MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

数字に表れない危険性

2012-07-25 00:05:21 | Weblog

オスプレイ12機 岩国搬入完了 低い事故率、感情的反発(産経新聞) - goo ニュース

記事によると「オスプレイは開発段階や今年2回の墜落事故によって、その危険性ばかりが

強調されているが、10万飛行時間当たりの重大事故の件数を示す『事故率』は、海兵隊が

所有する固定翼や回転翼の航空機の平均事故率より低いのが実態だ」そうだが、それは

通常に飛行する場合の話であろう。例えば、海兵隊の垂直離着陸戦闘機AV8Bハリアーの

事故率は6・76で、オスプレイの事故率の1・93と比較するならば圧倒的に大きいが、

垂直離着陸戦闘機はオスプレイのように敵のレーダー網をくぐり抜ける低空飛行などは

しないはずで、人との距離が近すぎることが問題なのであるが、確かに地元住民は感情的に

なりすぎている部分もあり、最低でも反対の意思表示をする横断幕は英語で書くべきだろう。


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放送されない女子ソフトボール

2012-07-24 00:09:15 | Weblog

女子ソフトボール、日本が世界一!42年ぶり(夕刊フジ) - goo ニュース

これは本当の話なのだろうか もちろんソフトボール女子の世界選手権で日本が、米国を

延長10回2-1で破り、1970年大会以来、42年ぶり2度目の優勝を果たしたということ

ではなくて、この試合をどこの局も放送しないことに関してである。個人的な思いとしては

ピッチャーで選手たちの主軸でもある上野由岐子は日本女子サッカーの澤穂希と同じような

孤軍奮闘的立場で2008年の北京オリンピックでは日本に金メダルをもたらした功労者で

あるはずなのだが、オリンピック競技から女子ソフトボールが外された途端に世界選手権で

優勝した試合でさえBSでも放送されないほど人気がなくなってしまったのであろうか


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『メリダとおそろしの森』 90点

2012-07-23 23:34:01 | goo映画レビュー

メリダとおそろしの森

2012年/アメリカ

ネタバレ

プライドの出所

総合★★★★☆ 90

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 主人公の王女メリダと彼女の母親のエリノア王妃の複雑な母娘関係を理解する糸口として、黒い巨大熊のモルデュの生い立ちから考えてみる。
 伝説に依るならばモルデュは絶大な力を得ようとした王子が魔力によって変えられた姿なのであるが、同じように黒い巨大熊に変えられた者がメリダではなくてエリノアの方である理由は、メリダの父親のファーガス王はメリダの誕生日のプレゼントとして弓矢を贈るほどメリダに対して性別にこだわらない勇敢さ(Brave)を求めていたのであるが、エリノアはあくまでもダンブロッホ国の後継者として同盟国の子息と結婚することを娘に強要するように、エリノアの方が風習に固執しているためであり、その母親の‘プライド’を捨てさせるためにメリダは魔女に手助けを頼んだのである。
 魔女の言う通りにメリダは母親に特製のケーキを食べさせたまでは良かったのであるが、内面を変えるには外面を変えればいいという魔女の皮肉までは気がつかなかったメリダは「プライドによって裂かれた絆を修繕する」ために熊になってしまった母親を元に戻そうと手を尽くす。
 クライマックスは熊の姿のエリノアとモルデュの対決シーンで、エリノアが力ずくでモルデュを捕まえて巨大な立石にモルデュの体を打ち付けた後に、モルデュが真ん中で割れて倒れてきた立石の下敷きになったおかげで全員を助け出すことが出来たのであるが、この時、エリノアは自分が女性であるというこだわりを捨てたことで国を救うことが出来たことを悟るのであり、同時に娘の気持ちが理解できるようになったのである。
 ストーリーのひねり方は文句ないのであるが、メリダのキャラクターがかわいいとは思えないのはあくまでも個人的な好みの問題である。


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思い込みの原因

2012-07-23 00:02:46 | Weblog

オスプレイ配備懸念、沖縄県が米に直接伝達へ(読売新聞) - goo ニュース
選手会のWBC不参加…実はブラフ?!(夕刊フジ) - goo ニュース

沖縄県が、アメリカ軍の垂直離着陸機MV22オスプレイの普天間飛行場配備計画に対する

県の立場を米政府に伝えるため、又吉進・知事公室長を22日から米国に派遣する事は、

まるで日本プロ野球選手会が日本野球機構(NPB)を差し置いてアメリカ大リーグ機構が

主催している第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に参加しない意志を表明した

ことに通じるものがある。このような事は日本側のまとめ役である日本政府や日本野球機構

が担うべきはずなのに、何故まとめ役がアメリカに対して何も言わないのかが不思議で

一度決まったことは絶対に変えることが出来ないかのような思い込みの原因が分からない。


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『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A’s』 70点

