映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

SUPER8 スーパーエイト

2011年06月30日 | 映画(さ行)
情感にウケてしまったのは、筋違い?



             * * * * * * * *

1979年、アメリカ。
米空軍のあるものを輸送途中の貨物列車が、脱線事故を起こします。
倒れたその貨車の中から、ナニモノかがうごめき出す・・・。

その町に住む14歳の少年ジョーは、
仲間と共に8ミリカメラで映画制作をしていました。
ちょうどその夜、駅で撮影の最中にその脱線事故が起こったのです。
ものすごい迫力の脱線事故シーン。
まあ、貨物列車でまだ良かった・・・と、映画ながら思ってしまいました。
彼らは逃げ惑い、とりあえず無事だったのですが、
その間も8ミリカメラは回り続け、
貨物列車から這い出す不気味な影を撮ってしまう。
極秘事項を撮影されたことに気づいた米空軍は、
目撃者を捜し当てようとするのですが・・・。



映画はこの少年ジョーが事故で母親を亡くしたところから始まるのですが、
いきなり切ないそのシーンに、
心をわしづかみにされてしまいました。
また、今では懐かしい、8ミリカメラの映像が郷愁を誘います。
そして更には彼の初恋。
少女にむけた初々しい感情。
何もかもが甘酸っぱく、懐かしく、哀しいのです。
そんな情感がこの作品を支えていると思います。
だから彼は始めちょっと暗いですね。
特に、親友チャールズの何とも騒々しく賑やかな家庭から、
ひっそりと静まりかえった我が家へ帰ってきたときの気落ちした感じ。
誰もいないかと思えば、父がトイレにこもって泣いていたりする・・・。
切なさ倍増。
なぜかしら、私はこの作品、
あとのエイリアンの暴走シーンなどよりも、
こうしたささやかな感情を描写するシーンの方が心に残っているのです。
ジョーがアリスにメイクを施す、おずおずとしたシーンとか・・・。
アリスの演技のシーンも抜群でしたよねえ・・・。



ところがこの内気っぽい少年がいきなりリーダーシップを表すのは、
アリスが行方不明になってからです。
どうぞこの変貌ぶりをお楽しみください。
でも、彼が母を亡くすというつらい体験をしたことは、
後々に大きな意味を持ってきます。
心の痛みを知っている人は、他の人の心の痛みもわかるということですね。

さて、アメリカ映画らしく、彼は父親とはうまくいっていません。
この父子の確執をどう乗り越えていくのか、
そこも見所だとは思ったのですが、
どうもそこのところの解決編が今ひとつ物足りなく思われました。
でも子供たちが力を合わせてがんばる、
そういうシーンはやっぱり大好きで、楽しめました。
中では花火オタクの子がよかったですよね~。
君はヒーローだぞ!!
ゾンビ役も堂に入っていたし。


さて、最後の最後にお楽しみがあります。
完成した彼らの8ミリ映画作品。
ゾンビが登場するホラー映画です。
なかなか粋な趣向でした!


というようなことで、全般的には悪くはない。
ただ、前宣伝が派手過ぎましたね。
そこまでオーバーに宣伝しなくても、(しない方が)
楽しめた作品なのではないかと思います。
ひっそりと上映していて、何気なく見てみたら
すごく面白かった・・・、と
そういう見方をしたかった作品だなあ。
しかしこの制作陣ですから、鳴り物入りになってしまうのは無理もないか・・・。

「SUPER8 スーパーエイト」
2011年/ アメリカ/111分
監督・脚本:J・J・エイブラムス
制作:スティーブン・スピルバーグ、J・J・エイブラムス、ブライアン・バーク
出演:ジョエル・コートニー、エル・ファニング、カイル・チャンドラー、ライリー・グリフィス
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「悼む人 上・下」 天童荒太

2011年06月29日 | 本(その他)
一人一人の「生」を胸に刻むこと

悼む人〈上〉 (文春文庫)
天童 荒太
文藝春秋


悼む人〈下〉 (文春文庫)
天童 荒太
文藝春秋


               * * * * * * * *

この本は単行本を読みたいと思いながらも、読み損ねていたので、
文庫化は大変ありがたいと思いました。

悼(いた)む。
・・・読むのが難しいですね。
最近ではほとんど弔電の文中くらいでしか見たことがないような・・・。
辞書で調べると、単純に「人の死を悲しみ嘆く」とあります。


この本の坂築静人(さかつきしづと)は、
不慮の死を遂げた人々を"悼む"ために、全国を放浪しています。
物語はこの静人と、彼を取り巻く様々な立場の人々を描いています。
でも、序盤は、この静人の行動にちょっぴり戸惑ってしまいます。
一体どういう物語なのだろう。
悼むとは?
宗教? スピリチュアル?

・・・それでも、読み進む内にどんどんこの静人の行動に引き込まれていきます。
つまり、読者である私たちと同様に、彼の行動をいぶかしむ登場人物や
彼を信じて影ながら彼を支えていこうとする彼の家族を描くことで
少しずつ静人の行動の核心に近づいていくのですね。
たとえば、
自らが殺した夫の亡霊に取り憑かれた女・倖世(ゆきよ)。
静人のことを調べ始める雑誌記者の薪野(まきの)。
そして末期がんに冒された静人の母・巡子。
それぞれの生き方も、それだけで小説になりそうなくらい尋常ではありません。
それぞれの中で次第に静人の存在が大きくなっていく。


静人の"悼む"という行為は、
死を悲しむとか、冥福を祈る、
というようなこととは少し違うのです。

「亡くなった人が誰を愛し、誰に愛されたのか。どんなことで感謝されたのか。」

つまりその人の「生」を記憶する行為を、
彼は「悼む」と呼んでいるのです。
先日見た映画「パーマネント野ばら」の中にもありました。
人の「二度目の死」は、人から忘れ去られることだと。
とすれば、彼の行為は、
いつまでもその人を自分の中にだけでも生かし続ける、
そういう意味があるのですね。
人の死に方ではなくて、生き方、というところがとても大事。


