりする。
そういう進行のための映像と、もう一つ、玉三郎自身がこれまで演じた役の映像が出る。
雪之丞は人気の美しい女形という役なので、歌舞伎の舞台に立っている華やかな姿を劇中劇で見せる演出は多い。
でも、今回の玉三郎はそういう見せ方ではなくて、先輩役者と芝居談義をする場面で、これまで玉三郎が演じてきた大きな役の映像を、二人の会話に従って出して見せた。
先輩役者にこれからどんな役がやりたいかと聞かれて、「雪姫」「八重垣姫」「桜姫」などと雪之丞が答えると、玉三郎が演じたその役の映像が出るのだ。
「助六の揚巻」や「籠釣瓶の八ツ橋」「二人椀久の傾城松山」は、先輩役者を相手にその場でやってみせるというやり方で見せた。
先輩役者の役を七之助が演じているので、最近の玉三郎が自分の持ち役、当たり役をどんどん若手に教えて譲っていこうとしているのと合わせると、この作品は玉三郎の集大成なのか?と思ってしまった。
冒頭、先代萩の政岡を演じている一場面は生で見せたし。
(今月第一部では、七之助が玉三郎に教わった政岡を実際に演じている)
雪之丞と師匠(中車がやっている)の会話では、自分は歌舞伎の一座では人気だとちやほやされるが、世の中の役に立っているのだろうか、人のためになっているのだろうかと苦悩するセリフが強く出され、最終的に仇討ちを遂げた後では、役者としてこの道を行くことが世のため人のためなのだと決意を新たにしている。
芝居としてはここで終ってもよかったんだろうけど、このあとに元禄花見踊りの一幕があって、艶やかな玉三郎を中心に絢爛豪華に幕となっている。
見終わって、これは玉三郎の「これまで・いま・これから」なのか?と思いましたね。
「書き遺しおくこと」みたいに見えるのだ。
うしろの席の人が「遺言?」と言ってるのが聞こえた。
先輩役者役の七之助との場面で、
玉「兄さん、来月は京の南座で四谷怪談でしょう?」
七「そうなんだよ、大変なんだよ」
玉「どこが大変なんですか?」
七「全部だよ!」
なんてところや、勘三郎・玉三郎が作った「鰯売恋曳網」のセリフを言って、
玉「あ、これは私たちの時代の芝居じゃありませんねえ」
七「いや、ご先祖様のだよ」なんて言って笑わせたりという、お遊びもありましたけどね。
七之助は、玉三郎の先輩の役はかなり無理がある。
「おまえにはまだいろいろ教えなくちゃいけないから」なんて、懸命に貫禄ある感じで演じてたけど。
中車さんには驚きました。香川照之さん、すっかり歌舞伎役者になられて。冒頭の先代萩を劇中劇で見せる場面では、「床下」の仁木弾正が花道を引っ込んでいくところをやるんですが、できてるのよ。長い間(ま)のところは、まだちょっと空間が埋まらない感じがするけど、でも、それらしく見えてるから偉いね。
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