2012-07-22 23:50:06 | goo映画レビュー

魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A’s

2012年/日本

ネタバレ

美少女が傷を癒す過程を見る‘恍惚’

総合★★★☆☆ 70

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 登場人物はほぼ女性で占められており、男性はかろうじてザフィーラが‘蒼き狼’として参加が許されているこの物語は、「闇の書」を巡って‘誤解’を元に美少女たちが戦うことになるのであるが、その主である八神はやても闇の書の本体として切り離されたリインフォースも美少女で、結局‘悪人’が一人もいないところが誰も傷つくことがない夢物語としてよくできている。前半のクライマックスであろう高町なのはとフェイト・テスタロッサの異常に長い変身シーンは、あっという間に変身してしまうキューティハニーとは対照的なのであるが、下着まで丁寧に描かれる細かい描写において‘チラ見’から‘ガン見’へと向かう視点の変化が垣間見られる。150分という長尺のアニメーションはそれなりに見ごたえがあることは間違いない。


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せっかく“美人すぎる”のに

2012-07-22 00:30:32 | Weblog

当選無効のタレント、県選管も「生活事実ない」(読売新聞) - goo ニュース

 埼玉県新座市選挙管理委員会に続き、県選管からも「市内での居住実態がなく当選無効」

と裁決された新座市の立川明日香市議は19日、自身のツイッターで「(裁決書は)長くて、

こじつけ、我田引水、揚げ足取りのオンパレードである。悪意しか感じない。恥ずかしくない

のか」「決定的な証拠がないよ証拠が」「どこが中立公平な選管だ。何か私を絶対に

落とさなければいけない理由でもおありか」などと憤りをあらわにしている。ツイッターの

唯一の長所として私はその人の品性がはからずも露わになってしまうところだと思っている。

せっかく“美人すぎる”のに理路整然も何もない露骨な感情論は醜悪でしかない。


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『特集:アジアの曙 全十三話 一挙上映』 0点

2012-07-21 23:52:16 | goo映画レビュー

特集:アジアの曙 全十三話 一挙上映

-年/-

ネタバレ

テレビドラマを劇場で観賞する意義について

総合☆☆☆☆☆ 0

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 本作が何を描いているのかと言えば『1911』(ジャッキー・チェン監督 2011年)が辛亥革命なのであるが、その後に起こった中国第二革命が描かれており、革命軍に参加した唯一の日本人である中山峯太郎を主人公としている。但し本作は1964年12月から1965年にかけてTBSで放送された連続テレビドラマであり、中国寄りの登場人物には中国を「中国」と呼ばせ、日本寄りの人物には中国を「シナ」と呼ばせている『アジアの曙』の主な登場人物は全員日本人によって演じられている。
 1911年、松井須磨子が『マグダ』の公演を禁止されたという記事が読売新聞に掲載された頃、主人公の中山峯太郎は明治天皇に、小国だったギリシアが大国のペルシャを凌駕したというような話を講じる機会を与えられるほど優秀で、陸軍幼年学校を首席で卒業したのであるが、かつて明治維新を牽引していったものの今では薩摩藩と長州藩の‘老害’として権力闘争に明け暮れている政府要人たちに対して石川啄木同様にうんざりしてしまい、士官学校で清国留学生と固い友情を結んだあたりから、エリート街道から逸れてしまい、やがて退学させられる。第一話の冒頭で描かれる軍事演習のシーンは妙に長く、真剣な演習に見えないのは、あくまでも制作費の問題だと思うのだが、製作当時の学生運動に関わっていた学生たちの‘軍事演習ごっこ’のように見えなくもない。
 第四話において、南京から糊口まで揚子江から船で向かう途中で、金鶏波にある敵の城塞を襲撃して攻略した際に、勝ったにもかかわらず何故か泣いている令鈴に向かって中山が理由を尋ねた時に、地面にうつ伏している多くの死体から城の上に風でなびく旗までカメラがパンするのであるが、その肝心の旗が後ろから正面に向かってなびいているために、旗の柄が映っておらず、コントラストが上手く描かれていない。糊口の要塞に無事に辿りつき、そこの将軍による歓迎会の席で、乾杯する前に女中によって酒がコップに注がれるのであるが、その女中の酒の注ぎ方が御座なりで、とても酒を注いだようには見えない。