静人と倖世は、やがて旅を共にするようになるのですが、
そんな中で倖世の死んだ夫が誰を愛したのか、真相が明らかにされていきます。
この存在は、いわば『悼まれる』側の代表なのでしょう。
物語の中で、静人の「悼む」行為は、果たして死者にとってはどういう意味があるのか。
それを語ることができるのは本当に死者だけなのですが、
ここに、こういう「存在」を描くことで、
答えを出しているのでしょう。
この亡霊の正体は、本当に「霊」なのかもしれないし、
実は倖世が勝手に思い込んでいるだけの存在なのかもしれない。
でも、それはどちらでもいいことなのだ、という部分はとても納得がいきます。
どちらであっても、生の意味、死の意味を
はっきりと納得することにより救われるのは同じ。


たとえばこの度の大震災で、
死者数千人とか数万人とか、聞くと確かに大変なことに思えるのですが、
どうにも実感がもてず、「悲しい」という感情もわいてきません。
でも、TVなどのインタビューで
被災者から直接「夫を亡くした」とか、「子供を亡くした」とか聞くと
思わず涙があふれます。
それだけでもう、亡くなった方が誰を愛し、誰に愛されたか、解りますものね。
私たちはその人の「生」の物語を察して、心動かされるのです。
このように考えると、この「悼む」という行為はとても崇高なことに思えてきます。
それにしても、もし静人さんが実在したら、
一生東北にいなくてはならないかも。
あまりにも悼む対象が多すぎます。
それでも、私たちは、ただ大勢の死者ということではなく
ひとりひとり、生きていた人、
ということを胸に刻んで、
忘れないでいたいですね。

「悼む人 上・下」 天童荒太 文春文庫
満足度★★★★☆
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にゃんこ2

2011年06月28日 | 工房『たんぽぽ』
そう難しくはないけど、作る暇がない・・・

          * * * * * * * *

前回のたんぽぽ工房からずいぶん間が開いてしまったような。
難しくて時間がかかるというわけではないのです。
単になかなか手がける時間が取れないだけ。

さて、まずはパーツのご紹介。


犬も猫もそう変わりませんね。


完成品


よこ


ななめうしろ


これ、マンチカンという種類の猫ですね・・・。
私、そういえば実物は見たことがない。
耳の感じがこれでいいのかどうか。
あんまりにていなくてもカンベンを・・・。
羊毛フェルトは何も動物専用というわけではありません。
アクセサリーや、お菓子などいろいろなモノが作れますが
私は今しばらく動物のマスコットにこだわりたいと思います。

うん、それにしても
もう少し時間が欲しい・・・

ハマナカ マンチカン/製作キット
ハマナカ
ハマナカ


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キッズ・オールライト

2011年06月26日 | 映画(か行)
形は変わっても、家族の絆は同じ



            * * * * * * * *

この作品、家族がテーマですが、現代の最先端です。
ロサンゼルス郊外に住むレスビアンのカップル、
ニック(アネット・ベニング)とジュールス(ジュリアン・ムーア)。

二人は結婚し、それぞれの子供(姉・ジョニと弟・レイザー)がいます。
この子供たちは、精子提供を受けて人工授精でできたのです。
ジョニはちょうど高校を卒業し、秋からは大学へ進学が決まっている、
そんな年頃です。
子供たちは、自分たちの本当の父親(マーク・ラファロ)つまり精子提供者を探し出し、
実際にあってみることにします。



一時代前にはあり得ないストーリーですが、
いまならまあ、あるかもね・・・という程度。
いえ、映画だからですね。
たとえば我が家のお隣に奥さんが二人いて、
「私たちは結婚していて、この子供たちは人工授精でできました」
なんて聞いたら目を丸くしてしまいますし、
そんな噂はあっという間に町内会の端まで伝わりそうです。
けれど作品中では、周りの人々は実に寛大に受け止めていました・・・。
本当にアメリカの家族事情はそこまで行っている・・・?

まあ、それはさておき、生物学上の正しい「父親」は、
思いの外フランクでナイスガイ。
いわば“父親”不在の家庭に育った彼らにとって、
見慣れない“男性”がたくましくかっこよく映るのはむりもないことです。
やがてこの家族と彼は家族ぐるみの付き合いになっていきますが、
まずいことにジュールスと彼の気持ちが接近していく・・・。


ニックは医師で、どちらかというと普通の家庭の「父親」役に近いのです。
ジュールスはいろいろな夢もあったけれどなかなかうまくいかず、
主婦業に甘んじてきた。
今は、ガーデニングの仕事をしたいと思ってはいるのですが・・・。
同性のカップルであっても、
結局は普通の夫婦と似たような形になってしまうということでしょうか。
一方が仕事をして稼いで、
もう一方が家事育児を専門にする、
こういう分業体制はやはり必要なことらしい。

これが普通の夫婦であれば、どこにでもある浮気話。
結局のところ、とても今様な家族を描写しながらも、
根底にあるのはごく一般的な家族の絆の物語といえると思います。
長く過ごした家族の絆は、
血のつながりよりも強い。
うーん、でも考えてみるとこの浮気騒動さえなければ、
これはこれで、5人の非常にユニークな家族になれたのにな。
残念です・・・。



ところで、ジュールスの手がけたガーデニングは未完に終わってしまったのですね・・・。
西海岸の気候の元のガーデニング。
サボテンなんかもあってすごく面白そうだったのですが。
私はその完成図を是非見たかった・・・。

「キッズ・オールライト」

2010年/アメリカ/106分
監督・脚本:リサ・チョロデンコ
脚本:スチュアート・ブラムバーグ
出演:アネット・ベニング、ジュリアン・ムーア、マーク・ラファロ、ミア・ワシコウスカ、ジョシュ・ハッチャーソン
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「魔女の死んだ家」 篠田真由美

2011年06月25日 | 本(ミステリ)
語り手は誰?

