人々の幸福は何処にありや
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社会と隔絶した小さな村。
純朴な青年ラザロや村人たちは、
領主の侯爵夫人から小作制度の廃止も知らされず、
昔のまま、タダ働きをさせられていました。
ある時、夫人の息子タンクレディの偽装誘拐騒ぎがもとで、
夫人の搾取の実態が世間に知られることになります。
村人は初めて外の世界へ・・・。
しかしその時ラザロの姿が見当たりません・・・。
1980年代初頭、イタリアで実際にあった詐欺事件から着想を得ているという本作、
私ははじめのうちこれは社会派ドラマか?などと思いながら見ていました。
タンクレディの言い出した偽装誘拐ですが、
きっとラザロが犯人にされて大変な目に合うのではないか
・・・などと思って、ハラハラ。
しかし意外にもそういう展開にはならず、
物語は現実を離れてファンタジーのようになっていきます。
どこまで言ったらネタバラシになってしまうのか、
判断に悩むところではありますが・・・。
冒頭のシーンは1980年代くらいが舞台。
それなのに、村の人々は電気がやっと通じた時代くらいの、
時代がかってしかも貧しい生活をしています。
かつての災害で交通も遮断された村で、村人は何も知らないまま、
侯爵夫人から搾取されるままになっていた。
そんな中でラザロは人一倍真摯に働くので、
余計人々からは気楽に使われてしまうのです。
しかし彼はそれを疑問にも不満にも思わない。
人を疑うことを知らず、無垢なのです。
ここでは全員が一つの家族のようになっていて、
ラザロは彼自身の父母が誰なのかも知らないし、聞いたこともない。
そこへ現れた公爵夫人の放蕩息子であるタンクレディが言うのですね。
もしかしたら、自分たちは兄弟かも知れない、と。
自分だけの「家族」を持たないラザロはその「兄弟」という言葉が嬉しくて、
すっかりタンクレディに親しみを覚えてしまうわけです。
さて、ラザロというのは、聖書にある死から蘇ったという聖ラザロと同じ名前。
それだからこそ、彼も蘇りを果たすことになるのですが・・・。
しかしその蘇り方がユニークなんですよ。
なぜか、時を超えて・・・。
これもつまりラザロがタンクレディに会いたい、
その執着のなせる技のような気がしますが・・・。
そして、ラザロが体験する2つの世界、
文化未発達の自然とともにある生活と、文化の進んだ殺伐とした都会。
人々の幸福は何処にありや、という問いを発しているような気がしました。
全く先の読めないストーリー展開、けれど悲壮感はなくどことなくほんわかしている。
なんだかぼーっと余韻を噛みしめてしまう作品でした。
<ディノスシネマズにて>
「幸福なラザロ」
2018年/イタリア/127分
監督:アリーチェ・ロルバケル
出演:アドリアーノ・タルディオーロ、アニエーゼ・グラツィアーニ、アルバ・ロルバケル、ルカ・チコバーニ、トンマーゾ・ラーニョ
無垢度★★★★☆
満足度★★★★★