 第七話の演出も酷い。方声涛が、林虎将軍が中山たちの革命軍に南昌で合流するという情報をもたらすのであるが、林虎将軍が来る気配はないまま、戦闘中に方声涛は逃走してしまい、革命軍は敗北してしまうのであるが、何故か中山は方声涛を見つけても、裏切り者として捕らえようとせず、方声涛の恋人の美瑛に方声涛の後を付けさせる。方声涛は幸せになりたかったから逃走したのだと美瑛に言い訳するのであるが、それならば美瑛を置き去りにした理由が分からない。さらに分からないのは、方声涛が恋人を陳元竜将軍に紹介しようと美瑛を呼んだ時に中山も美瑛の背後から一緒に司令室ついてくるのであるが、陳元竜は中山のことを全く気にする素振りをせず、この隙をついて中山は拳銃で近距離から陳元竜を撃つのであるが、何故か陳元竜は左腕を負傷しただけで済み、その後、中山は奇跡的に外に逃げることが出来て、方声涛と美瑛は銃殺されるところを目撃するというおかしなシーンが続く。そのためかどうかは定かではないが、佐々木守と一緒に脚本を務めていた田村孟は第八話から石堂淑朗に代わっている。
 第九話の演出はさらに酷くなる。中山は郁栄に従う少人数の軍隊と共に、陳元竜将軍に夜襲をかけるのであるが、敵陣の拠点の入り口で警備をしている2人の兵士の一人を中山が襲っているにも関わらず、その後方にいる兵士は何故か気がつかず、やがてもう一人の兵士も中山に将軍の居場所を白状させられた後に、殺されてしまう。しかし中山が教えられた場所に行ってみると将軍の姿は見えず、嘘を教えられたことが分かり、中山は5~6人の敵兵に捕らえられるのであるが、次のカットでは何故か中山は外に逃れているという不自然さである。そのためかどうかは定かではないが、第十話から石堂淑朗から再び田村孟に代わっている(その後、第十二話が石堂淑朗に、第十三話が田村孟に担われているのであるが、結局その違いはよく分からない)。
 第十二話の演出もますます酷くなる。高熱で病に臥している中山は、中国に精通している日本人として中国攻略に利用しようと日本軍が捕らえるのであるが、その際に抵抗した中山は日本兵に右腕を撃たれ、護送される途中で、給水のために停車していた時に逃げだそうとした中山は左手を撃たれ、さらに馬で追いかけてきた仲間の中国人に救助される際に、背後から左足を撃たれたりする。利用しようとする目的で拉致しているわりにはかなりのダメージを負わせてしまっているのであるが、中山は左手に包帯を巻いているだけで、意外と平気そうである。
 最終話の第十三話で、中山は妻の康子に革命成功の可能性に言及する。中山に依るならば、革命成功の可能性は2つ存在する。一つは農民一人一人が兵士として振舞うこと。もう一つは日本を仮想敵国と見做して、中国人が一致団結することなのであるが、それならば中山の言う革命は現在の中国で成功したことになる。
 ラストシーンにおいて、結婚したばかりの、中山の同志である阿香と明哲は整列している日本軍兵士たちの頭上から抗日のビラを撒いて、銃殺されるのであるが、中山は第2の阿香や明哲が現れると呑気なことを言って687分のテレビドラマは呆気なく終わってしまう。
 革命軍の敵役となる袁世凱側の内実が全く描かれていない理由も予算の問題であろうし、当時のテレビの画質や画面の大きさを考慮するならば、顔のアップの多用は致し方なく、作品後半あたりから見られるワンシーンワンカットや、狂気から回復した幸子のオーヴァーラップによる回想シーンや、とりわけ最後の中山と康子のシーンにおける意図的にカメラを傾けて映すテクニックなどは『カルメン純情す』(木下恵介監督 1952年)を模したものであり、それなりの演出上の工夫は感じられるのであるが、特に戦闘シーンの演出は酷く、どのように見ても当時の学生運動に対する皮肉というよりもただ演出が下手であるようにしか思えない。大島作品が娯楽映画にならない理由の一つがここにある気がする。
 この作品に価値があるのだとするならば、反日の物語を‘無防備’の日本のお茶の間に流したということであり、それならば本作は映画館やDVDで観るよりも(『大島渚と日本』四方田犬彦著 筑摩書房 P.297)、TBSテレビで再放送されるべきなのであるが、それは絶対にないのだろうね。
 劇中で歌われる「関高音頭」に関しては詳しくないが、本作の基調の一端は間違いなく、郁栄を演じた芳村真理のエキゾチックな顔立ちの美しさと力強い声のトーンによるものである。


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中学校の武道必修化

2012-07-21 00:03:47 | Weblog

川で溺れさせ、女子が動画撮影…少年3人逮捕(読売新聞) - goo ニュース
中3が小6男児暴行、ユーチューブで映像公開(読売新聞) - goo ニュース
同級生「飛び降り練習の強要、見た」 大津・中2自殺(朝日新聞) - goo ニュース
同級生に3メートル飛び降り強要=中2男子、腰の骨折るけが―埼玉(時事通信) - goo ニュース