魔女の死んだ家 (講談社ノベルス)
篠田 真由美
講談社


             * * * * * * * *

桜井京介again! というのが目をひきました。
建築探偵桜井京介シリーズは、先にめでたく完結したわけですが、
この本はそのシリーズ、スピンオフというわけです。
でもこれは実際にシリーズ完結後に著されたわけではなく、
2003年、講談社の「ミステリーランド」叢書で少年少女のため描かれた作品。
この時、篠田真由美作品と言うことで、
私も興味はあったのですが、読まないままに終わっていました。
このたびは、このノベルスのために全面的に改稿したそうです。
何にしても、また桜井京介を読めるのは、幸せ。


この本ではその桜井京介が「名探偵」役ではありますが、
実は名前は出てきません。
桜井京介を知っている人が読めばすぐ解るのですが、
知らない人は知らないなりに、ただのステキな探偵ということで、
読めるようになっています。
ですから、前シリーズを読んでいない方も、
気にせずに読んでくださいませ。


作品の舞台は、やはり篠田真由美さんらしく、
ある資産家の大きな西洋屋敷。
その持ち主である小鷹狩都夜子(こたかりつやこ)が密室で殺害されました。
同じその部屋にいた元婚約者、橘(たちばな)が逮捕されたわけですが、
それにしても不可解なことが多い。
証言者によって全く異なる都夜子と橘の印象、そして二人の関係。
本当に橘が犯人なのか。
事件の真相は・・・。


この物語のキモは、この「事件の真相」というよりも、
登場人物の隠された正体なんですね。
これは読者に向けて罠が仕掛けられているので、 
どうぞ騙されませんように。
・・・というか、騙されるから面白いのですけれど。


あとがきでほんの少し、
その後の蒼のこと、深春のことなどにもふれています。
実のところ、シリーズファンとしては、
これではぜんぜん食い足りないのですが、
まあ、またこの先を楽しみにすることにしましょう。


「魔女の死んだ家」篠田真由美 講談社ノベルス
満足度★★★☆☆
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プチ・ニコラ

2011年06月22日 | 映画(は行)
パリを流れる川の名前は?



            * * * * * * * *

フランスで大人気を博したというこの作品は、
ルネ・ゴシニ、ジャン=ジャック・サンペによるフランスの国民的絵本
「プチ・ニコラ」の実写映画化です。

1960年代パリ、
小学生ニコラとそのやさしい両親、やんちゃな友人たちの騒動を描きます。
これは日本でたとえるなら、
「ALWAYS 3丁目の夕日」的ノスタルジーにあふれる作品なのだと思います。
国民すべてに愛される子供キャラ、という点では
サザエさんやちびまる子ちゃんの雰囲気もありますね。
まだ子供たちが放課後に群れて遊んでいたような時代・・・。
今、そんな姿が見られないというのは、
日本もフランスも同様とお見受けします。


ストーリーは・・・
ニコラは、両親のそぶりから勝手に弟が生まれると思い込みます。
そしてそうなると、自分はこの家にいらない存在となり、
森に捨てられてしまうのだ・・・と。
ニコラは友人たちの協力を得て、
何とか両親の気をひこうとしたり、
弟をギャングに誘拐してもらおうとしたり・・・。



このストーリー上の子供たちは、決してリアルな子供象ではありません。
これは大人が想像する子供らしい子供象。
だから子供たちは、かなり極端な思い込みと短絡的な思考に満ちています。
でも、この作品はこれでいいのです。
大人が楽しむための物語だから。
それにしても、大富豪の子、食いしん坊で太っちょの子、
落ちこぼれの子、乱暴な子
・・・それぞれ個性たっぷりで、なんて楽しいのでしょう。
いつのまにか目立ちたがり屋で嫌われ者の優等生までもが仲間に加わっているのも、
なかなかいいんですよね。

担任の先生は、この子たちをまとめるのに非常に苦労しているのですが、
ほとんどお手上げ状態。
でも、彼らへの愛情も感じられ、
この子たちにはこの先生でなければ・・・と思えてきます。
特に、落ちこぼれ君クロテールの
「パリに流れる川の名前」のエピソードが光っています。
また、この子がものすごく可愛いんだなあ・・・。
巻き毛でくりくりお目々。
いいんですよ、勉強なんかできなくたって自転車選手にはなれる!



全編微笑ましくて、目尻が下がってしまう。
そんな作品です。

「プチ・ニコラ」
2009年/フランス/91分
監督・脚本:ローラン・ティラール
出演:マキシム・ゴダール、カド・メラッド、ヴァレリー・ルメルシェ、サンドリーヌ・キベルラン
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127時間

2011年06月21日 | 映画(は行)
生き抜くための究極の決断



             * * * * * * * *

登山家アーロン・ラルストン氏が体験した実話です。
この「実話」というところが大変に重いのです。
フィクションだったら「嘘くさい」と思ってしまうでしょうね。


27歳のアーロンは単独でユタ州ブルーキャニオンの渓谷へ入ります。
ところが誰も通りそうもない谷で落下し、
大きな岩に右手を挟まれ、身動きできなくなってしまう。
水も食料もわずかしかなく、たちまち尽きてしまう。
さあ、どうする・・・。
と、あらかじめこのようなストーリーを読んだだけで、
だいたい結末の想像はつきますね。
はい、そうです。多分、皆さんの想像も当たっています。
なので、怖くて私はこの作品は見ないでおこうと思っていたのです。
でも、いろいろな映画評で、かなり評価がいいですね。
となると、やっぱり見届けてみたい。
かなりの勇気をふるってシアターへ!!



冒頭、都会の喧噪を思わせるシーンから始まります。
映像はドキュメンタリータッチではなく、ちょっとポップな感じ。
アーロンはいかにも解放的な陽気さを持つ反面、
都会的でクールな一面も持ち合わせています。
都市の喧噪を離れて、一人大自然の渓谷を歩き、
ロッククライミングを楽しむ。
孤独に耐えるタフな男、
そんな自負もあったのでしょう。
しかし、このような事故に遭うと、すべてが裏目に出ます。
一人ではどうにもならない。
誰にも行く先を告げていない。


パニックになりそうな自分を極力押さえ込み、
今自分が持っているモノで何ができるか考えてみる・・・。
とりあえずはナイフがある。
しかし安物でぜんぜん切れない。
が、まずはこれで岩を削ってみるか・・・。

けれども、その作業もどうもムダのことのようです。
時間だけはたっぷりありますが、
次第に喉の渇きは増し、体力も衰えて行く・・・。
この極限状態で、彼はしばし過去を回想したり、脱出を夢想したりします。
シーンとしては彼がただ谷底につなぎ止められているだけなのですが、
カメラワークや彼の妄想シーンなど変化に富んでいて、
飽きることがありません。
そして結末へ向けて次第に緊張が高まっていきます。



この大自然の中にたった一人瀕死でいることで、
彼はこれまで自分がいかにきちんと人と接してこなかったのかを思い知ります。
もう一度生きたい。
きちんと社会や人々とつながりたい。
その思いの強さが、彼に一つの決断をさせるのです。
生き延びることが、こんなにもつらいなんて。
でも、彼は自分の生を勝ち取るのですね。
人間の意志の強さに感嘆せざるを得ません。
ややもすると、グロテスクなテーマになってしまいそうに思うのですが、
この作品、実に輝かしい人の生きる力を描いています。
数々の高評価も、当然ではありますね。


「この岩は、俺の手を挟むために何億年もかけて宇宙をさまよった末に
この谷に落ちてきて、俺が通るのをまっていた・・・」
彼がそんな風に思うシーンが印象的でした。
確かに、この広い渓谷の中で、
たまたま落ちてきた岩にどうして手を挟まれなければならないのか。
神秘的な何かを感じずにはいられません。
が、それはやはり、単に物理的な現象の一つに過ぎない。
何でたまたまこの現代のこの日本、この東北で巨大な地震が起きて、
かつてないような大津波が押し寄せるのか。
そうしたどうにもならない疑問にも似ています。
このような自然現象の中で、人間はいかにも弱く儚いのですが、
でもなおかつ、人間は時にその精神の力で、驚くような力を発揮するのですね。
私たちも強くならなければ・・・・・。

2010年/アメリカ・イギリス/95分
監督:ダニー・ボイル
原作:アーロン・ラルストン
脚本:サイモン・ビューフォイ、ダニー・ボイル
出演:ジェームズ・フランコ、ケイト・マーラ、アンバー・タンブリン
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ヤング・ゼネレーション

2011年06月20日 | 映画(や行)
町の歴史の中で息づく若者たちの思い

            * * * * * * * *

(午前10時の映画祭2 何度見てもすごい50本より) 

インディアナ州ブルーミントンという小さな町が舞台です。
この町には以前石切場があり、栄えていました。
今はそれも廃れて、細々と続いているのみ。
主人公デイブの父は、かつてそこで石切工をしていたのですが、
今は中古自動車の販売店を営んでいます。
かつて父親たちが切り出した石で作られた、威厳のある大学の建物。
今や町はその大学を中心に栄えているのが解ります。
以前の自分たちには縁のなかった“大学”というものに、
ちょっぴりコンプレックスを感じてしまう父。
そうした父親の思いを何となく感じ取ってしまっていたデイブ。
この作品は、こういった町の歴史が生活感を呼び起こして、
とてもいい背景になっています。


さて、背景説明はこのくらいにしまして、
デイブは高校を卒業した後、進学も就職もせずブラブラしています。
同様に、ブラブラしている遊び仲間が3人。
彼らは、一見のんきそうですが、
ろくな仕事もないこの町で先が見えない焦燥感と、
そして、リッチに青春を謳歌している大学生たちへのコンプレックスで心は揺れている。
デイブがただ一つ夢中になれるのは自転車レース。
イタリアのレーシングチームにあこがれ、
すっかりイタリアかぶれになっています。
そんな時、大好きなイタリアチームがこの町にやってくるのですが・・・。


イタリアかぶれで有頂天のデイブを苦々しく見る父親。
全編を通しての父と息子の距離感の変化に注目ください。
ここはやはりアメリカ映画らしく、父親に認められて初めて一人前。
そういうところが見受けられますね。
いつも息子にがみがみ言う父。
そっと見守り息子を励ます母。
しかしその父母は、意外と仲がよろしい。
・・・今時の映画作品なら、
もっと家族の中には寒々とした空気があったりしますが、
こういう昔ながらの温かい家族像にホッとしたりします。


自転車レースと、家族、友情、そしてほのかな恋。
よい物語です。
オススメ!!