 それにしても川で溺れさせたり、“1分間戦うゲーム”だとか、2階の教室の窓を乗り越え、

雨よけ部分から1階のコンクリート製通路に飛び降りさせたとか、校舎3階の廊下の窓枠に

両手をかけて後ろ向きに座り、上半身を反らせて落ちる“手本”を示して、同じ姿勢を取るよう

強要していたとか、このようなことをさせて何が面白いのかと首をかしげるようなものばかり

である。要するにいじめ相手がどれほど痛いのか実感できていないから過激になっていく

のであろうから、私はやられたらやりかえさなければいじめはなくならないように思う。つまり

いじめられたことと同じことをやりかえすことでいじめは喧嘩になるのだから、事実上、

いじめはなくなるはずである。そのための中学校の武道必修化だと思うのだけれど。


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『苦役列車』 80点

2012-07-20 23:54:30 | goo映画レビュー

苦役列車

2012年/日本

ネタバレ

友達という‘気取り’について

総合★★★★☆ 80

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 前作『マイ・バック・ページ』(2011年)においては死というテーマを持て余していたように見えた山下敦弘監督の新作は、グダグダの主人公を扱わせたら右に出るものはいないだけあっていつものように本領を発揮しているように見える。
 主人公の北町貫多は幾多のコンプレックスを抱えており、決して自ら他人に声をかけることはない。だから貫多は他人と関わる必要がない港湾の荷役作業を仕事に選び、たまたま友人になった日下部正二は正二の方から声をかけてきたのであり、桜井康子と知り合えたのも正二を介してであり、その後の様々なトラブルも相手から仕掛けられたものである。
 正二と彼のガールフレンドの鵜沢美奈子と共に貫多が飲みに行った時に、酔いも手伝って貫多が2人に放つ暴言の中に「女の前だからって高尚ぶるんじゃねえよ。ぼくの云う映画とてめえらの云う映画は、映画が違うとでも言いてえのか」というものがあるが、もちろん違うのであり、貫多が云う映画は娯楽作品であろうが、2人が云う映画はアートシアター系のものであろう。貫多は江戸っ子であるために、九州から出てきた正二たちのような‘田舎者’の気持ちは分からないようだが、‘田舎者’たちは気取りながら大人になるのであり、例えば、女性の手に口を付けたいのであるならば、気取りながらキスをするべきであり、貫多のように欲望の赴くまま康子の手を舐めてはいけないのであり、‘気取る’ことが出来ないのであるならば素人は諦めて風俗嬢に専念するしかない。
 それでも一度だけ貫多は正二や康子と本音で付き合える僥倖に恵まれる。3人で服を脱いで冷たい海ではしゃぎ合うシーンである。しかし正二とも康子とも別れてしまい、スナックでチャンネルの奪い合いからやくざに身包み剥がされた後に、海岸にたどり着くと、貫多を追い越して正二と康子が海に入っていく。驚いた貫多が2人に付いて海に入ろうとするが、貫多は2人が服を着ていることに気がついていない。2人とも最早、貫多のように‘裸’になるつもりはなく、貫多は罠にはまって落とし穴に落ちてしまい、ついには住んでいるアパートのゴミ集積場まで‘堕ちて’しまう。
 堕ちるところまで堕ちた貫多はまさに裸一貫から孤独に書くことで生きる意味を模索し始めるのである。
 それにしても平成のトップアイドルグループのセンターを務める前田敦子が、どうしても1980年代の文学好きの女子大生にしか見えないところが、演出の冴えなのか本人の資質なのか分からないが興味深いが、正二を‘友情’のメタファーとしたのに対して、映画オリジナルのキャラクターである康子を‘愛情’のメタファーとして設定し、成功していることは誰が見ても明らかである。
 『新潮』8月号の原作者と映画監督の対談もまた非常に興味深かったのであるが、結局、原作者は、自分が書いた読み物をたいして理解していないくせに、ああだこうだと知ったかぶりながら楽しそうに話し合い映画を制作していく芋臭い‘サブカル野郎’たちが大嫌いなのだから話が合うわけがないのである。


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8人目の可能性

2012-07-20 00:05:39 | Weblog

橋下市長、不倫報道で「まず妻と子に謝る」(読売新聞) - goo ニュース

 はっきり言ってしまうならば、前日の記者会見ではまだ橋下徹大阪市長は、事の重大さは

分かっていただろうが、若気の至りという程度に考えていた節があって、文春の記事に関して

「事実の部分もあり、事実でない部分もある」などとまるで同じように過去の異性関係を文春

で暴露され、AKB48からHKT48へ都落ちした指原莉乃程度のぺナルティーを想定して

「僕は市役所に寝泊りしなければならない」などと冗談交じりに説明していたのであるが、

談笑しながらの“反省”はかなり評判が悪かったようで、今回は笑顔はなかったが、誠意を

込めて粘り強く謝れば、隠し子などが出てこない限りは、赦してもらえるのではないだろうか。

 


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