作品中、大学生たちが町の住民を見下した言い方で
「カッターズ」と呼び、
『原住民』と訳されています。
私は英語でカッターズにそういう意味があるのかと思いながら見ていたのですが、
後で気づきました。
カッターズの「カッター」とは「石切」
すなわち「ストーン・カッター」の意味だったのですね。
納得です。
ここにも町の歴史がちゃんとありました。

ヤング・ゼネレーション [DVD]
デニス・クリストファー,デニス・クエイド,ダニエル・スターン,ジャッキー・アール・ヘイリー,バーバラ・バリー
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン


1979年/アメリカ/101分
監督:ピーター・イエーツ
脚本:スティーブ・テシック
出演:デニス・クリストファー、ダニエル・スターン、デニス・クエイド
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「ニッポンの書評」 豊由美

2011年06月18日 | 本(解説)
シロウトだから感想文。でも私はそれを続けます。

ニッポンの書評 (光文社新書)
豊崎 由美
光文社

           * * * * * * * *

この本は、良くも悪くも胸にぐさっと突き刺さる本でした。
そもそも、いつも私が書いているものはなんなのか、という問題に突き当たります。


まずは、著者が言う「書評」と「批評」の違い。
批評は、対象作品を読んだ後に読むもの。
小説の構造を精査するにあたり、
どうしてもその作品のキモにふれざるを得ないけれど、
そここそが読者の驚きや感動が得られるところなので、
事前に読んではまずいことがある。

一方書評は、本の後押しのような役目を果たすもので、
読者の初読の興をそがないよう、
細心の注意を払ってかかれるべきもの、としています。


では、次に書評と感想文の違い。
プロの書評には「背景」がある。
本を読むたびに蓄積して来た知識や語彙や物語のパターン認識、
個々の本が持っているさまざまな要素を他の本の要素と関連づけ、
いわば本の星座のようなものを作り上げる力、
それがあるかないかが、書評と感想文の差を決定づける、と。

ここまで読めばもう明らかで、
まあ、以前から私が自分でも認めているように、
私の書いているものは、「感想文」なんですね。
ですが、これで気持ちがさっぱりした、といいますか、
私はこの先も読んで楽しい「感想文」、
本の後押しをする「感想文」を心がけて、続けていこうと思います。


まあ、それにしても、「書評」を書く上で留意しなければならないことは、
耳の痛いところもありますが、大変参考になります。

昨今あふれている書評ブログについて、こんな記述があります。
自分が理解できていないだけなのに、「難しい」「つまらない」と断じる。
文章自体がめちゃくちゃ。
論理性のかけらもない。
取り上げた本に対する精神もない。
自分が内容を理解できないのは「理解させてくれない本の方が悪い」。

・・・おやまあ、何とも手厳しい。
また、
匿名として自分に返り血を浴びる覚悟もなく、
他人を批判するのは卑怯だろう
と。

確かに、そうですね。
私は極力その本のよいところの紹介に努めていますが、
時には否定的意見を垂れ流しにしてしまうことも・・・。
そういうときって、実は自分でもちょっと後味が悪い。
でも、本当に「ダメだ、こりゃ」と思った本の記事は、のせないことにしています。
面白くもない本を褒めたりはしませんが、
あまりにも否定的表現には気をつける。
胸に刻みたいと思います。

それから、著者が強く訴えるのは、「ネタばらし」は絶対ダメということ。
ストーリー紹介は、それだけでも立派な「書評」と言えるのだけれど、
これから初めてその本を読む人の意欲をそぐような
肝心のネタばらしは厳に慎むべし!と。
私は、ついストーリーを書きすぎる傾向があるので、ここも要注意です。


著者は、だめな書評の例として「北海道新聞」に載っていた
ある方の「1Q84」の書評をあげています。
これが本当に、もろに最後の結末まで明かしてしまっていたわけですが・・・。
実は、私はこの書評、読んだと思うのです。
文章の始めの方にかすかな記憶が・・・。
で、その後にいよいよ本を購入したのです。
でも、この書評で読む気が失せたりはしなかった・・・。
というよりは、そんなに真剣に読んでない。
だからネタばらしをされた、とも気づいていなかった・・・。
著者の力の入れように対して非常に申し訳ないのですが、
私にとっての「書評」はそんな程度・・・ということが露呈しました。


でもまあ、私も本を選ぶ指針を
様々な書評から得ていることも確かです。
この本で書評家のご苦労もよくわかったことですし、
今度からはもう少し真剣に読むことにしましょう。
そしてレビュアーの個性の違いなども読み取れたら、
それはそれとしてまた、楽しみですね!

「ニッポンの書評」豊由美 光文社新書
満足度★★★★☆

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キラー・インサイド・ミー

2011年06月17日 | 映画(か行)
通常と狂気がボーダーレス



              * * * * * * * *

1950年代アメリカはテキサス。
この作品、そんな当時のレトロな雰囲気たっぷりに始まります。
静止画像のオープニングタイトルや、ちょっと色あせた感じのカラー。
そして当時流行の音楽。

ルー・フォード(ケイシー・アフレック)は、好青年の保安官。
恋人もいて何不自由ない生活を送っているように見受けられます。
あるとき、取り締まりのため、ある娼婦の家を訪ねるのですが、
彼女の色香に刺激されたのか、
自らの内に目覚めた衝動に駆られ、彼は次第に殺人鬼へと変貌して行く。



この作品のCFを見たときに、ふと「ブラック・スワン」を思い浮かべました。
自らの内にあった邪悪なものが表面に出てくるというところでは、
似たような感じなのかなあ・・・と。
でも、この作品、思っていたよりもサイコサスペンス風味はありません。
それというのも、あまりにもルー・フォードがさりげなく普通なのです。

ごく普通、またはむしろ通常よりもいい人に思える者が、
突如殺人鬼に変貌、というときには、
通常その切り替わりの瞬間があるように思うのですね。
顔つき、目つきが変わってくるとか。
しかし、このルー・フォードは、通常と変わらないのです。
いきなりサディスティックに女性を殴り始めるときにも、
顔色が変わらない。
そこには憎しみの色も、狂気の色も、歓喜の色もない・・・。
これでは殴られる方も何がなにやら全くわからない。
いえまあ、実際理解するゆとりなどあるわけもないですが、
全く理不尽ないきなりの苦痛と死。
通常と狂気がボーダーレス。
ある意味、こういう風なのが怖いですね。
彼にとっては、暴力も殺人も、
日常のほんの一コマ、一仕事にしか過ぎないかのような・・・。



彼は人を殺した後も、その罪におびえたりはしません。
ただ恐れているのはその罪が発覚すること。
だからそれを隠すために、さらにまた殺人を重ねたりする。
周囲から見ても、いかにも彼は怪しいのですが、証拠がなく、どうにもならない。
この作品の時代背景がこのくらいの時期である意味が、
この辺にありますね。
今ならCSIなみの科学捜査で、証拠などいくらでも出てきそうだ。

だがしかし、実は罠が一つ仕掛けてあったのです。
意外な結末に、ちょっとやられました。


さて、この作品で、先日読んだ「映画の構造分析」をまた思い出してしまいました。
「アメリカの男はアメリカの女が嫌い」という一節です。
まさしく、彼がそれを体現していますね・・・。
女を殺すときは撲殺。
執拗に痛めつけます。
けれど男を殺すときはあっさり銃殺。
結構根深いモノがありそうです・・・。

2010年/アメリカ・スェーデン・イギリス・カナダ/109分
監督:マイケル・ウィンターボトム
原作:ジム・トンプソン
出演:ケイシー・アフレック、ケイト・ハドソン、ジェシカ・アルバ、ネッド・ビーティ
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パーマネント野ばら

2011年06月16日 | 映画(は行)
こんな「群れ」なら居心地は悪くない



           * * * * * * * *

先日「八日目の蝉」で、感じ入ってしまったので、
奥寺佐渡子さん脚本のこの作品を観てみました。


離婚して、一人娘を連れ、故郷の海辺の町に帰ってきたなおこ(菅野美穂)。
母、まさ子(夏木マリ)の美容院「パーマネント野ばら」を手伝っています。
そこには、パンチパーマのおばちゃんたちや、
男運の悪いなおこの幼なじみたちが出入りし、
明け透けな男関係に話の花が咲く。
実に生活感たっぷり、地に足のついた男女の恋愛話・・・と思ったのですよ。
始めは。
ところが、ここにはある秘密が隠されていました。
何ともたくましい女性たちの生き様のシーンの合間に、
なおこと今の彼のデートシーンが入ります。
この彼が江口洋介。
作品中唯一、生活感がなく“さわやか”なんですよね・・・。
その謎が、最後の方で明かされます。



作品中こんな言葉が出てきます。
「人は2回死ぬ。始めは、生きるのをやめたとき。
二度目は、人から忘れられたとき。」
つまりなおこは、
必死で彼の二度目の死を阻止していたということなのかもしれません。
いつもここにいるのに、心がここにない母を、
あきらめた目で見つめる娘の悲しみも、
ようやくそこで理解できるのですね。
またストーリー上は、
いつもなおこは皆のすったもんだの恋愛話を静かに聞いて、慰める立場であったわけですが、
実は彼女こそが皆に見守られ、
いたわられていたことが解ります。



厚かましく言いたい放題のおばちゃんたち。
だけれどもそれぞれに、人のことにはよけいな口を出さないし、
実はやさしく寄り添っている。
そんなふんわりした人々の輪がここちよく、
ラストの意外な事実にも嫌な後味がありません。
それぞれがそれぞれの生き方、違いを認めている。
こんな“群れ”なら、居心地は悪くなさそうです。

パーマネント野ばら [DVD]
菅野美穂
デイライト


「パーマネント野ばら」
2010年/日本/100分
監督:吉田大八
原作:西原理恵子
脚本:奥寺佐渡子
出演:菅野美穂、江口洋介、小池栄子、池脇千鶴、宇崎竜童、夏木マリ
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「おはぐろとんぼ 江戸人情掘物語」 宇江佐真理

2011年06月14日 | 本(その他)
人の心の温かさがうれしい、それぞれの物語

おはぐろとんぼ (実業之日本社文庫)
宇江佐 真理
実業之日本社


              * * * * * * * *

宇江佐真理さんの江戸人情物語。
短編集ですが、今作はどれも江戸のさまざまな「掘」の界隈を舞台としています。
かつて掘や水路が張り巡らされ、
人々の生活の場となっていた水の町、江戸。
私は「○○堀」と、その名前を見ても、
ぜんぜんどの辺なのか見当もつかないのがちょっと残念です。
東京にお住まいの方なら、今も地名として残っていたりして、
おぼろげながら場所の想像がつくのでしょうか? 
この中の一つだけは架空の掘だそうですが。
そうそう、「八丁堀」だけは名前を知っていました! 
やはり、この物語の主人公も奉行所の同心なんですね。
そういうお役人の住む地域ということなのでしょう。
・・・などと考えると、江戸時代の地図を見てみたくなります。
こういう好奇心から学びは始まるのですが、
いつも思うばかりでちっとも前進しない私。
反省・・・。


さてさて、では冒頭の「ため息はつかない」をご紹介しましょう。
豊吉は幼い頃に両親を亡くし、
おばのおますに育てられました。
おますは女手一つで細々と花屋を営み、豊吉を育てたのです。
でも、まだ子供の豊吉は、ひっきりなしに店の用事を言いつけられるし、
おますの口うるささには閉口。
時折、お堀にたたずんでは、ため息をつく日々。
しかし、豊吉はおますに
「子供のくせに、ため息なんかつくもんじゃない」
と、またしかられてしまう。
そんな豊吉もちょっと色男の18歳に成長。
薬種屋に奉公しています。
そこへ、この店の娘、おふみとの縁談が持ち上がる。
これはいい話ですよね。
奉公先の娘と結婚できれば将来安泰。
・・・しかし問題は、おふみはかなりのおデブさんということ。
もう二十歳も過ぎているのに行き遅れているのは、やはりその容姿のせいらしい。
そこで、豊吉は悩んでしまうのです。
おふみと結婚すれば、いかにも店の跡取りを狙ったようだし、
これでは物笑いの種だ。
でも、断ればもうこの店には居づらくなってしまう。
ついまた、ため息が出てしまう・・・。

さて、この絶体絶命のピンチ! 
豊吉はどう乗り越えるのでしょう。
このストーリーの良さはなんといっても、
このおふみさんの人柄なんですよ。
彼女は朗らかで、いつも彼女の周りには笑いがあふれている。
彼女がこんなに太ってしまったわけなども語られ、
この縁談は受けるしかないっしょ!!・・・と、
読者の私たちはやきもきさせられるわけです。


人の心の温かさがうれしい、それぞれのストーリー。
やはり、時々故郷に帰るような思いで読みたくなる、
宇江佐真理さんでした。

「おはぐろとんぼ 江戸人情掘物語」宇江佐真理 実業之日本社文庫
満足度★★★★☆
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奇跡

2011年06月13日 | 映画(か行)
新幹線と桜島と冒険の旅



         * * * * * * * *

是枝監督作品で、出演があのお笑いコンビ“まえだまえだ”ということで、
楽しみにしていました。


舞台は九州。
関西弁の二人が何故に九州?ということなのですが、
この作品は九州の新幹線全線開通に絡んだ話なので・・・。

両親の離婚のため、大阪に住んでいた家族四人が二手に別れ、
母(大塚寧々)と兄、航一(前田航基)が鹿児島の母の実家に、
父(オダギリジョー)と弟、龍之介(前田旺志郎)が福岡に暮らしているのです。
けれど航一は、また家族四人で暮らしたい。
ある日、
「上りと下りの新幹線さくらの一番列車がすれ違うところを目撃すれば、
奇跡が起きて願いが叶う」
という噂を聞いて、是非見たいと思うのです。
兄と弟はそれぞれ友達と共に合流地に向かい、
新幹線のすれ違い地点を探します。

子供たちの冒険の旅。
ちょっぴり「スタンド・バイ・ミー」にも似て、
冷や冷やもののこの旅で、
子供たちはそれぞれ大きく成長するのです。


この兄弟の息の合うのは当然といえば当然ですが、
それぞれの個性があって、
すばらしい効果が出ていますね。

兄はちょっと慎重なタイプで、ナイーブ。
いきなり朝、部屋の拭き掃除を始めるシーンがあって「???」と思うのですが、
これは桜島の灰が家の中にまで入りこむのが嫌で嫌で、
自主的にぞうきんがけをしているのです。
彼の願いは桜島が大爆発を起こして鹿児島には住めなくなり、
大阪に戻って家族四人で暮らすという壮大(?)なもの。



一方、弟の方は、とてもポジティブで明るく元気。
彼はミュージシャンを目指すうだつの上がらない父の面倒を見るために
父親についてきたように見えるのですが・・・。

彼はまた、現実的でもあります。
どうしても元のように暮らしたいとは思っていないのですね。
でも、兄の気持ちを汲んで奇跡を呼ぶ旅に付き合う。
子供といっても単に無邪気というわけではなくて、
それぞれに悩みもあるし、
人の気持ちを汲む力もある。
そしてまた、夢もあるところがいいじゃないですか。
それぞれの子供たちが夢を語るシーンは多分、フリートークなんですね。
照れがちに自分のことを語る子供たちの笑顔がいい。

多分子供たちは、新幹線の交差を見たからといって、
必ず夢が叶うとは信じていなかったようにも思えるのです。
でも、自分たちだけでこの旅をやり遂げて目的を果たした、
という満足感が彼らを満たしたのですね。
だから、結果にはそんなにこだわらないところがいいと、私は思いました。


子供たちの冒険を知りつつ、そっと見守る大人たちもまたいいですね。
具合が悪いふりをして保健室にやって来た子供たちに、
体温計のごまかし方を伝授する保健の先生とか。
帰ってくるのをそっと家の外で待っていたおじいさんとか。
このおじいさんは、以前和菓子屋さんを営んでいて、
店を閉めて何年かになるのです。
でも商店街の人に新幹線開通にちなんで何かこの辺の名物ができないかと相談を受け、
またお菓子を作り始めるのです。
“かるかん”というのが鹿児島名物。
ふむ、聞いたことはありますが、食べたことはありません。
ふんわりと甘そうで、是非食べてみたくなってしまいました。



以前からまえだまえだを見ていると、
この二人がいたら、家の中はいつもものすごく賑やかなんだろうなあ・・・と、
つい微笑ましくおもえていました。
でも、この作品で、また少し違う航基くんを見ることができて幸いでした。
何とも満足のいく作品。
やっぱり、私としては「空気人形」のようなものよりは、こちらの方が好きです。

「奇跡」
2011年/日本/127分
監督・脚本:是枝裕和
出演:前田航基、前田旺志郎、オダギリジョー、大塚寧々、樹木希林、阿部寛
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ラスト・ソルジャー

2011年06月12日 | 映画(ら行)
生き延びることが命題



           * * * * * * * *

ジャッキー・チェンが原作・制作総指揮・武術指導・主演の4役を務めたという作品。
時は紀元前227年中国。
諸国が争いを続ける戦国時代。
梁国と衛国のとある戦場。
双方全滅状態の中で、死んだふりをして生き延びた梁の兵士(ジャッキー・チェン)。
彼は負傷した敵国衛の若き将軍(ワン・リーホン)を捕虜にします。
彼は梁に将軍を生きたまま連れ帰り、褒美のお金と畑を手に入れたいと考えている。
そこでこの二人の奇妙な苦難の道行きが始まるのです。
二人の小競り合いはもちろんのこと、
山賊たちに襲われたり、
何故か味方のはずの衛国の一隊に付け狙われたりと、
3つ巴の逃走・戦闘が繰り広げられます。



ジャッキー演じる兵士は、すばらしい武術の達人というわけではない。
彼は農民なのです。
彼の兄弟は皆、無理矢理戦争に駆り立てられ、戦で死んだ。
父親の「お前だけは生き延びろ、家の血を絶やすな」という言葉を胸に、
どんなことをしても生き延びようと思っている。
それで、とにかく身を守るすべには長けているようです。
もちろん、ジャッキーのことですから、
根は「陽」です。
明るく図太く、
ちょっと抜けていて、たくましい。



一方、捕虜となったのは、若く勇敢で誇り高い将軍。
ワン・リーホン、ステキですね!
ホレボレ・・・。
彼を付け狙うものの正体、これも最後のお楽しみです。
敵味方のこの二人、
生死を分かち合う修羅場を共にくぐり抜ける内に、
心を分かち合うようになっていくのですね。
平和なときに出会っていれば、友達になれたかもしれない・・・と。

やや骨太でありながら、エンタテイメント性を忘れず、
やっぱりジャッキーの陽性が光る。
いい作品だなあ・・・。
何となく、クリント・イーストウッド監督に通じるところがあるかもしれません。
どちらも長い映画人生の経験から、
映画のことも映画ファンの心のツボも、知り尽くしているという感じです。



今作のラストは、実はちょっとショッキング。
けれど、エンディングのNG集で少し救われた気がして、
後味は悪くありません。

平和でのどかな菜の花畑。この光景が心に残ります。

ラスト・ソルジャー [DVD]
ジャッキー・チェン,ワン・リーホン,ユ・スンジュン
Happinet(SB)(D)


「ラスト・ソルジャー」
2010年/中国・香港/
監督:ディン・シェン
出演:ジャッキー・チェン、ワン・リーホン、ユ・スンジュン、ドゥ・ユーミン、リン・ポン
コメント

「映画の構造分析~ハリウッド映画で学べる現代思想」内田 樹

2011年06月10日 | 本(解説)
目からウロコの映画の見方

映画の構造分析―ハリウッド映画で学べる現代思想 (文春文庫)
内田 樹
文藝春秋


              * * * * * * * *

この本の目的は・・・
「みんなが見ている映画を分析することを通じて、
ラカンやフーコーやバルトの難解なる述語を分かりやすく説明すること」
にあります。


・・・とあるのですが、
そもそも私、ラカンもフーコーもバルトも誰のことやら全く解らない。
(つまりは哲学者のようなのですが。)
そんな私がこんな本を読むのは大それたことなのでは・・・
と思いながらおそるおそる読んでみました。
いやしくも映画好きを自称するからには、
たまにはこれくらいのものも読まなくては・・・
などという義務感に背中を押されつつ・・・。


たとえばいきなり具体例ですが、
「エイリアン」の話と行きましょう。
シガニー・ウィーヴァー演じるリプリーは、
「男性の暴力に決して屈しない自立し、自己決定するヒロイン」といいます。
リプリーはハリウッド映画が初めて造形に成功した
「ジェンダー・フリー」ヒロインであると。
はい。
そこは正に私が実感して思っていたことなので、
納得、納得。
一方エイリアンは、
その男根状の頭部とか、
口元からしたたる半透明の液体とか、
自己複製を作り出す欲望とか
・・・男性の性的攻撃の記号であると。
話がきわどくなってきましたが、た、確かに・・・。
つまり「エイリアン」はフェミニスト・ヒロインと
これを屈服させようとする家父長的な男性性の間のデス・マッチである。
そしてこの物語はハッピーエンドヘ向けて収斂して行く。

ところが、この作品のもう一つの秘密。
著者は妊娠と出産について述べています。
妊娠は女性にとって恐怖であり不安であり、嫌悪である。
・・・普通私たちはそれを"おめでたい"こと、とはいいますが、
実のところは、そういう感情が確かにあります。
「産む性であること」と「産むことへの恐怖と嫌悪」。
女性の中には、このような亀裂がある。
つまり、表面のストーリーとは別に、
映像の水準では、フェミニスト・ヒロインは繰り返し陵辱され、
傷つき、損なわれている、
というのです。

文中ではもっと具体的な例がいろいろ載っているのですが、
確かに納得させられることばかり。
このような物語と反物語的なものの拮抗関係が鋭い緊張状態をもたらしている。
・・・つまり、それがこの作品の魅力ということなのですね。


実は私は、これまで、映画のこのような解釈
<深読みというか穿ちすぎというか>、
そういうのは邪道だと思っていたのです。
でも、この本を読んで考えが変わりました。
表面的なストーリーに隠された何か。
たとえそれは映画の作り手(監督や、スタッフ、俳優たち)の意図することではなくても、
知らずと現れるものが確かにある。
それを探るのも、映画の楽しみの一つ、魅力の一つといえるのではないかな。
かなり、そう思えてきました。


★「大脱走」は女性が一人も登場しない作品であるにもかかわらず、
実は「女性」が始めから最後まで前面に出ていた。

★「北北西に進路を取れ」は母親から受けたトラウマと
自己のアイデンティティの物語・・・。

★アメリカ文化は女性嫌悪の文化・・・。

特に、最後の「アメリカの男はアメリカの女が嫌い」という話が、
すごく面白いのですが、
これ以上書くとまた長くなりすぎるので、やめておきます。
しかし確かに、こういうパターンの話は多いのですよ・・・。
私は「ポパイ」を連想してしまった。
いつもトラブルメーカーはオリーブなんですよね・・・。


他にも興味の尽きない話に満ちています。
確かに、私には難しい部分もありましたが、
おおむね語り口はやさしい「お話」となっていますので、最後まで楽しめました。
何だか目から鱗が落ちたような気がしています。


「映画の構造分析~ハリウッド映画で学べる現代思想」内田 樹 文春文庫
満足度★★★★★


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